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明治29年夏場所9日目 (東京朝日新聞/明治29.5.30)

○土俵のかずかず
高浪梅ヶ崎は、の左四ツにて押切るを詰にてうっちやりの勝。
唐辛玉龍は面白き取組にて、の一本背負をは二度まで残し水入後引分け。
若湊一力は、のはたきをは泳ぎながら右足を取て引倒さんとせしも利ず、水入後引分は案外の大相撲。
外ノ海鬼ヶ谷は、のはたきて巻かんとするをは外して敵の体崩れしに付入り送出すを、寄り返さんとしたれど功を奏せず鉄砲にての勝。
天津風海山は、が矢先はたきをは泳いで右四ツとなり、左差の逆投げにての勝は見事見事。
鳳凰小松山は、の右差に小松は手も出されず難なく押出されたり、これにて鳳凰は九日間土つかずと決まり時事新報社の賞牌をもらう旨行司は披露せり。
大碇小錦は、の引落しを残して突張りたる時、一寸が危うかりしもすぐに寄返して突出したり。
松ヶ関岩木野は、手四ツより片手車にて睨み合い、相四ツに成りて遂に引分。
荒岩高ノ森は、の左四ツを崩さんと足を取る時、体を引きながら引落しての勝。
横車鬼鹿毛は、が十八番の左四ツに渡られて遂に釣出されの負。
逆鉾不知火は、少し立ち遅れしもすぐ二本差にて押切り、おまけに詰にて一寸釣り邪険にも土俵の外へ投げ付けしは何か遺恨でもある事か。
若島大蛇潟は、本日第一の大相撲にては右上手大蛇は左の前袋を取り、釣りと投げとの力競べ、水入後は二本差し大蛇は右差にて揉合いしのち遂に引分。
越ヶ嶽楯甲は、の右差をは右に首をまき左をさして外掛に行き巻き倒したり、のこの手は外掛崩るればすぐに首投に行くべき両天秤の妙手なりき。
源氏山谷ノ音は、突合いての飛込むを素早く肩透しにてはたき落したり、これにて源氏も九日間土つかず時事新報の賞牌を得たり。
朝汐大纒は、右四ツにて苦もなく押出しの勝は呆気なし。

九日間きれいに全勝した力士はいませんでしたが、鳳凰が1預かり、源氏山が1分け1預かりの他すべて勝ち続け、新聞社から賞を受けました。この時事新報はのちに国技館が出来た時に優勝掲額を始めた新聞社で、早くから力士の表彰に積極的だったようです。まだ優勝という概念が無く表彰は2名です。鳳凰は2場所連続で幕内最優秀成績、大関昇進の切符をつかみました。小錦も立派な横綱ぶり、朝汐は地味ながら7勝で東西の充実ぶりの差が出てしまった感があります。

明治29年夏場所星取表
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【2008/11/18 14:04】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治29年夏場所8日目 (東京朝日新聞/明治29.5.29)

○土俵のかずかず
荒岩岩木野は、左四ツ右差にて攻め上手投にての勝は呆気なし。
松ヶ関若島は当日第一の好相撲にて、の左矢筈にて押すをは一生懸命に防ぎ、仕替えては右四ツ左巻きに行くをは右差にて押切らんとし、水入後取り疲れて分け。
小松山越ヶ嶽は、小松の右上手にて詰を引くをは左四ツ右差にて押切らんとし、小松はそのまま釣身にて投げんとするをは矢倉落しのドズキにて見事勝。
源氏山大蛇潟は、一月以来元気の復した大蛇の事とてさしもの剛敵を恐れ気もなく立上り、左四ツ右差にて二度まで敵を困らせたが、そこは源氏得意の土俵際の踏み堪えにて押返し、水入後ついに引分。
大碇朝汐は、張出し関脇同士の取組にて見物ならんと待ちたるは空しからず、は例の突手に行くをは危うく残して投を打ちしも極らず、の投も利かず次にが下手投に行くをは双手に力を入れてウンと突くと、の手浅かりしため離れる途端に我が力余りて腰砕けよろよろとしてズデンドウ。
梅ノ谷に万力は、万の突を引外してはすかさず押出して勝。
唐辛横車は、いづれも臆病なる取口にて暫らく手四ツにて睨み合い、解けてのち片手車となりヨイショヨイショの掛け声ばかり、やがてがはたき込むをは残して右の上手を引き、釣出しての勝はきたないきたない。
狭布ノ里玉龍は、の右四ツで押切るを狭布は残して外掛に巻倒したり。
梅ヶ崎両國は、ヤッというや矢倉掛けにて押切りの勝。
響升小天龍は、前袋を取ってすぐに押出しの勝。
大纒天津風は、が例の泉川より片閂にかけしを差し返さんとして押出されの負。
鬼ヶ谷若湊は、の突きを廻り渡し込んでの勝は見事見事。
鳳凰海山は、苦もなく二度の突手にては土俵の外。
小錦谷ノ音は、立上るや突合いが例の蛙の一本掛に行かんと飛掛るを、は素早く体をかわして送り出したり、の出来わるきは全く例の婀娜者と苦情の絶え間なきため稽古の足らぬ故なりとか、嘆ずべし嘆ずべしと或る人はいえり。

○相撲のかずかず
・昨日は天気直り次第太鼓を廻さずして即日興行の筈なりしも、天気の直りよう遅くして且つ朝のほど小雨ありしため興行する能わず、更に昨日太鼓を廻して本日より興行。
・西の大関大戸平は既に病気は平癒せしも、たまたま師匠尾車と紛議を醸したるを以て出勤せず、この際断然廃業して故郷仙台へ帰り実業に就かんとしたれども、天晴れ技量たくましき血気の力士にして殊に大関まで昇進しながら今にして俄然廃業するはあたかも盛りの花を枝ながら散らすに似たり、とて贔屓のたれかれこれを惜しみ厚く説諭する所ありたれば、大戸平もやがてその示教に従い改めて尾車と和解するに至れり。
・力士梅ヶ崎初太郎は、本年一月場所を最終として角觝社会を脱する筈なりしを師匠に抑留せられ今回の本場所をも勤めたれども、最早永留の心なく近日の打揚げを待ち断然廃業して故郷または東京に於て料理茶屋を開業するという。(5.27)

「矢倉落しのドズキ」というのは胴突きのことでしょうか。吊り上げて叩きつける技だそうです。記事は越ヶ嶽が勝ったようになっていますが、この日掲載の星取表では小松山の勝ちです。梅ノ谷に万力は幕下の取組ですが、こうして記事になるのは梅ノ谷がすでに巨漢の怪童として注目されていることの表れでしょう。谷ノ音は5敗目、私生活上の問題で相撲に集中できていないようです(;・ω・)大戸平もまた今場所休場の原因は師匠とのトラブルとのこと、実力がありながらこうした事で活躍できずにいるのは非常に惜しいことですね。

明治29年夏場所星取表

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【2008/11/14 12:28】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治29年夏場所7日目 (東京朝日新聞/明治29.5.26)

○大相撲
・一昨(七日目)は久しぶりの好天気といい日曜日にてもありしゆえ非常の大入にて、実に場内立錐の地を余さず貴顕方も多く来観ありたり。
響升梅ヶ崎は、が一心不乱に突来るをは押返すと見せて体をかわしながら投を打ての勝。
外ノ海大纒は、のはたきをは左差し左筈にて押し、敵が残さんとするを諸手にて捻りの勝。
越ヶ嶽鬼ヶ谷は、の左差を防ぎて働かせぬよりは片手枠にきめんとするも利かず、再び首投げに行くをは下より防ぎつつ右四ツにて押出しの勝は面白し。
朝汐谷ノ音は、喝采中に立上るやは左差にてどっと押しの体浮くを見てすかさずは駈け上るように体をまかせたればは土俵の外へ仰向けさまに倒れたり、その負けざまの見苦しさとは思われず。
小錦海山は、が例の合掌に行くをは右四ツの高矢倉にての足を二尺ばかりも釣上げ土俵の外へ持出す時、は体を捻ったれど利かず少々に痛みを感じさせたるのみ。
荒岩松ヶ関は貧乏神同志の好相撲にて登場するや破れるばかりの大喝采、は左筈にて右を巻きも左四ツにて互いに秘術を尽くせしも勝負つかず水入後引分、当日中の大相撲。
唐辛高浪は、の左差をは泉川に撓めて利かず更に片閂にて絞りしも利かず、水入後取り疲れてこれも引分け。
高ノ森狭布ノ里は、が得意の一本背負に行くを狭布は負われながら一突ついて狭布の勝。
逆鉾鬼鹿毛は、の右差を巻いて押すを防ぎながら蹴返しての勝、無傷ならんと思いしもこれで二度土がつく。
若島楯甲は、好相撲と思いの外の烈しき突手には難なく土俵の外。
若湊大蛇潟は例の待った沢山にて、立上るや大蛇は右四ツにて捻りしも同体に流れて預かり。
天津風一力は、が閂にて絞るを防いで水となり、遂に引分。
源氏山小松山は、小松の二本差をは左四ツにて挑み合い、次いで小松が釣身に行くをはもたれ込んで倒さんとする時、小松は早くも下手投を打て極まりしも踏切ありとて物言つき預り。
鳳凰大碇は、が左四ツで行き更に矢倉掛けに行くを防いでは一旦危うく見えたれど、すぐに突返して押出しの勝は強いもの。
・さて昨日は朝のぼろぼろ雨にて入掛となりしが、今日は天気直り次第太鼓を廻さずしてすぐに八日目を興行の筈。

○愛宕下の花相撲
・来たる六月五日より晴天八日の間芝区愛宕下町三丁目の空地にて興行する花相撲は、の組合にてその木戸銭は大人八銭、子供五銭、上等桟敷金二円四十銭、中等金二円の定めなるが、その幕内及び二段目の顔触れ左の如し。
東(幕の内)   西(幕の内)
大関 鳳 凰  大関 大 砲
関脇 海 山  関脇 小松山
小結 大 纒  小結 若 島
前頭 楯 甲  前頭 高ノ戸
同  鬼鹿毛  同  当り矢
同  小天龍  同  横 車
同  松ヶ関  同  荒 岩
同  勝 平  同  升ノ戸
東(二段目)  西(二段目)
淡路洋    御舟潟
鶴ヶ濱    猛虎勢
雷ノ音    鬼 若
梅 錦    鳴門龍
磯千鳥    鷲ヶ濱
生駒山    小 碇
岩 柳    竹生島
甲      成瀬川
小佐倉    小高山
重 石    小西川
八ツ巻    荒 川
若 梅    熊 響
○小石川の花相撲
・来たる二十九日頃より小石川区白山神社境内にて、晴天五日間大戸平鳳凰の両関にて花相撲を興行するという。
○相撲のかずかず
高砂友綱その他の年寄連との間に結ばれおる確執は、本年一月の大葛藤にて表面のみは雨降って地固まるの好成績を得たるが如く見えけれども、内実折もあらばと密かに隙を窺う様子なりしが、去る十八日の小錦大蛇潟との取組みに際し四本柱にいたる高砂が「どうせ負けるのだ早く立て」と小声にて大蛇潟を叱りし由にて同人は大いにその非を鳴らし、かねて高砂と不和なる西方力士一同へこの事を訴えたれば一同再び沸騰し翌十九日の相撲は中途より休業せんと謀りおよそ一時間ばかりも土俵に穴を空けしを、或る有力者の仲裁にてその日は一まず無事に済みしが、一昨々日の入掛を好機とし再び紛議を起こしたるに、高砂はあくまで「そんな事はいわぬ」といい喧嘩にもならぬ始末に及びしかば、大蛇潟を始め一同も「いわなければそれでよい」と初めて鉾先を引いたれども内心含む所あるをもていづれ本場所打ち揚げの上は再び高砂排斥の運動を始めるならんという者あり。
・後藤伯の令息猛太郎氏は同国出身の故をもて殊に海山を愛し大碇狭布ノ里をも目通りへ呼寄せてしきりに寵愛を加えおりたるに、海山の他はいづれも場所の出来よろしからず、おまけに海山源氏山との取組みに敗北せしを見るより殊の外失望落胆し、もうこんな相撲は見たくないとて十日間買切の桟敷を引き払い以来見物に来ぬと言い渡したので、サア若殿の御機嫌を損じたと一同呆気に取られた末、遂に海山を代表者として一昨朝お邸へお詫びに出したというが、首尾よく御不興が直ればいいがさ。(5.23)

十両筆頭同士の対戦は引き分け。松ヶ関(まつがせき)は新十両から4年がたっていますが入幕を狙える実力がついてきたようです。小錦と鳳凰は引き続き好調、西方は役力士の内容の悪さが目立ちます。期待の海山も強敵相手が続いて3連敗、大事な御贔屓も来てくれなくなりました(;・ω・)この時代は裸芸者と言われ力士の立場もまだ弱いです。高砂騒動は再燃の種がまだくすぶっているようですが、高砂も以前ほどの勢いが無いようなので何とか収まっています。
後藤猛太郎(知られざる探険家)

明治29年夏場所星取表

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【2008/11/04 09:46】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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