スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑
明治31年春場所9日目 (朝日新聞/明治31.1.20)

○回向院大相撲
・昨十九日(九日目)は数日来初めての好天気とて北風の強かりしも観客はひしひし詰め掛け相応の大入なりし。
成瀬川荒鷲は寄り倒しての勝。
鬼龍山小西川の引張を預けて寄切りの負は耐える間なし。
淡路洋嶽ノ越は、の左筈をは巻き左をかって互いに揉み合いついに踏み越しての負。
磯千鳥鉞りは、左筈を互いに巻き合いやがて二本差しとなり暫し呼吸を計りの引投げ見事に決まりての勝は手際なりし。
谷ノ川境嶽は、立上りは一勢に押し切らんとして進むに、も耐え得ず土俵の際まで寄りしを押戻したる不意にはよけんと飛び去る体の軽きを突きての勝。
司天龍虎勇は、突き合い司天の砂が眼に入りし痛みに気を奪われて苦なく突き出さる。
岩戸川両國は、突き合いは素早く飛び込みの右足を取り投げんとせしに、は取られながらモジッて横にもたれ込みしゆえの腰砕けて団扇はに揚がりしが、同体に落ちしと物言いつきて平預かり。
金山嵐山は、押切っての勝は苦もなし。
大戸川松ノ風は、は侮りて敵に立ちを促したるよりたちまち突き出されての負は自業自得。
高千穂は、突き合い苦もなく突き出しの勝は是非なし。
常陸山鶴ヶ濱は、立ち端に張って気を挫きしもは感ぜずの左の差し手を泉川にかけ撓め出さんと寄るを、は満身に力を篭めて耐えしより面倒という風にて無理に東溜の土俵際にてネジリ出したるに、人々その力量に感じたり。
玉風一力は、の元気に一力の初めての出勤なれば勝負如何にと待つ間あらせず、二カ士は立上り一力の突きに一寸危うき所ありしが寄返して右四ツの左上手に三ツを取り合いて揉みしが勝負つかずして水となり、のち取疲れて引分け。
高見山稲瀬川は、突合いは左四ツに渡し右内掛けにて巻き倒さんとするもは必死と防ぎて効かず、間に廻り込まれ押切りての勝は危うかりし。
北海小天龍は休み。
増田川高浪は、の左差しをは巻き上手捻りを試みしもは体を寄せずかえって落とさんとするもまた効かず、再びの引落しをは付け入り押切らんと進む鼻を捻っての勝は面白し。
大纒唐辛は、立上りの左を取って一本背負に行くもは動かず上から押した力には腰砕け、九日間八日の負けにて引込んだり。
狭布里荒岩は、互いに技者とて一興あるべしとは案外にて、右四ツになるやは引きながら掬って見事の勝は一瞬間に観客呆然たり。
源氏山海山は、立上りは左四ツより合掌に仕替えは上手前袋を引きて揉合しも、解かれて相四ツとなりは釣って押出さんと二三歩足を運びたるをは体を落し右上手投げにての勝は大角力なりし。
小錦鳳凰は、立上りガップリ左四ツとなりは右上手に二重にミツを引き右上手を巻きて揉合い、一寸釣りを見せたれば寄らずもまたの為に充分に差されて仕掛けもならず只土俵の中央に仁王立となりたるまま水となり、のち双方とも仕掛けなく引分となりしは呼吸角カにて興なかりし。
・中入後、朝日嶽鳴門龍、釣って鳴門の勝。
御舟潟勝平は、御舟右を取り左は攻め合い揉み合い、何の妙手もなく引分。
岩木野鬼鹿毛は、右差しにて左は攻め合い右を入れるやは引落さんとすればは防ぎつつ左上手より前袋を探る隙を引かれしも堪え、双方押合いとなりついには釣ってもたれ込みての勝は大角力なりし。
千年川天津風右差しにて左を筈に当てしを天津は勝手悪ければもじって差し手を泉川にかけて押せば、は振って解くやすぐに一寸泉川を掛くればも引掛け捻り合い遂に千年は捻り出したり。
大見崎若島は、出鼻を早くも右にて敵の首を巻き登って右外掛けに行きしも、効かずして掛け倒れの負けは見栄えなし。

○角觝雑俎
・大番付を改良せんとの議ある由は既記を経しが、年寄中これに対して異議をさし挟む者多く、切角幕内へ登りたる力士をして直ちにまた幕下へ降す様なる次第にては東京の観客はともかくも地方の人気に障る事多く、自然営業上へ少なからぬ不都合をきたすべければ、当分のところ在来の方針に据え置き漸次改良に向かうよう有りたしと、いづれも哀願に及ぶを以て協会の役員等も情実に繋がれようやく改良励行の方針鈍りしものの如く、目下双方にて示談中。
・当場所における小錦の出来思わしからざるより、むしろ小錦を欄外横綱に落とし関脇朝汐を大関に登すべしとの呼び声多き様なるも、大関の位置は二場所負越しもしくは病気欠勤等の他みだりに貶黜せぬ規定なるゆえ、今回ただ一場だけの不成績を以て突然欄外に落とす事はあるまじく、もっとも朝汐に勝越しあらば止むを得ず小錦を欄外横綱大関に移すべけれど、目下における朝汐の成績にては未だ位置の異動を生ずる運びには至るまじとなり。
○角觝雑俎(1.22)
・今回の大相撲にて全勝を得たる幕下力士は前号の星取表にて明らかなるが、なおこれを摘記すれば御代ノ松達ノ里小佐倉常陸山の四名なり。
・番付外よりようやく序のロヘ出世したる力士都合二十二名あれど、この内将来に望みを嘱すべきものは僅々四五名に過ぎずと、体格非凡なる人間は至って少なきものと見ゆ。
・次場所に幕内へ昇進の力士は玉風岩木野常陸山の三名なるべく、幕下ヘ滑り落ちるは一力唐辛小天龍等にて、なお改正番付に依ればこの他にも数名あるべしとなり。
・今回における大相撲の収支決算は定規の通り茶屋、桟敷屋よりこの五日間に総勘定を済ますに付き、それを待ちていよいよ精算を発表する事なるが、今概算に因るも一万四千円以上の純益なりとは大したもの。
・十日間の相撲中、九日目までは大入なるに引替え十日目は真正の観客甚だ少なく近所の無銭見物連をもって埋め、いたづらに一日間張合いなき興行をするは今の世に有るまじき旧弊主義につき、十日目を両大関の顔合せに振替えなば九日目も活き、かつ十日目も相応の観客あるべきにと評する者多きは無理ならぬ事ぞかし。

先場所から番付に名前が無かった一力、なぜかこの最終日になっていきなり番付外で出場してきました。場所前の記事などを丹念に探せば何か情報があるかも知れませんが・・一説には収監されていたともいいます。ともあれ引き分け、ブランクの割には相撲を取れる体を保っているようです。大関鳳凰は小錦との大一番に引き分けて土付かずを守り、幕内最高成績を収めました。地味ながらも堅実で取りこぼしの少ない取り口が実を結びました。中入り後にも面白そうな取組があるのですが紙面の都合で読むことが出来ず、残念です。新聞原紙ならば欄外に印刷されているので読むことが出来るのですが、縮刷版では欄外の記事はカットされています。さて今場所は非常に好景気だったようで何よりです。翌日は千秋楽、江戸時代から十両以下の力士しか出場しないことになっていますが、そろそろ改善を求める声も出ています。大関だけでなく幕内全員出場してほしいところですが、この希望は42年の国技館完成までお預けとなっていきます。

明治31年春場所星取表

西大関・鳳凰馬五郎
スポンサーサイト

テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2010/08/17 22:58】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
<<明治31年春場所千秋楽 (読売新聞/明治31.1.21) | ホーム | 明治31年春場所8日目 (朝日新聞/明治31.1.16)>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。