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野見宿禰神社勧進相撲 (東京横濱毎日新聞/明治17.6.5)

・此の度の回向院奉納相撲は、力士社会にて野見宿禰神社修繕の為め寄付金を為さんとて興行したるものの由かつて記せしが、今聞く所によれば此の相撲は宿禰の後裔とか知らるる五條為仲君よりの依頼にて興行する訳なりと、されば土間桟敷その他すべての利益は悉皆同君の所得に帰する都合なるより、茶屋などはいつも通りの利を得る事の叶わぬに困り居るとの噂あれど、如何にやまた相撲流行の為めに柳橋辺の割烹店はいとも嬉しき影響を被りて、先月中などは毎日毎夜力士誘いの客が代わる代わる催す酒宴に余程の儲けを得たりという。(6.3)
・昨日回向院の相撲は、前日の雨天につき休業して太鼓を廻したれば、本日はいよいよ興行の筈なり、さて一昨日は上野広小路より根津へかけてドドンガドンと太鼓の廻りたるより、そりゃあしたこそ梅ヶ谷大達だと夜の明けぬ内から支度して回向院へ押し掛け、見れば櫓太鼓も打ち上げず休業の様子に皆々不審に思い、昨日の太鼓はどうした訳と問い合わせれば、かの霊岸島の合併相撲が景気に太鼓を廻せし事と分かり、つぶやきつつ立ち帰りしもの少なからざりしという。(6.3)
・去る三十一日より霊岸島長崎町に力士と素人と合併の相撲興行あり、大関千勝川稲ヶ島を始め幕の内都合十名なるが流行物とてなかなかの大入りなり、この日大三番の取組中本所林町より客席に入りし八重櫻次郎吉が前頭なる雷山力石の二人に勝ち、第三番目には是れも前頭なる湊川と組合う事とはなりぬ、さて八重櫻は幕内三人に勝ち抜いてあっぱれ功名せんと仕切も宜しく立上り突掛け跳合うそのうちも、湊川は客席の奴らに負けては生涯の恥と一生懸命組んづほぐれつ揉合いしが、ついに土俵際にて投合いつ双方の体共に流れて物言い付きたり、折から行司木村正松は一時の間違いより褒美の品を湊川に授けたり、かくと見るより八重櫻は云う迄もなく同じ客席の左倉川小武小武蔵等という連中は元これ船乗り土方の輩、気も荒々しき声上げておのれ正松二番まで勝を得し此の八重櫻には与えずして何故湊川に取らせしぞ、と打って掛からん憤怒の有様、此方にはまた湊川の仲間の一人、前頭の八丁舟といえるが飛び出でて、何の小癪なその雑言あれのこれのと無駄口叩かんよりはいっその事命を的に見事挫いで呉れんと罵れば、客席の十三人は是は面白しイデイデと決闘の用意に掛かり近所の懇意の家に行きて刃物を取り来るなど一方ならぬ騒ぎを来し、今にも醒風血雨の惨状を呈せんづ勢いに、一旦相撲を止めて大勢が仲裁に入りようやくに双方鎮まりしが、未だに遺恨を含みて折り合わざるとのことなり。(6.3)
・力士大達は今度の場所にて給金三円を増して十七円に昇れりと、又西ノ海の給料は十四円なりとか。
・日本橋区小伝馬町二十二番地において、来る七日より晴天七日間手柄山が関にて相撲を興行する由。
・昨日の紙上に大関梅ヶ谷が旅行届を出だせしまま誰にも告げずツト家を出でしとの事を投書によりて記しおきしが、右は全く彼の是れのという訳あるにあらずして、同人はかねがねよんどころなき用事あれば此の四日頃に出立なし大坂に行くべしと云い居りたる由にて、ついに一昨日行装を整え仲間のものへも通知し昨四日午前九時の汽車にて当地を出立したりという、正誤かたがた此に記す。

・雨天のために順延せし回向院奉納相撲の後日は昨日を以て開場せり、景気はなかなかよかりしも梅ヶ谷大達西ノ海海山等の休みたるは残念なりし。
頂キ取倉に、栄松羽衣に、御所櫻朝日嶽に、初陣岩ノ里に、野州山兜山に、九紋竜早虎に、和田ノ森中ツ山に、鶴ヶ濱嵐山に、綾浪伊勢ノ濱に勝。
・幕に移りて稲ノ花浦湊は立上り「左四ツ」より「櫓」にて釣出し浦湊の勝。
清見潟武蔵潟は「右四ツ」となり、武蔵は遮に無に右を伸ばして上手廻しを引き「グッと」「寄ッ」て勝。
上ヶ汐高千穂は格合いの相撲にて見物の気入りひとしおなりし、やがて力士は立上り突掛け跳合ううち上ヶ汐は右を差して「ミツ」を引きしに、高千穂も左に上手を引き揉合いざま高千穂が「投」に行くを、上ヶ汐は上手に投返し大相撲にて双方残り水となりしが、再度取組み「右四ツ」にて高千穂は乗り掛けに行きしも、残りて双方取り疲れ引分は面白かりし。
千羽ヶ嶽柏戸は、右に上手を引き得意に「釣出し」て千羽の勝。
常陸山手柄山は、直ぐに押切て手柄山の勝は昨今の大出来。
高見山一ノ矢は、突掛けつつ一ノ矢が只「一突張り」に極めんという勢いを、高見は心得て右を差し「スクイ」投げて勝、しかし高見山が相手の髪を握りしはチトきたなき相撲なり
し。
・次は剣山大鳴門なり、これ今日屈指の取組なれば剣山と呼び大鳴門と叫び、贔屓声は一時場内の割るるばかりなりし、力士は仕切も十分難なく立上り、突掛けて大鳴門は左を差したり、さて剣山は此の左に「泉川」を極め一心不乱にせり合いて「左四ツ」と変じなかなかの大相撲なりしが、此の時大鳴門は攻め寄って「足クセ」を試みしに、剣山もそうはさせじと金剛力防ぎ防ぎてありつる内、双方体共に流れしかば行司木村庄三郎は突き手倒れ身勝負なしとの事を述べ、是れにて目出度く打出しとなりぬ。

このブログでは基本的に扱いませんが、花相撲の勝敗もたびたびこうして本場所と同様に詳細が記事に載ります。今回は主役が欠けて少し寂しい興行でした。結びの一番は行司が勝敗を決めない「無勝負」でしょうか、本場所では江戸時代に廃止されていますが花相撲では無理に勝敗を決める事もないので残っていたのでしょう。また相撲ブームにあやかってか、よく分からない団体の相撲興行も行われています(;・ω・)霊岸島は現在では中央区新川となっていますが、両国から隅田川をしばらく下流へ下ったあたりです。やはり本家の大相撲でないと荒っぽいというかマトモな相撲興行にならないようです・・・
ビバ!江戸(霊岸島の記念碑)
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