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明治30年夏場所千秋楽 (東京朝日新聞/明治30.5.26)

○回向院大相撲
・昨日(十日目)千秋楽の勝負は左の如し。
磯千鳥大鳥は、右筈にての勝。
毛谷村最上山は、左四ツの釣りにての勝は苦もなかり。
虎勇雷ノ音は、突合いの跳ね飛ぶを透かしては腰砕けての勝。
鬼龍山千代川は、ハタキにて千代の勝は奇妙。
鶴ノ音嶽ノ越は、左四ツにての左を巻きて挑みしが、取り疲れて引分。
祗園山金山は、手四ツよりの右差しを泉川に撓めしが、極らずして引分。
鉞り谷ノ川は、突合い上手投にての勝は綺麗。
常陸山八剣は、立ち上りは直ぐにの左を泉川に撓め出したるは角觝にならず。
稲瀬川玉風は、右四ツにて挑みしがいづれも手なく中央に立往生のまま引分。
梅ノ谷岩木野は、突合い手四ツになりの寄るをは廻り込む途端、突き出されての勝。
鳴門龍淀川は、押出しての勝。
岩戸川御舟潟は、の左差しにて右上手ミツを引きて捻らんとするを、御舟は防身一方にてキタなく引分。
松ノ風は、の右上手引きをは二本差しにて寄りつつ捻り倒したり。
境嶽熊ヶ嶽は、二本差しにて寄り切りの勝。
鶴ヶ濱笹島は、の左差しを泉川に挑めしをそのまま預けて押出しの勝。
勝平淡路洋は、の左差し寄って押出したり、当日の大関に叶うとて弓を受け白ノ峯弓取りを代理して打出したり。

○軍夫招魂碑建設の寄付相撲
・力士高ノ戸が亡軍夫の記念碑建設のため相撲興行の挙ある事は去る二十一日の第一回に記せしが、右は記念碑にあらず招魂碑なり(二十一日の記事に高ノ戸が軍中にて寵用せられたるを野津中将とせしは乃木少将の誤聞、従ってその従軍せしも第一軍にはあらずして第二軍なりと知るべし)また、その後聞く所によればその建設の場所はほぼ靖国境内に決し相撲も来月六七日頃もしくは十三四日頃より岩崎家の持ち地なる丸ノ内八重洲町の空き地を借受けて晴天五日間興行に決したり、その顔触れは昨日第二回「相撲一束」の内にも記せし如く鳳凰大戸平荒岩海山小松山鬼ヶ谷鬼鹿毛高浪唐辛大蛇潟不知火大砲八陣(大阪)梅ノ谷等にして取組は木戸口に投書函を懸けて観客その他誰人にも投書せしめ多数者の希望を満たす筈なるが、興行者の胸中には梅ノ谷海山大戸平海山鳳凰小松山鳳凰大砲なども是非つがわせて見るつもりなりと。

千秋楽は例により十両までの取組となります。梅ノ谷はもちろんですが稲瀬川、鶴ヶ濱、玉風らが良い成績を残し、今後の活躍が期待されます。弓取りは代理で白ノ峯、結びの一番の勝者の代理で弓を振るという意味で、現在でも結びの一番のあと「○○代△△」という口上を行司が述べています。この白ノ峯という力士はよほど弓取りが上手かったのか、このあと大正9年まで20年以上にわたり弓取りを担当するようになります。力士引退後は世話人に転向して弓取りを続けていたそうです(;・ω・)高ノ戸念願の招魂相撲はファン投票で取組を決めるという画期的なもの、会場は現在の東京駅近辺のようですね。

明治30年夏場所星取表
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【2010/01/09 00:05】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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