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明治20年夏場所初日 (毎日新聞/明治20.5.17)

・回向院大相撲は昨日初日にて、中々の景気なり。
鬼ヶ谷常陸山は突あううち押出して常陸の勝。
平ノ戸上ヶ汐は場内何となく人気だちたり、さて力士は充分に仕切り立上りは左を差し押出さんとせしに、上ヶこれを泉川に極め揉み返さんとあせるうち解けんとするを上ヶトッタリに行きしが残りし故、今度は小手投を打ちしもは其の手を預け右足にて内掛に行きそのままモタレ込んで見事に平ノ戸の勝となりしより場内は一時に湧き出し暫時喝釆のなりは止まざりき。
鶴ヶ濱真鶴は、前相撲同様定めし面白き事ならんと思いし如く、力士は立上り突合ううちはヒネリを行いしが残され、左を差し押し行く所をは左足を内掛に行き、残して左四ツとなり互いに上手下手投を打ちしが水入り再び揉合うて本四ツとなりは二三度投げを試みしも残されしかば、面倒なりとや思いけん、右上手を引き左足を敵の股に入れ大左股にて真鶴の勝は感心感心と云うばかりなりき。
知恵ノ矢高千穂は突出しての勝。
鞆ノ平伊勢ノ濱は、立上り際一つハタキたるに伊勢はヒョロヒョロとする所を押し出しての勝。
真力一ノ矢は左四ツ、ヨリての勝。
剣山千年川は、押出して剣山の勝。
朝日川嵐山は立上り左四ツとなり、は遮に無に押行きは踏越したらんと思いしに、ウッチャリてに団扇上がりたるも物言い付き預りは当然。
海山若湊は立上り突合ううち、は首投げに行きスッポ抜けとなりしかばはこれを立て直さんと思う間もなく、後ろより突出して若湊の勝は実に望みある力士というべし。
千羽ヶ嶽西ノ海はヨリ倒して西の勝。
大鳴門相生の取組には最早土俵ランプを灯し、四本柱には高張を付けし程なりし、力士は充分互いに隙を狙い立上り突合ううち左四ツとなり、互いに攻合いはカタスカセに行きしを鳴門はこれに掛かりながら敵をネジリ、鳴門は膝をつきは両手をつきたるより物言となりければ、粂川等の四本柱及び行司も残らず出で東西の力士に掛け合い、ついに土俵だけ預となりしが、なお此の勝負につき会所に於て評議を開く事になり此の物言中ほとんど一時間ほどを費やせり。
廣ノ海大達はハタキ込んで大達の勝にて打ち出したり。

・此の日、副島宮中顧問官安藤議官柴原山形県知事を見受けたり、同社会は当場所より改正規則に基くとの事なるより、此の日土俵にランプ高張を灯するまで興行するが第一に改正の規則かなどと観客人中つぶやきたる人ありしが是れ等はほんの悪口、何か事故ありて中頃休み其の後も始終勝負に揉めありし等のため遅くなりしにて二十余年前、旧千羽ヶ嶽國見山の相撲の時にも土俵へ高張を付けし事ありしが爾来高張を付けしかも八時二十分頃ようやく打出しとなりしは昨日が始めなりと、もっとも同社会より其の筋へ出せし規則はいまだ認可あらざるよしにて、認可の上は取締組長の名を改称し実行するという。
・また大達はにわかに千賀ノ浦の養子となり一昨日右の披露をなしたり。
○日本村の力士と俳優
・去る十七年十月中、英国倫敦に赴むき日本村の見せものとなり居たる力士千鳥川(徳島県宮本浪之助)熊ヶ谷(福岡県辻与一)俳優東京府市川幸造の三名は去る八日長崎へ帰着したり、同人等が話しによれば最初六ヶ月間ばかりは大当りにてありしも、のちようようと衰え到底糊口に迫る勢なるを以てこの度にわかに帰朝せしなりという。

この日も物言い等が多くて途中の取組をスッ飛ばしたようですね。それでもランプや提灯を持ち出すくらいに日が暮れてしまいました。当時の照明ではかなり薄暗かったことでしょう。最後のニュースは大相撲とはあまり関係無いかも知れませんが、海外へ一旗揚げに行って苦労した無名の力士達の記録です。

明治20年夏場所星取表
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【2006/12/18 23:01】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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