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明治31年春場所2日目 (朝日新聞/明治31.1.8)

○回向院大相撲
・昨七日、ニ日目は朝来の陰雲さらに晴れず、今にも六出霏々として降り来るべき模様なれば、観客の足取り如何あるべきと思いしにも似ず正午頃より蒼空の見ゆるにつれ陸続入場する来客ありて前日に劣らざる景気となりたり。
鶴ノ音利根川は、突合いのハタキに利根泳ぎながら付け入りたればの体土俵を割り負となる。
鳴門龍両國は、下手に突き入りての下を防ぐ鼻を、頭捻りに行きしが反られて効かず、却っての頭捻り極まりての勝は力の優りしによる。
勝平谷ノ川は、例の手先にてあしらい足取りに行かんとするを、は突掛け切らんと進む、素早く体をかわしてすかさず早くハタキ込んでの勝は、の大得意。
松ノ風常陸山は、常陸の呼声に迎えられつつ両力士とも土俵に上り、は念入りに仕切りたるがは三分も土俵を譲りて仕切り、やがて立ち上るや否や苦もなく撓め出しての勝、この場所怪我負なくば全勝疑いなし。
熊ヶ嶽は、の左差しを上より襷に取って持ち出したるは段違いの働きなり。
稲瀬川岩戸川は、無造作に押切っての勝、初日の失敗を漸く取返したり。
唐辛岩木野は、堅くなりて容易に立たず、やがて立つや否は右四つになりが左を差さんと注文中すぐ引落としての勝は呆気なし。
小松山高見山は、二三度突き合いの釣りをは右外掛にて防ぎつつ土俵際にて棄て身に行きしが、すでにの体はなき後なりしとてへ団扇上がりしも、物言い付きて丸預となる。
鬼鹿毛狭布ノ里は、例の片合掌にて捻らんと焦るを、は左差しに右を当て防ぎしが、は満身の力を極めて振りたるに敵し難くアワヤ西溜りの隅へ投げ付けられんとする一刹那、は右足を働かせし二丁掛け甘くも極まりては反対に打負かさる、の涙とはこの事を言うらん。
松ヶ関外ノ海は、の出鼻をは一寸の両腋に当てつつ押すを、は差し手を伸ばして取らんとする力の入りし呼吸を計り引落しての勝は綺麗。
大碇玉風は、の元気との久々振りとにて観客は脇眼もふらず見詰めるうち、両力士突き合いは釣って持ち出すを、は耐えつつ体を落して下手投げ極りて見事に勝を占む。
鬼ヶ谷若湊は、突合いの懐に入らんと狙うも、嫌わず突き出しての勝は回復著し。
荒岩大蛇潟は、立ち上りハタキたるが敵は大兵、よく泳ぎたるも組み付くが早いか掬っての体は横に臥す。
不知火朝汐は、手練の不知も相手は東の剛者、足を取って返さんとすれどはウンと踏み耐え上よりミツを取って上手に捻りたれば不知はたちまちコロリとなる。
鳳凰大見崎は、大見の突き手を手繰って泉川に掛け、苦もなく土俵外へ撓め出したり。
・中入後、境嶽八剣は、得意の釣りに行きの体は浮き出したるが、踏切りありて物言いの末丸預り。
鶴ヶ濱金山は、の逆捻りに金山の負け。

幕下の常陸山は十両上位との対戦を物ともせず、怪我負けつまり不覚さえ取らなければ全勝との記者の見込みです。東西新小結や梅ノ谷など新しいスターが顔を揃えてきて観客の人気も上々のようですね。元大関の大碇、京都相撲へ脱走していましたが1年半ぶりの復帰。番付外なので通例に従い2日目からの登場です。注目を浴びる中で攻め込みましたが十両玉風に負け、往年の力は戻っていないようです。

明治31年春場所星取表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2010/01/29 23:14】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治31年春場所初日 (東京朝日新聞/明治31.1.6)

○回向院大相撲
・昨五日の初日は、陰晴不定の天気なりしにも拘わらず観客の入場七分以上ありて好景気なりし。
怪力嶽ノ越は、手練の苦もなく押切っての勝。
岩戸川境嶽は劣らぬ角力、の突手に岩戸は負。
千代川改め高千穂御舟潟は、御舟例の下手に入りしが血気のに振られて負。
金山松ノ風は、の片眼敵の隙を窺知し能わぬか、の押しに踏み切りての負は是非もなし。
岩木野高浪は、のニ本差しを左片閂にて捻らんとするも、は耐えて押切らんとする途端、は一寸体をかわし左内掛けにて捻りの勝は老練なり。
増田川鬼ヶ谷は、立上るや否やの突き手には土俵の外。
當り矢鶴ヶ濱は、立ち上り突合いの左差しにて防ぐを當りは諸筈にて寄りつつ左筈にて見事に押切ったり。
千年川谷ノ音、二三年振りにての顔合せ、千年が右差しにて左を当てしをが寄って諸差しに行き、千年の進み寄る体の軽きを諜りて捻りの注文極まりての勝は順当なり。
源氏山若島は、はやや立ち後れしも角カ上手の事なれば直ちに懐に飛び入らんと進むを、は二三度ハタキしが効かずして左四つとなりて挑み合い、水入後取り疲れて引分はの強きかの劣れるなるか。
大見崎(玉龍改名)大戸平は、大見の右差し大戸は左を巻き右差しにて振り出さんとせるも、大見はよく防ぐより大戸はもたれ込んで勝を占めしは流石なり。
大蛇潟大砲は、体格共に似た角力にては下手に入り二本差しに組むを、は閂にて絞らんとあせれどは解けて左筈になりの差し手を防ぎたるが、の猿臂はたちまちの左を取りて挑みぬ、されどの体は動かず水入後引分は面白し。
逆鉾小天龍は、突合いの一手にて小天は西溜りへ落ち入りたり。
北海海山は、立ち上りは小手投げに行くをは危うく残して直にの浮き身を押切らんと進むを、は体を廻して防ぎつつ尚進むの左差しを掬って見事の勝は関脇の貫目確かに見ゆ。
小錦不知火は、不知の懐に入らんとするをは突きつつ押切りの勝は苦もなし。
・中入後、常陸山稲瀬川は、の左差しを諸手に軽く振ればの体飛んで西溜りへ落つる有様、鞠かとぞ疑わる。
大纒鬼鹿毛は、の右差しをは左に巻いて内掛に行きしも、は素早く解きて寄切らんち進む途端、の逆投げにて見事に極まる。

・当場所は非常の好景気にて、勧進元と関取とへ贈られし幟は九十六本の多きに及び、また東西の桟敷上等場所は既に売り切れ、総見物の付け込みおびただしと。
・今度の番付にて評判の幕下力士常陸山は東の十一枚、国見山は二十一枚、錦山は三十六枚目にいずれも昇進せり。
・一時協会を脱走したる一力は、新番付に出でざるも初日より再び出勤し、また大碇はなお帰京せざれど四五日頃より出勤の運びに至るべしという。
・例の物価騰貴のため、本年より木戸札大人十五銭小児十銭に引き上げたり。(1.5)

新年を迎えて、新しい場所が始まりました。番付では東西に新小結、前年に旋風を巻き起こした期待の逆鉾と荒岩が並んでいます。新入幕は梅ノ谷が大抜擢の5枚目に据わりました。常陸山は幕下11枚目との事ですが、当時まだ十両と幕下の区別があいまいで、十両もまた幕下の一部という認識がありましたので、この11枚目というのは十枚ある十両のすぐ下、現在でいう幕下筆頭という地位に当たります。並び称される国見山、のちの大関です。錦山は出世できませんでしたが当時としてはアンコ型で、期待されていたようですね。初日取組、まずは順当な結果でした。

明治31年春場所星取表
【2010/01/21 23:15】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所千秋楽 (東京朝日新聞/明治30.5.26)

○回向院大相撲
・昨日(十日目)千秋楽の勝負は左の如し。
磯千鳥大鳥は、右筈にての勝。
毛谷村最上山は、左四ツの釣りにての勝は苦もなかり。
虎勇雷ノ音は、突合いの跳ね飛ぶを透かしては腰砕けての勝。
鬼龍山千代川は、ハタキにて千代の勝は奇妙。
鶴ノ音嶽ノ越は、左四ツにての左を巻きて挑みしが、取り疲れて引分。
祗園山金山は、手四ツよりの右差しを泉川に撓めしが、極らずして引分。
鉞り谷ノ川は、突合い上手投にての勝は綺麗。
常陸山八剣は、立ち上りは直ぐにの左を泉川に撓め出したるは角觝にならず。
稲瀬川玉風は、右四ツにて挑みしがいづれも手なく中央に立往生のまま引分。
梅ノ谷岩木野は、突合い手四ツになりの寄るをは廻り込む途端、突き出されての勝。
鳴門龍淀川は、押出しての勝。
岩戸川御舟潟は、の左差しにて右上手ミツを引きて捻らんとするを、御舟は防身一方にてキタなく引分。
松ノ風は、の右上手引きをは二本差しにて寄りつつ捻り倒したり。
境嶽熊ヶ嶽は、二本差しにて寄り切りの勝。
鶴ヶ濱笹島は、の左差しを泉川に挑めしをそのまま預けて押出しの勝。
勝平淡路洋は、の左差し寄って押出したり、当日の大関に叶うとて弓を受け白ノ峯弓取りを代理して打出したり。

○軍夫招魂碑建設の寄付相撲
・力士高ノ戸が亡軍夫の記念碑建設のため相撲興行の挙ある事は去る二十一日の第一回に記せしが、右は記念碑にあらず招魂碑なり(二十一日の記事に高ノ戸が軍中にて寵用せられたるを野津中将とせしは乃木少将の誤聞、従ってその従軍せしも第一軍にはあらずして第二軍なりと知るべし)また、その後聞く所によればその建設の場所はほぼ靖国境内に決し相撲も来月六七日頃もしくは十三四日頃より岩崎家の持ち地なる丸ノ内八重洲町の空き地を借受けて晴天五日間興行に決したり、その顔触れは昨日第二回「相撲一束」の内にも記せし如く鳳凰大戸平荒岩海山小松山鬼ヶ谷鬼鹿毛高浪唐辛大蛇潟不知火大砲八陣(大阪)梅ノ谷等にして取組は木戸口に投書函を懸けて観客その他誰人にも投書せしめ多数者の希望を満たす筈なるが、興行者の胸中には梅ノ谷海山大戸平海山鳳凰小松山鳳凰大砲なども是非つがわせて見るつもりなりと。

千秋楽は例により十両までの取組となります。梅ノ谷はもちろんですが稲瀬川、鶴ヶ濱、玉風らが良い成績を残し、今後の活躍が期待されます。弓取りは代理で白ノ峯、結びの一番の勝者の代理で弓を振るという意味で、現在でも結びの一番のあと「○○代△△」という口上を行司が述べています。この白ノ峯という力士はよほど弓取りが上手かったのか、このあと大正9年まで20年以上にわたり弓取りを担当するようになります。力士引退後は世話人に転向して弓取りを続けていたそうです(;・ω・)高ノ戸念願の招魂相撲はファン投票で取組を決めるという画期的なもの、会場は現在の東京駅近辺のようですね。

明治30年夏場所星取表
【2010/01/09 00:05】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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