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雨天順延 (朝日新聞/明治32.1.14)

○回向院大相撲
・昨日六日目の同相撲は雨天のため休場したるが、午後晴天となりしゆえ本日は太鼓を廻さずに開場するという。
○東西力士えりぬき評
・猛虎怒慵して天も地も震駭しつベき両国回向院大場所の壮観は連日の紙上に載せ来れる如く、すでに五日目まで取り進みたるが今ここに某好角翁が公正明平の眼をもって東西力士中の主なる者を批評したるを掲げん。
・まず今日は東の方横綱の小錦から棚卸しを始めようかい、初日の負け具合では如何かと案じていたが二日目から五日目までは無難であった、但し技倆は突きの一点で例の寄り投げや蹴返しを毫も用いぬのは何となく贔屓連をあきたらず歯がゆく思わせたよ。
・それから朝汐だて彼は評するまでもない名力士だね、技倆はますます進んだがやや力量が落ちたかと思われる、逆鉾は一時ちょいと腰折れの気味も見えたが今では持ち返して腰も強く腕の突張りはなかなかえらいもんだ、源氏山は技倆は確かだけれど気性が怯くなったよ、もっとも自重しているといえばそれまでだけれど多く自分から仕掛けないで受身になる事が多くなったようだ。
大纒出来山かね、平々凡々評する事もない、当分は前頭四五枚を上下するのさ、黒岩は四つ身になると敵なしだが相手の突掛けの強いときはいつも敗北を取る、この突掛けを防ぐ工夫さえ凝らせば上々の力士といってよかろう、若湊は昔に返り咲きしたね技倆が老練で面白い力士だ、常陸山は当時日の出の勢い、かれこれ言うだけが管だろう、この分で推して行けば将来の横綱は誰彼と問うに及ばぬ、かの男と決まっている。
北海外ノ海大見崎は一軒の家でいえば道具だ、何も言う事はないが必要品と言って宜しい、越ヶ嶽響舛千歳川は東方の老功で技倆を言うよりもむしろ劇評流に「よく勤めているが評すベき程の事なし」だ。
増田川稲川稲瀬川は幕下当時の勢いに比ベるとやや劣ったかと思われる気味もあるが、力量はまだまだ進む、油断さえしなければ進境を見よう、頂キは妙な力士だ、シンネリ強く随分勁敵を苦しませる事もあってその一種特別の技倆は大に人を感心せしむるに足るよ、次は天津風だ、きゃつ酒ばかりあおると見えて如何やら中風の相を現して来た、幕下二三枚目に落ちること必定さ。
・さてまた東の幕下では高見山谷ノ川は技倆が進み八剣の力量が増したのには驚くよ、金山緑川はまづ上の居すわりに加え利根川の持ち返し淀川の返り咲きあるに反し、熊ヶ嶽の大根がある、ようやく知恵ノ矢鷲ヶ濱の部類に入るだろう。
○角觝雑俎
・回向院の当大場所は近年稀なる上景気にて、各力士の意気組みも別項の評中に記せる如くすこぶる盛んなるが、ここに毎年大相撲の興行に伴いて何かの苦情湧き出づる事ほとんど例となり、来り本年もまた三日目の夜に至りて一の同盟起こり西方幕内力士及び幕下十枚の関取連は突然出勤を断わるとの相談をなし、先づ角觝協会へ向って内々にこの相談を通ぜしめたる所、協会の驚き一方ならず役員二名は直ちに西方の部屋に至りその理由をただしたるに、鳳凰大蛇潟小松山等の面々は決心の色を示し口を揃えて曰く、当今の如く相撲は非常の全盛に赴き、毎興行の利益莫大なるにも拘らず我々力士に対しては真に僅少の増給を与え賞与とても東西三役の欠勤なき時に渡さるるのみ、その他は一文の配当もなくして皆懐手の年寄連に吸収せられ、力士は一生懸命働くばかり、実に馬鹿馬鹿しければ本年の如き大入りの際は無欠勤の力士に相応の利益配当ありて然るべしと考うれば、協会においても充分に我等の境界を察しこの事許諾ありたし、しからざればやむなく決心せん、と云い出でたり、依りて役員は勧進元高砂の代阿武松緑之助八角灘右衛門、及び取蹄雷権太夫等の役員と協議のうえ決答せんと答え、力士はなお念を押して明日中に是非返答ありたしと約してその夜は別れ、翌四日目は何事もなく一同出勤し、同夜役員等協議を遂げ力士の申条ももっともなればと各部屋持ち年寄の配当金に対し東西幕内力士は五分幕下十枚迄は同二分の賞与を出す事に決し、その旨鳳凰等に交渉せしに、一同は協会が迅速の承諾に満足し、我等は決して多少を論ぜず望みのかどさえ立てば結構なり、とてたちまち和解しこの上は欠勤せずして一心に働かんと皆勇み立ちしという。
・初日以来の好天気に日々大入りなれば最早十日間の総入費は取り揚がり幾分の利益さえ見るに至りしかば、この後目下の景気にて推す時は各年寄は勿論力士等の配当賞与も少なからざるべしとは太平の余光めでたき事なり。
・人気第一の力士常陸山谷右衛門は、旧藩主水戸家より化粧廻しを賜りその他顧客の贈品おびただしき中に、男爵三宮義胤氏は刀工堀井胤吉翁作の一刀を白木の箱に収めて本所区長飯島氏に託し一昨日常陸山へ贈与されしかば、同人の喜び例えん方なく後日この一刀を持たせて一人土俵を踏むの期あらんかとしきりに力み居れり。

残念ながら雨天中止です。現在は初日前に町内を回る触れ太鼓ですが、当時は晴天のみ興行のため雨天中止の後の日にも通常は回していたようです。しかし太鼓の意味は「明日開催しますよ」ということなので、次の日すぐ開催したい場合には今回のように太鼓なしのケースとなります。取組の記事が無いので例によって爺さんが好き勝手に力士評を語っています(;・ω・)道具とか必要品とか言われている力士もいますが、いつの時代でも目立たなくとも頑張っている中堅どころというのは必要な存在です。頂キはちょっと特殊な技能力士のようですね、シンネリというのは粘り強い様子でしょうか。今後どんな活躍をしてくれるか楽しみになります。天津風は体を壊しかけのようですが大丈夫でしょうか?(;・ω・)そして明治後半の大相撲界はストライキの歴史、今回は収まったようですが待遇改善を求める力士側と協会側の紛争の火種はくすぶり続けます。
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2013/02/24 23:39】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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