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明治30年春場所7日目 (東京朝日新聞/明治30.2.16)

・昨十五日(七日目)も相変わらず紳士及び各区消防組の総見物ありて場内余地なき大入なりし。
雷ノ音梅垣は、が元気にはね廻り過ぎて自ら踏み出しの勝となる。
鉞り淡路洋は、淡路が寄身に行くを鉞りが透かし淡路の腰砕けの勝。
御舟潟嵐山は、が撓め出さんとするを御舟は小手投にて見事に勝。
勝平玉風は、の付け入るをが潜りて足を取らんとせしもの矮駆なるため得意の手も利かず、はこれを外して逃げ廻るうち突きを極めたれど当らず、かえってに突出されての負。
黒岩鶴ヶ濱は、いづれも出世角力にて面白き取り組みと思う間もなくは両差しにて釣出したり。
松ヶ関唐辛は、が強敵と見て十分注文をして立上り、片手車にて防ぎつつ片手内枠に行くと見せての右手を手繰り込み負い投げを打ちしを、に否まれて極らぬまま反りての勝は好相撲。
増田川小天龍は、突合いてのち増田の張り手に小天は焦立ち、烈しく突出す鉄砲を増田が引き外す途端、小天は腰砕けて増田の勝。
当り矢高浪は、当りの左差し右筈にて押したるをは堪えかね遂に押切られたり。
大纒大蛇潟は、の左差しを巻き左筈にて競り合ううち、は押寄せられて危く見えしが辛くも寄り返して寄倒し、の勝となりしは大出来。
若湊谷ノ音は、の右差しをは右筈にて押切らんとし、はよくこれを防ぎたればは素早く右手を首に巻きつけ足癖を以て倒さんとせしに、かえって体の崩れてさきへ落ちしため団扇はに揚がりしも、物言いつき検査員にて評議の末預りとなりしが、行司木村瀬平は先にが膝を突きたりと主張し遂に星はのものとなる。
鳳凰朝汐の右差しをは諸に差して寄り行き土俵際にて下手投を打ちたるに、はこれを堪えたのが仇となりの力を借りて見事に逆の上手投を行きの勝となりぬ。
小錦海山は、の諸差しをは左差しにてしばし挑みしのち、が押すためは危く見えたるもやがて得意の合掌の代わりに右を巻き左差しをそのまま腋の下へ繰り上げて片捻りをきめしため、の体は横ざまに捻り倒されたり、この時満場大々喝釆。
・(中入後)横車鬼鹿毛は、が例の釣り出しを掛ける間もなくは右差しを抜き替えて首投を行き勝を占めたり、是れ本人得意の手なり。
岩木野梅ヶ崎の右四ツをは諸差しにて競り合い、次いでの寄るをは危く残して棄て身に行き勝となる、この時場中大喝采。
雷山荒岩は、の右四ツをは左差しにて行きて下手投を打ち、はこれを残したれどこの時すでに体浮き立ちしを見てはすぐに廻り込み、遂に突出して勝を占めたり。

梅ノ谷を破った勝平は玉風と対戦、玉風も後に三役に定着する名力士、太ってはいますが背が低いため勝平が取りにくそうです。それでも勝ち切って名物十両力士の面目躍如。幕尻同士の対戦は唐辛、一本背負いに行って決まらないため後ろもたれで勝つとは何とも自由自在な取り口です。不調で存在感の薄れていた谷ノ音は得意の河津掛けがかろうじて決まり3勝目。絶好調海山はとうとう小錦も倒して大関級の強さを見せつけます。小錦は3敗目となり入幕以来かつてない不成績となってしまいました。

明治30年春場所星取表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2009/04/21 16:57】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年春場所6日目 (東京朝日新聞/明治30.2.16)

○回向院大相撲
・一昨十四日(六日目)は日曜日に加え前日三大関の失敗せしと同日三四の好取組ありしため近来稀なる大入にて、実に立錐の地も無きほどなりし。
岩戸川唐辛は、例の突合い烈しく右四ツに組みしがたちまちもつれ岩戸の攻め来る鼻をは潜り入り、釣りに掛けて勝ちしは妙。
鬼鹿毛不知火は、の得意合掌にて捻り落さんとせしに不知も去るもの注文通りに行かず、抜き替え片閂より小手投を打ちしが残って不知が打ちし下手投をは浮きながら耐えしも、不知の押切りには外不知は内。
狭布里横車は、立ち上り右の相四ツにて挑みしが例の櫓にて勝ちを占む。
梅ヶ崎當り矢は、敵の左手を手繰りて立上り、互いにハタキて赤ら顔となり、が矢筈を掛ればは外し又ハタキ合い、入り乱れの狂い相撲にて遂に當りは手繰り出されての勝。
荒岩大纒は五分の相撲と評する間もあらせず、の下手投げ極まっては倒る。
天津風響舛は、は右四ツにて釣ると見せもたれ掛り寄り倒して天津の勝。
海山逆鉾は、体格取り口の似たる角觝にて当日の呼物なれば場中やかましき中に両力士は見事に仕切りて立ち上り、の右差しをは小手投にて極めんとせしもは引き外し右手を抜き替る時、はすかさず突掛け行き外掛にての勝、この手は四十八手外の掛け落しという手なりと。
鳳凰越ヶ嶽は、の右差しにて掛け寄るための体危うく見えたるが、寄り返してアビセ掛けるをは捨舟に行きかえって腰砕けてに勝を与えしに、溜りに控えし響舛は同体に落ちしと苦情を云い検査役の協議となり、およそ三十余分間も問答に時を移したるのちようやく埒開きの勝。
・(中入後)梅ノ谷勝平は、の手取りながら飛び込みて爪取りしが当らず、今度はすぐに片手枠に行きての勝。
楯甲増田川は、の掛け倒れにての勝。
小天龍雷山は、互いに突合いはすべって腰砕け小天の勝。
高浪岩木野は、左相四ツにてより投げを打ちしも残って寄合い、取り疲れて水となり水入後も双方大事を取って動かず引分。
大蛇潟松ヶ関は、左四ツの揉み合にて互いに寄切らんとしてアセリて取り疲れ、水入後引分は飽き足らず。
大砲朝汐は当日第一等の呼物にて、の二本差しに行くをは右手を泉川に撓めて押出さんとし、は鋭く寄り進みてを土俵の詰に押しつけしも、はようやく耐えて寄返し土俵の中央に仁王立ち、相撲やら木石の造物やら、動きもせず仕掛けもせず水入後も行司の組みたるままにて引分は双方とも横着なり。
大戸平若湊は、前日を倒したるの事とて呼声高く、もこれに元気を添えてよく突掛け右四ツにて寄り出さんとするを、大戸は寄り戻して大戸の勝。
谷ノ音小錦は、の突き手には寄り付く隙もなく逃げつつ防ぎ居りしが、が諸手の突きに溜らずの体飛んで東溜りへ落ちぬ。

海山に逆鉾、花形同士の対戦は熱戦で盛り上がりました。掛け落としは前に攻めながら外掛けで倒すといった感じでしょうか。27歳の新関脇海山は5勝1敗と好調で脂の乗りきった感があります。勝平は長く十両に定着していますが、現代と比べてはるかに体格の小さい当時の相撲界にあってなお小兵、肥満型の梅ノ谷戦は潜り込んで足を取り快勝しました。将来の名横綱も小兵のスピードと技の前になすすべ無かったようですね。前日は1横綱2大関が全員敗れる波乱でしたがこの日は安泰。

明治30年春場所星取表
【2009/04/14 10:32】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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