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明治28年春場所千秋楽 (二六新報/明治28.1.25)

○回向院大相撲
・昨日の十日目を以て千秋楽を告げたる当場の景況一般は、前号の本紙に報道せし如く損耗を覚悟して始めたるに、案ずるより産むが安きとの譬えの如く三日目より案外客足の付きたるため無給とまで決心せし年寄共及び幕下十枚目以下の力士共へも不充分ながら給銀を与うる事になりしと伝う。
松若若島の相撲は、押合いて互いに前袋を取って睨み合い、巻き替えて右四ツ手の廻し引に揉み抜き、水入てより大揉みに揉み抜きたれど勝負のいつ果つべくも見えざれば遂に引分けたり。
・是より三役となり、知恵ノ矢朝虎は右四つに組みて挑むうち知恵が足くせを巻いて寄り倒す。
鉞り猫又は右四つに組みて競り合い、鉞り上手投げを打ちて勝。
升ノ戸淀川は、立合いにパッタリ右四つに組み、は釣らんはよらんと挑み合い、水を入れてより互いに隙を窺い合い寄らん釣らんと挑みたれど勝負の見えざれば遂にこの相撲を引分け、当興行の千秋楽を告げたり。

大戸平大碇組の花相撲
・回向院の本場所もいよいよ昨日限りにて打上げたれば大戸平大碇の一行は明二十六日より三日間陰暦の三ヶ日を当て込み多摩郡五宿のうち下布田村にて三日間興行をなし、また三十日より芝区愛宕下町三丁目にて七日間興行する由、特に本場所にて二段目相撲に勝ち誇りたる彼の若島が今回は幕の内に位置を占めたれば大碇などとの取組定めて面白かるべく、その景況は更に報道する所あるべし、なお番付面は左の如し。
大 碇 大戸平
谷ノ音 大 砲
大戸崎 大 纒
大 達 高 浪
小天龍 鬼ヶ谷
鬼鹿毛 小松山
唐 辛 大 泉
梅ヶ崎 高ノ森
響 矢 若 島

大砲の焼き芋大達の火鉢
・カ士大砲萬右衛門病気全快して出勤したるにより、御贔屓厚き華族伊達なにがしの君ことのほか喜ばせ給い、一昨夜同人を召され酒池肉林の御饗応を賜りたる上、其方もちと女色を慎まぬと折角取上げた取口も下り坂となるぞよ兎角支那兵の大砲となって東海姫氏国の美人に分捕られるから心配に相成るのぢゃ、と有難い御懇の仰せ、仇おろそかには承りませぬが私近来痳疾に罹って居りますから其の儀は大丈夫で御座ります、しかしリャンコでは毎々しくじりまして貧病が振切れず、その上親方からは叱られますので痳疾の痛みよりも余程苦しう御座ります、何卒御前様のお指図を持ちましてこの貧病退散の工夫は御座りますまいか摩利支天にも増す貴君様の事なれば仰せ通りに致しますと云うと、御前何の御分別にも及ばず、それは何より易い事ぢゃ以来給金纒頭の論なく悉皆親方に預け、其の内より毎日二十銭だけの小遣いを貰うように致せば貧乏神の渋団扇は決して貴様の方に上がらず、従って痳疾も治るようになるであろう、と仰せも待たず冠りを振り、二十銭では焼芋も満足には食われませぬ、さりとはお情けの罪科とやらだ、と大層な事を云うゆえ御前もさすがに驚かせ給い、百里の行は九十里を以て其の半ばとし八里半の芋は九里に近くして、且つ安きを以て貧乏人食事の半に宛つると聞く、もしそれ高台の御製の時分焼芋ありたらんには芋屋のかまど賑いにけりと、さこそは民の飢えたるを嘆き喞たせ給うならめ、さほど賎しき焼芋を二十銭では足らぬと云うは大砲の健啖疑うべき所ありと付き来りし者に裏問うてみると、左様で御座ります日頃おさつを頂きますに大概十三銭位は一人で参る様に御座ります、と以ての外の返答に御前いよいよ驚かれ、さらば小遣銭を三十銭に極むべしと十銭の追加を許され給いしかば大砲は大喜び、御前様は勿論の事ながら芋を温石に代える様な世間の弱虫共に俺の焼芋代が分かるものでは無い、温石何ぞ大砲の志を知らんや、と手を拍って打ち笑いぬ。
・力士大達羽左衛門は昨年の場所より元気やや回復したれど未だ山を抜く程の力とはならず、そのくせ気は世を蓋うて持ち前の天狗心を起こし、俺が真剣になってウンとやれば手に立つ者は一人も無いが、それでは愛嬌にならぬゆえ若い者に花を持たせてやるのだと威張って居れど自慢の団子棚から落ちることなきを保せず此の程の事とかやかねて出入する本所竪川通りの石材問屋服部方へ行くと主人が秘蔵の重宝すなわち百余年前角力小屋の櫓にて用いし大太鼓を火鉢に造り替えし物を出し、知っての通り此の火鉢を片手で持ち上げし力士の名は残らず此の側へ書き入れると云う、家例ゆえ周りは関取の名で埋まって居るが近くは陣幕鬼面山梅ヶ谷を始めとしてお前までも記してあり、されど是は数年前取り盛りの頃の事ゆえ今では果して上がるかどうだか試して見ぬかと云うをも待たず高慢の鼻をひこつかせ無雑作に手をかけたれど、一方隙きたるのみにして総体は畳を離れず、力火鉢をも上げられぬと云っては唐人にも相済まぬと金剛力を絞り出し真っ赤になっても其の詮なきにぞ、我ながら力量の減じたるに驚き以来しょげて居るとは笑止にこそ。(朝日新聞1.25)

勝ちっ放しの若嶋は松若(まつわか)と引き分け。この松若という幕下力士はのちに入幕、大阪相撲に移籍して横綱若嶋となる力士です。若嶋→大阪大関秀ノ海、松若→大阪横綱若嶋、というちょっとまぎらわしい関係です。元幕内の知恵ノ矢、十両に下がって負け越しも決まっていますが頑張っていますね。まだ幕下には負けていられません。横車は日清戦争に従軍のため休場していますが、星取表にはその旨が記されています。

明治28年春場所星取表


二六新報掲載の星取表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2008/03/12 21:39】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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