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明治31年春場所4日目 (東京朝日新聞/明治31.1.10)

○回向院大相撲
・昨日(四日目)は日曜日にて天気晴れ渡りたるが上に前日の大角力ありしため、人気すこぶる加わりて見物ひしひしと押し掛け場中は人を以て埋むるばかりなりし。
小西川朝日嶽、突落して小西の勝。
鉞り利根川は互角の技量なるが鉞りは突掛けをすかしてハタキ見事に極まり利根の負は大失敗。
両國谷ノ川は、突きとハタキ合いとにてついに突出して勝ちしは呆気なし。
鶴ノ音熊ヶ嶽は双方劣らぬヘタ角力、茄子程の力瘤を出せしも動かず相四つのまま一遍廻ってようやくの外掛け奇妙に極まりての負は見栄えなし。
鳴門龍常陸山の人気ますます加わり、立つが否やより進んで右四つとなりたちまち釣り出しての勝は充分の力入らず相手になりしは不運なり。
松ノ風勝平は好取にて、立ち上りは素早く敵の懐へ飛び入り手先内枠に行きしが、の踏ん張りに残され差し返す間もあらせず寄り倒しての勝は延びある徳の致す所か。
稲瀬川岩木野は、敵として優劣なき取組なりしが互いに突合い岩木の突落しには土を舐めしは苦し、岩木いまだ土付かず。
鬼鹿毛増田川は初日以来いずれも一番勝の相角力、は出鼻を一寸蹴たぐれば増田は片手土を握る。
天ツ風大見崎は、立ち上りの左を差さんとの進む鼻をトッタリに掛けければは丸き体を転がしたり。
鬼ヶ谷越ヶ嶽は、の左差しを泉川にかけすでには危うかりしが、左外掛けにて解き右差しにて渡し込みの勝は手際にて鬼頭大臣との賞声も聞こえたり。
小松山大蛇潟は、前日の海山より軽く見て呑んでかかり、右四ツに渡り合いしがたちまち釣って勝を占めたり、大蛇以前の小松山にあらず。
不知火狭布里は、右四ツにて挑みしがやがて不知は十八番の捨て投げ見事に極まりて不知の勝は手際なりし。
大戸平源氏山は当日の好取組にて、大戸泉川に行くもは解きて手先攻め合いより変わって右四ツにしかと組み合い、より下手投を試みれば大戸よく防ぎ、水入後より釣舟に行くも大戸は二本を突張りて寄せ付けず、ついに取疲れ引分となりしは七分大戸三分の働きに見えり。
荒岩北海は、立上りは左を差しは上より巻き、右差しにて一斉に寄るを廻り込まれ反対にの右差しにてすでに寄り切らんとせしを辛くも寄り返して押切らんと進むその矢先、は無理に捻り倒したる力は幾千あるにや満場の喝采を博したり。
梅ノ谷朝汐、場中幾千の観客を招きしはこの一番にて、両力士は悠々仕切りて立ち上り、の左差しを巻き左差しにて寄るを、は寄らせじと腰を引けばは右の引掛けにて押さえつつ矢筈にて寄り切りの勝は是非もなし。
鳳凰當り矢は、立ち上りの突きにの体浮きて苦なく突き出されたり。

日曜日で大盛況です。十両では下手相撲とかナスほどの力瘤などと書きたい放題(;・ω・)大戸平vs源氏山は平幕に下がってしまった花形力士同士ですが、元気な好勝負を見せてくれました。朝汐は三役の風格、堂々と梅ノ谷を退けて4連勝です。大関鳳凰も當り矢を簡単に下して4連勝。

明治31年春場所星取表
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【2010/02/24 23:57】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治31年春場所3日目 (朝日新聞/明治31.1.9)
○回向院大相撲
・昨日(三日目)は申し分なき好天気なるに、かてて加えて前日来付け込みの総見物多く、場内立錐の地もなき大入にてありし。
淡路洋鬼龍山は、突きの一手にて淡路突出さる。
高千穂嶽ノ越は相力士、左四つの挑み合いにてはついに押出されての負は残念。
雲採虎勇は、右四つより釣っての勝。
司天龍御舟潟は、互いに秘術を尽くしてもみ合いしが、御舟司天の矢筈を外し御舟の勝は手際なりし。
金山岩戸川は、立上り岩戸の左を引張り込み泉川に行きしが、はこれを解きてすぐに突張りての勝は拾いものなり。
境嶽勝平は、芽出しのに手練の勝平、互いによく働きしが二度の出端をは突張り突き離しての負けはに似気なし。
八剣は幕下の好相撲にて、が二本を差して一斉に押切らんと急るを、は一心に防ぎたれどは押さえ掛け寄切りにて勝を占めしは天晴。
増田川鶴ヶ濱は、立上りの鉄砲には受身となりヂリヂリ退く、此方は気を倍し左筈にて押切りの勝は骨折らず。
玉風若島は、の元気にの回復いずれの勝と定めかねしが、の立ち後れをは隙なく突きついに突き出しての勝は角力にならず。
外ノ海天津風は、の二本差しを天津の片閂にて絞りつつ寄り出さんとせしが動かずして水となり後、右は殺し合いて二三合揉み合いしが、果てしなくして引分は五分五分。
千年川唐辛は、千年の出端には右手を引込ませ一本背負に行きしが千年の体量の重きにしばし猶予のありしかば、千年は上より左手を伸ばしの内股取って引きたればは腰砕けて押し潰され様の悪さよ。
北海高浪の突張り強く、は東溜りの隅にて今一足という一刹那、は捨て身にて勝を占めしは僥倖。
源氏山松ヶ関は、突掛け角力にて体が合えば手四ツとなり離るれば突掛けのニ手にて、ついにの勝は興なし。
當り矢大砲は、の右筈にては平押しに押され土俵際にて突離しの勝は小児を弄ぶに似たり。
黒岩大戸平は、の足に癰の発して治療中ゆえ休み。
逆鉾不知火は、立上り不知の左手を取りトッタリに引くを、は敵の右を殺しそのまま預けて押行けば不知は寄り返す暇なくして寄切りの勝は造作なし。
大蛇潟海山は喝釆に迎えられ土俵に上るやマッタ数回にて立上り、最初左四ツよりは右前袋を引きは左を巻き投げを打ちしが敵は大兵ゆえよく防ぎて効かず、水入後取り疲れて引分は大角力なりし。
小錦梅ノ谷は、の人気に場中は拍手喝釆しばし鳴りもやまざりしが、両力士は悠々と場に仕入りゆたかに立上りて、の突きをは頑として動せずたちまち右四つとなり、離れてが左をさす出端をが引掛けて捻りたる力には堪え得ずコロリと倒るるや否や、場中総立ちとなり羽織帽子は雨あられの如く飛散り喝釆割るるばかりにて十分間余も静まらざりしは近来の大角力にてありたり。
・中入後、岩木野松ノ風は好取組にて、相四ツに挑みの左をさし替える途端がひねっての勝はの不覚なり。

黒岩は足のできものが化膿したのでしょうか、休場となりました。現在でいう大戸平の不戦勝といったところですが、当時のルールでは両者休みとなります。新聞記事にこうして休場の情報が出るのはこの時代まだ珍しいです。不知火は注文相撲で軽量逆鉾に挑みますが速攻に敗れ、元気者を止めることは出来ませんでした。梅ノ谷は小錦に挑戦、体力を生かした相撲で初金星を挙げて場内大騒ぎとなりました。これぞ番狂わせ、時代の分かれ目と言っていい一番かも知れません。小錦はこの後引退まで梅ノ谷には勝てなかったのです。

明治31年春場所星取表

西前頭5・梅ノ谷音松

テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2010/02/07 00:05】 | 大相撲 | コメント(2) | page top↑
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