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明治27年春場所5日目 (二六新報/明治27.1.11)

○回向院大相撲
・一月の大相撲は、去る三日初日なるも風雪のため休日多く本日にてようやく六日目なるも、出世興行なれば贔屓連は初日より腕をさすって詰めかけ詰めかけ日々大入を占め居れり、初日以来一昨四日目までに主なるものの勝負を見るに、小錦西ノ海は流石に未だ土付かず、又昨日までの大出来は鳳凰にして初日以来未だ一日の負なく、大戸崎も上出来なりしが昨日西ノ海に敗を取れり、案外不出来なるは朝汐なるも日なお浅ければたやすくは評し難し。
海山鬼鹿毛は、立合に飛び違いざま海山左をさす右の手を敵の首に巻き左の差し手を合せて襷に抱き込みて隙を窺う、海山より寄り進むやは堪らえて寄り返さんと出て来るとたん、海山右手に高股を取て捻り倒す。
越ヶ嶽御用木は、これも立合に飛違いざま左を差す御用木その手を泉川に撓めささえながら一卜廻りするよと見えしが、は撓められし手を敵に突付けて右手に高股をとりて渡しこむ。
玉龍は、出羽ノ海に右をさして寄り出し。
高ノ戸小天龍は、はじめ手先にせり合い挑むうち、が敵を軽く見て一本背負を仕掛けたるとき、小天体をよせて防ぐとたんの後ろミツに手を掛け送り出さんとす、はこりゃ堪らぬと体をクルリと廻して手車を組み(この時場中破るるばかり騒ぎ)て窺い合うて、水を入れ元の如く組み離れては組み挑みたれど勝負のいつ果つべきとも見えねば遂に引分たり。
鳳凰大纒は、立合うやいな鳳凰より進みよりて突倒す。
大達司天龍は、立合に左手をの脇にあてる、その手を左手にて押さえ付け右手に司天が二の腕をつかみて挑む、暫時にして水を入れて元の如く組む、司天はいつまでかくてあるべきぞと突放したれど取り手都合や悪しかりけん、また元の如く組みたれど勝負見えざれば引分となる、けだしが本場初日以来退守策を発明せしか組みたるまま土俵中に突立ち毎度引分を待つものの如し、思うに勝が多しとて大関になる望みはなし、まづこうして居れば番付の下る気遣いもなしと云う様な考えでも起しはせぬか、万一それがそうなれば大達も老いたりと云わん。
千年川鬼ヶ谷、突合い互いに巻き込み挑み合ううち鬼ヶ谷左手を千年川の胸にあてて押掛る、千年川体を左右にかわしながら左手に前袋を取る、も同じく前袋を取らんとさぐり掛るとたん千年左手の力を籠めて見事に捻り倒す。
外ノ海谷ノ音、右四つに組みて挑むと見る間に、より体を寄せつつ右足を外掛けして左手を突張りて突倒す。
小錦小松山は、小松よりヤッと声を掛けながら左を掛して立掛る応といらえて同じく左を差すよと見えしが、ひたひたと寄進む小松こりゃかなわぬと土俵際にうっちゃりを見せたれど、そんならこうじゃと右の足に外掛けして突倒したるぞ是非もなき。
大蛇潟知恵ノ矢は、右四つに組み合い水入りて分。
若湊大泉は、立合すぐ左手を矢筈に掛けて突き掛る、こりゃ堪らぬとその手を取りて左に払いながら体を迫り込みて押出し。
北海一力は、立合に北海体を潜めながら足を取らんとすまう、一力そりゃいやじゃと飛び退きながら一突き突く、突かけて北海の体を立直さんとせしかどはじめに浮立ちたる足の踏みとどまらず、一力すかさず付入りて押し出す。
響升高浪を捻り倒す。
今泉大碇は、当日二三好取組の中なれば両人の土俵になるや贔屓声沸くが如し、かくて両人形の如く仕切り立上るや手先に競り合い、早くも左をさし無二無三に寄らんとす、流石のも防ぎかね寄り切りての勝となる。
朝汐天津風も当日二三好取組中一にかぞえし相撲なれば、観者のこの勝負如何あらんかと固唾を呑みて待つ間、程なく天津より立掛りて左をさして寄る、朝汐ナンノこしゃくなと云わぬばかりの面持ちしつつ引寄せ、右足に外掛けして突倒さんとして残るとたん右四つに組み、天津は左手に廻しを引き釣出さんず、このとき朝汐腰を落して残し勢い込んで上手投げをうつ、はこりゃたまらぬと足クセを巻きながら体をもたれこみたるため哀れやの体潰れて天津の勝は中々の大相撲にてありき。
西ノ海大戸崎は、立合に西大戸の左手を取りて例の泉川に撓め出す。

○力士と淋疾
・一年両度の出世相撲の前後、力士等はことごとく各地方へ出稼ぎし一年の大半はいづれも田舎で暮らすこととて、旅先のつれづれ随分遊び女買いなどする輩あるより、木石にあらぬ力士もいつか魔毒に悩まされ或いは淋疾を患い又は腫物を踏出して、あたら昔日の元気を失い、ために大切の場所に大敗を取るもの少なからねば、心ある年寄等は深く部下の力士等の品行に注意するよしなるが、昨年来淋疾を患うる者は京橋区南槇町見心堂医院にて新たに速治薬を発見せしと聞き同院について治療を求めしに、同院長も無邪気なる力士等の事とて懇切に療養を施しくれ、すこぶる好結果を得たりとて爾来同患者は見心堂医院の治療に預ることにせんと二三の年寄は云い居るよし、まづそれよりも品行の注意が肝要。(東京朝日新聞1.11)

平ノ戸は今場所から御用木(ごようぼく)と改名、江戸時代の関脇の四股名で由緒ある名前ですが白星がまだ出ません。今場所は十両でも改名によって両國(りょうごく)や不知火(しらぬい)といった名力士の四股名が復活しています。不知火は大阪相撲では年寄名として使われており現在に続いていますが、東京相撲では単なる力士名です。土俵上、鳳凰と大纒の全勝同士の好取組でしたが勝ったのは鳳凰。大砲が休場して西方はまた寂しくなりました。

明治27年春場所星取表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2007/12/28 00:14】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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