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明治31年夏場所二日目 (朝日新聞/明治31.5.14)

○回向院大相撲
・昨十三日(二日目)は貴紳の観覧も多く、且つ柳橋連の総見物ありて場中非常に賑わいたり。
岩ノ森金山は、の寄身を受けると見せ体をかわして突き立てて突き切っての勝は綺麗なりし。
鬼竜山勝平改め待乳山は烈しく突き合いの小股を掬わんとせるもは防ぎて入れず待も術なく躊躇するをは右上手より右外枠にて掬いたれば何ぞ耐えんは仰向けに倒れて背に砂の付着せるは見苦しかりし、全体この手はの得意なるもの今は敵に奪われし技倆の劣り歎ずべし。
境嶽谷ノ川は、の突張りを二三歩逡巡して透かしたれどは付け込み突き出すより、詰を渡して逃げたるも損じての負は不出来なりし。
鶴ノ音熊ヶ嶽二本差しにて寄り倒しの敗は相変わらずの不出来不出来。
稲瀬川鳴戸龍は、左筈にて押切らんと寄るをはよく耐えて動かぬよりは右外枠にて寄り倒さんとするもまた動かぬを透かしてやや体のなる隙に体を斜めに逆投げ打って見事の勝ちが未だ見ざる所なり。
鶴ヶ濱黒岩は、二本を差し釣り身に行くをは右外掛にて防ぎしも効かず遂に釣られて東溜まりへ置き据えらる。
谷ノ音高見山は、左四ツにて渡りより釣り身に行くを得たりと十八番の一本掛にてもたれ込て団扇を取りしが、東溜りに控えし若湊の棄て身決まりての体早くも地に落ちしと物言い付き東西の検査員交渉の末、場預りとなり星は谷ノ音
天ツ風若湊は、天ツ気後れのせしか数回の待ったにてようやく立ち上り、左筈にて寄るをは透かしてハタキ込めば天ツころころと匍匐す。
梅ノ谷常陸山は本日中の好取組、互いの観客は劣らずと呼びと叫びて場中は沸くが如くなる中に、悠々と二力士は化粧立ち数回にてが突出すに、立ち後れたるにも怖れず左筈にて受け止め右上手ミツを取らんとするもの肥満容易に取れず躊躇の気味に見えたるを、は左差しにて押し切らんと進む勢いには軽く二三歩あとずさりせしより、は出足の遅き質なれば腰砕けたるに周章して進む出鼻をは上手捻りにて勝を占めたる大相撲は、満場観客一時に拍手のうち羽織帽子たばこ入れ、手当たり次第に投げ出し土俵は為めに埋まり弟子四人して持ち運びたるは未曾有の景気にてありし。
當り矢逆鉾は、の突きもは屈せず諸筈にて押切りしは天晴れの勝。
大砲大蛇潟は、右四ツに挑み大砲は手なく無理にも捻らんとし焦るを大蛇は耐えしが寄られて土俵間近くなるをは上から見て又も無理に捻り倒るるを見て笑いつつ引込んだるは大きし。
鳳凰大纒は、突き出しの勝は相撲にならず。
横車小錦は、押切りの勝は前項に同じ。

小兵の業師として十両で活躍してきた勝平は、年寄待乳山を取得して今場所から改名しました。二枚鑑札と呼ばれ、警視庁から力士として、親方として二種類の営業免許(鑑札)を受けていました。いわばプレイングマネージャーですが、大正時代までは現役のうちから年寄名を名乗ることが出来ました。現在ならば当然引退してからの襲名となるところです。さて梅・常陸の対戦、常陸山はいつもと違って簡単に廻しを取れませんでしたが、梅ヶ谷の出てくるところをタイミングの良い投げで勝利を収めました。場内熱狂、本格的な明治大相撲黄金時代がすぐそこまで来ています。

明治31年夏場所星取表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2011/07/18 12:10】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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