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明治18年夏場所2日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.5.23)

○回向院大相撲
・昨日二日日の相撲は、暫らく降雨のため休業せしより観客の待ち兼ね居たる事なれば、すこぶる上景気にて貴顕紳士の来場も多かりし。
八幡山増位山をハタキて勝。
海山上ヶ汐は観客の気入よく、まづ力士は立上り突掛け右四ツとなり揉合し後、上ヶ汐は得意の「カワズ」に行かんという気込みなるも海山は腰を引て敵の得手を防ぎ大相撲となり、水入りしのち勝負なく引分けたり。
高千穂浦風は、難なく押切て高千穂の勝。
大鳴門廣ノ海に勝ちしはズブネリなり。
西ノ海智恵ノ矢は突掛て後、西が例の泉川にて極め出し勝。
・今度梅ヶ谷の門人となりし西京上りの四ツ車綾浪は、四ツ車の評判高きよりどんな関取ならんと観客は其の取口を見ばやと待ちかまえし程なりしが、綾浪は左を差して寄りし時四ツ車は余程堪えしがついに踏切り綾浪の勝は初日以来綾浪の出来上々と申しべし。
千羽ヶ嶽柏戸は、押切て千羽の勝。
高見山友綱は、突張り合ううち双方踏切しも友綱の方早かりしとて団扇は高見に上がりしも、物言い付て預りとなれり。
鶴ヶ濱鞆ノ平は、左四ツにてが遮に無に寄るをはウッチャリ、に団扇上りしが同じく物言い付きて預り。
大達綾瀬川は左四ツにて揉み合いし後、首投に行き大達の勝。
剣山出釈迦山をハタキ込んで勝を得たり。

○戸田川庄吉の話
・力士戸田川、本姓濱田庄吉なる者、四五日前紺育より香港に来りたるが此の者の話によれば十五年の夏種々の芸人を以て組織せし同行十五人にて(此の中にはしばしば新聞に記載せられたる荒竹幸次郎も在り)渡航し、先づシカゴに至りそれより道すがら彼所是所にて興行の末ついに紐育に達し、或る興行連の親方に雇われ該地及び其の近傍にて相撲やら足芸やら其の他種々雑多の事をなしたるは数十回にして、初めの程は著しく評判を取り新聞等にも仰山に書き立たる位ゆえ随分利益もありたりしが、仲間の不和等より近来に至ては評判も地に墜ち雇をも解かれ、同行十五人散り散りに成り果て、とても銭を得るの目的なきより此の地に来りたりとの事なり、また右の一行がルイジアナ州の首府ニューオルレアンスにて興行の節、荒竹が相撲の遺恨より戸田川を殺さんとして一大騒動を出かしたる事ありと、現に戸田川の顔面に数ヶ所の傷痕あるは其の際小刀にて衝かれたるがためにて、一時は生命も覚束なき位なりしが、幸いに今日あるは相撲運の未だ尽きざる事なるべしと話せり、又戸田川は此の地にて二週日後白人と取組む事に約定整いたりと、其の給料は一週五十弗にて勝てば百五十弗を与え毎日日本流一番、西洋流二番、都合三番づつなりと聞く、戸田川はもし今度の相撲にて運よく勝つときは姑く此の地に止り白人と優劣を較し、日本力士の腕前を顕さんなどと威張り居るが、予の観る所にては先づ力士中の小男なれば其の言う所の口舌程に腕の働きは難しからんが、此の戸田川伊勢ヶ濱の弟子なりと云う。

雨が続いたようで約1週間ぶりの開催です。四ツ車(よつぐるま)は京都相撲の前頭だった力士で、番付外として登場。目につくのは戸田川(とだがわ)の記事ですが、これは相撲史というよりプロレス史の方に名前が残っています。特に同行した荒竹(あらたけ)はソラキチ・マツダと名乗り日本人初のプロレスラーとして有名です。仲間割れや傷害事件も起こしていたんですね。異国での興行はどんなに苦労の多かったことでしょう・・・紺育はニューヨークのことです。戸田川はのちに帰国して日本でレスリングやボクシングを興行、日本人初のボクサーとも言われているようです。
アメリカーナ.com(プロレス世界史年表)

明治18年夏場所星取表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2006/10/14 11:54】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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