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明治29年春場所2日目 (時事新報/明治29.1.21)

○回向院大相撲
雷山増田川は、立上りの左差しに来るを外して二三度突き合いしが、タタきの勝。
唐辛岩木野は立上り右四ツ必死と角力ううち、ヂリヂリとは寄せ来るを土俵際にて上手投にせんとする一居合、双方に踏切りありとて苦情起こり預りとなりしが、星は多分の物なるべしという。
小天龍当り矢は、立上りすぐ突き出して当りの勝。
小松山越ヶ嶽は、立上り左四ツすぐ合四ツにて揉み合い、間もなく釣りで小松山の勝。
谷ノ音玉龍は、立上りの足癖を物の数ともせず寄り倒しての勝。
鬼ヶ谷北海は、立上り激しく突き合いは土俵際にてすでに危うくなりしが、低くなりて足を取り勝となりしは幸福。
梅ヶ崎朝汐は、立上り一二合突き合いすぐ突き出しての勝。
大砲若嶋は、立上り双方激しく突き合いの左差しをたぐりつつまた寄りての勝。
大戸平京ノ里は、立上り大戸の泉川にて押し来るを足くせにての勝を制せしは一世の幸福なり。
・中入後、勝平笹嶋は立上るが早いか足を取りての勝は名詮自性。
楯甲逆鉾は、立上り一二度突き合いすぐ突き出しての勝。
一力鉄ヶ嶽は、立上り右四ツここを先途と争ううち、の寄り来るを土俵際にて捨てんとして共に倒れ扇はに上りたれども、苦情起こりて預りとなれり。
不知火出羽ノ海は、立上り左差し寄り切って不知の勝。
鳳凰今泉は、立上りの両差しを閂にて振り投げんとせしが効なく、崩して左四ツと寄りての勝。
大纒千年川は、立上り一二合突き合い左差し寄り切って千年の勝。
海山高浪は、立上るや否や小手投にての勝。
大碇天ツ風は、立上り泉川にての勝。
大蛇潟小錦は、立上りすぐ押し出しての勝にて打出したり。

大戸平が新入幕の狭布里に敗れる波乱。十両では強みを見せていた新入幕の若嶋は連敗スタート。幕内下位の力士は序盤で上位と対戦する形になるので、新入幕力士にとってはキツい対戦が続きます。小錦は休場明けですが抜群の安定感を見せているのは流石です。

明治29年春場所星取表

 新聞掲載の勝負結果表
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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ

【2008/06/26 13:41】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治29年春場所初日 (時事新報/明治29.1.21)

○回向院大相撲
・前号の紙上に記せし如く紛紜無事にまとまり一昨十九日初日となりたり、同日は日曜日の事とて面白き顔合せの少なきにも拘わらず景気よかりし。
勝平大蛇潟は、左差し寄り倒して大蛇の勝。
当り矢大纒は一二合突き合い、突き出して当の勝。
天津風鬼ヶ谷は、合四つにて角力いしが下手投にての勝。
今泉松ヶ関は五六合突き合い、の左差しをはづして右四ツとなり揉み合いしが、押し倒しての勝。
鉄ヶ嶽鳳凰は、撓め出しにての勝。
越ヶ嶽海山は、左四ツの釣り出しを堪えまた左四ツとなり、上手投げにての勝は綺麗なり。
千年川不知火は、三四度突き合い不知のよろめく所を廻りて突き出し千年の勝。
小錦一力は一二合突き合い、すぐ突き出しての勝。
・中入後、両國梅ヶ崎は、激しく突き合い瞬く間に突き出しての勝は素早きもの。
玉龍雷山は、二三合突き合いハタキ込みての勝。
逆鉾小松山は、左筈押し出しての勝。
出羽ノ海谷ノ音は、左四ツ引落しての勝。
北海唐辛は、突き合い寄り倒しての勝。
京ノ里大砲は、一二合突き合い寄り切りての勝。
若嶋大碇は、立上り左四ツまた合四ツとなり角力ううち水入、後再び組みて腰くだけの敗。
朝汐小天龍は、突き合い突張りにて小天の勝。
高浪大戸平は、左差し寄り倒し大戸の勝にて打ち出したり。


○大相撲
・紛議に紛議、葛藤に葛藤を重ねたる回向院大相撲は、前号に記せし如く首尾よく和解の好果を見るに及び、本日を以て返り初日を出す事になりしにつき、昨日は午前八時より十組の触太鼓を廻し小屋の木戸口には飾り樽を積み贈り幟を立てたれば、近傍一円にわかに景気づき昨日の霜枯今日の春陽、二季の相撲を命の綱と頼む関係人一同が開く愁眉と引く霞、瑞雲靄靆、並ぶ櫓はなけれども錦繍を引くに異ならず、殊に今日の初日は日曜の休暇なるをもて貴顕紳士会社員の付込みも少なからず、二十一日よりは吉原その他の付込み概ね虚日なしという、かねては昨日年寄仲間と主だちたる力士とが和解の祝宴を開く筈なりしも、力士仲間はこの程より連日の集会に金を使い過ぎ化粧廻し羽織などを七ツ屋へ飛ばしたも多ければ、この上酒を飲んで第二次会でも開いた日には身躯も疲れる懐中も寂れる稽古も充分出来ぬからとて閉場後打ちくつろいで飲む事に寸法を替えたという。(東京朝日新聞/1.19)

開催の危ぶまれた春場所、待ちに待った初日でファン達の喜ぶ様子や何となく華やいだ街の雰囲気が目に浮かびます。西ノ海は休場してしまいましたが他の役力士は勢揃い。先場所の好成績で新小結に昇進した怪力の海山は越ヶ嶽との力相撲で黒星を取ってしまいましたが、今回の事件で奔走した西方力士がよく奮闘して白星を稼いでいます。化粧廻しを質屋に流してしまった力士は気の毒ですが、集会のたびに酒を飲み過ぎなのではないかと想像します(;・ω・)

明治29年春場所星取表

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【2008/06/23 22:19】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
中村楼事件 その5(東京朝日新聞/明治29.1.18)
○大相撲紛議落着す
・例の大相撲紛議について、本所区内の各望家青木庄太郎、草苅矍翁二氏が大戸平以下団結力士に対し懇々慰諭されし事は前号記載の如くなるが、さしも一徹の力士達も二氏が物柔かなる談判には屈伏したりと見え、しからば御説諭に服すべしと答えしにぞ、言い甲斐ありと打喜びこの上は仲裁者なる室田景辰、飯島保篤、伊志田友方の三氏へも委細の趣きを通知すべければ、一同にも打揃い本所警察署へ出頭し三氏の前に於いてこれ迄の成行きを述べ、とくと仲裁の労を謝すべしとて二氏は即刻西の方共同稽古場を引取り直ぐさま警察署へ到りて団結力士の出頭するを待受けたれども、一昨日午後四時まで何の音沙汰もなし、さては再び破裂せしかと人を八方に出して集会の場所を探らせたるに、団結力士は回向院前相撲茶屋武蔵屋方へ膝突き合わして集会し居たるにぞ、片時も早く来られよとしきりに出頭を促したり。
・この時相撲取締高砂浦五郎は相撲協会へ顔を出し、その座に居合せたる八角灘右衛門に向かい自分は感冒の気味にて協会へも出勤せず、それがため種々入り組みたる葛藤を生ぜしは如何にも相済まざる儀なれば謹んで謝罪すべし、ついては過日御身達より差し出されし辞表を返却し留任を願いたければ何卒承引しくるる様に、と持参したる辞表数通を返戻したるに八角は別段これを拒まず、自分が辞表提出の理由は力士等の唱うる規則改良に同意なるも既往の事を鑑みるに中々改良の目的を遂げ得べきものとは認めず、むしろ退身するにしくはなしと職を辞したるだけなれば、貴殿が留任せよとあれば随分留任すまじきにあらず、しかしこれは自分一人の意見なれば他の人々の所存の程は何とも断言いたし難し、と穏かに答うれば高砂も打ちうなづき、御もっともの次第なれば自分は御身達の意見に応じ取締を辞せよと云わば早速辞職すべきに付き、各氏留任する様に宜しく取計らいを願う、との事に八角も今はとて返戻の辞表を受取りこの由それぞれへ通知したるに、八名の人々は高砂さえその一言に背かざれば留任する事勿論なり、と一同旧職に復したる事を武蔵屋に集合中の大戸平鳳凰大砲その他の力士が漏れ聞き、異口同音に万歳を唱えて小躍しつつ警察署へ出頭したり。
・これにて最早紛議落着の気色を示せしにぞ、仲裁者も胸を撫でながら大戸平以下一同へ向かい今回申出でたる相撲規則改良の事は我々においても最も賛成する所なれば、決して等閑に付する事なく一臂の力を添うべきは無論なれど、この際に臨みて改正の考案に日子を費やすは甚だ不利益の至りゆえ、当春場所は従前のままに据え置き、来たる五月興行までに実効ある改良規則を設くるとも遅しとは言うべからず、さすれば矢張り各々方の意見は貫徹すると云うものなればまづここもとは血気にはやらず明日にも太鼓を廻す方しかるべしと諭したるに、大戸平等も唯々諾々欣然としてその説に従いしが、連署したる者のうち欠席の向きもあれば確答は翌日の事としてひとまづ同署を引き揚げしが、かくなりては更に異論者の起こるべきはずもなく昨朝は早速承諾の旨を通ずべきなれど、そこは力士の事なればこの中にても稽古を休まず事果つるを待って仲裁者の元へ行き、承諾は勿論なれども西の力士はいづれも三四日づつ夜の眼を合さずただ相談にのみ屈詫したれば平常の稽古に骨を折りたるとは事変わり頭痛みて堪え難ければ、今明両日の楽々と休息しそれより太鼓を廻したしとの事に相談たちまち一決していよいよ今十八日太鼓、明十九日初日と定まり、乱麻の如き紛紜も目出度く局を結びしかば、回向院界隈はにわかに春めき往来の人の足も何となく軽気に見えしは理りとこそ思わるれ。
・ちなみに記す、右紛議中和解周旋の労を執りたる尽力者の一人は、いよいよ興行となりて東西力士取組に付き仮病欠勤等の事は甚だ不都合なるを以て、この一事のみは当期より改良を施し観客を満足させたしと一同へ説諭したるに、西の方は鬼神にもせよ畏るる事なく必ず出勤すべしと云い、東の方も実病のほか欠勤せずと断言したる由なれば、今回の相撲は双方とも力瘤を入れること例年の比にはあらざるべし、されば観客の身に取ってはこの紛議のためかえって面白き相撲を見る事を得べしとなり。

突然ですが、事態は収拾しました。仲裁者の尽力によるものでしょう。高砂の謝罪と辞任受け入れは意外でした。これがなければ問題はもっと長引いていたはずです。西方力士は大喜び、辞表を出していた他の役員達は留任することになりました。本場所開催も決定、満を持しての開催だけに仮病休場は禁止と(;・ω・)とにかく正常に戻りそうで良かったです。記事の通り、場所後に相撲協会の新しい規約が作られることになります。

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【2008/06/20 10:40】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
中村楼事件 その4(東京朝日新聞/明治29.1.17)

○大相撲の紛議続聞
・西方の力士代表者大戸平が仲裁者の元へ提出したる二三の説は、いづれも穏当なる事柄なれば多分高砂方にてもこれを容れ、さしもの紛擾も和解すべしとの事は前号に記載せしが、この提出案の如きは神仏に於ける御前立ぐらいものにて、一味の者団結の精神はなおこの外に在り、然れども目的とする一人の者が速やかに辞表を差出すに於ては奥の手の秘密案は世に公にせざるべし、と大戸平以下の面々しきりに敵方の模様を窺うに、更に辞職等の気振りなきのみか仲裁者もこの秘密案には推察を下されまじと思うにぞ今はこうよと思いけん、一昨日午後五時三十分頃大戸平以下三十六名の力士連署にて一の文書を協会に提出せり(この協会は十人の役員中高砂のみ踏み留まりてその余は残らず辞職せり)。
・その文意は相撲道をして隆盛ならしめんとするには宜しく不正の役員を改選すべし、我々一同連署を以てこの儀を勧告す云々というに在りて、字句手跡いづれも美事なれば武骨なる力士の手に成りし物とは思われず、何者の代作にもせよ、こは容易ならぬ事なりとますます面倒になりしかば仲裁者は同夜大戸平を区役所中の一室に招き種々説諭に及びし所、大戸平ここに至って本音を吹き三十六名団結の主意は勧告書の通りゆえ、早速役員改選の手続きありたしと述べ立てたり、仲裁者はなお言葉を尽くし何は格別興行の矢先に臨んで苦情を起すは穏やかならず、よって改選等の事は春場所打揚げの後しづかにその策を講じては如何ん、と噛んでくくめるが如く諭したれど、己れ一人の存意を以てお説には従い難しとあくまで持論を主張するを、仲裁者なお押返しそれでは論の干る時も無ければお前より一味の力士へ懇々諭して貰いたし、と押しなだめて帰せしところ、間もなく鬼ヶ谷高浪の二人入り来たり、大戸平より我々共へ出席せよとの事なりしゆえ推参したりとの口上なれば仲裁者は又々両力士を説諭し、不幸にして東西分離とならば三百年来回向院にて興行せし江戸名物の大相撲も滅亡に帰するは必定なり、その時は何年何月西の方誰々が紛議を起こし遂に滅亡するに至らしめたりと末世末代まで人の口に上らねばならず、かくてもお前方が我意を張り不名誉をも厭わぬとの決心ならば仲裁も早やそれ迄なり、ついては明朝を期しいづれとも確答せよ、と言葉をつがえて両力士を引取らせ、それよりまた西の年寄八角灘右衛門武蔵川谷右衛門を呼び同じ事を繰り返して諭したるに、両年寄は口を揃え必ず大戸平等をなだめ穏和のお受けを致さすべし、と仲裁者の厚意を謝して引取りしは同日午後十時四十分なりし。
・かくて両年寄より大戸平以下一味の者へ和解を勧めたるかどもあれば、昨朝は一同の者相生町四丁目なる西の方共同稽古場へ集まり額を集めて相談したれど凝り固まりし面々とて容易に和解すべしと言わず、この時区内の有望者青木庄太郎、草苅矍翁の二氏入り来たり、しきりに力士等を慰諭したれど何分三十六人の者が力瘤を張って団結したる事なれば大概の説は耳に入らず、折角まとまり掛けたりと思いしも昨夕の模様にてはいつ局を結ぶべきや甚だもって覚束なし。
・右に付き或る人は高砂に向かい何とて他の役員と共に辞職しこの紛議を解かざるや、あながちに我意を張り相撲道の衰微を招くは高砂その人のために採らざる所なりと勧告したるに、高砂は頭を振り相撲組合規約にあるが如く年寄及び有権の力士行司より推選せられて取締の職に就きたる訳ならば速やかに辞表を差出すべきなれど、自分及びは年寄七十余名より東京相撲世にあらん限りは二人の者に正副取締の職を委任すとの事にて連署の委任状をも受取りたる事なれば、僅々三十六名の不平力士のため身を退く事は不承知なり、それともまた目下の相撲組合規則を改正するの必要ありてその規則に抵触するような事を生じなば、その時は躊躇せず直ちに職を辞すべし、と堅くとって動かずと云う。

いきなり和解ムードが消えました(;・ω・)いよいよ西方力士は高砂を追い落とすつもりのようで色々と作戦を練っています。大相撲消滅の危機とまで言って懸命な仲裁者、高砂失脚のチャンスとばかりに粘る西方力士、辞める気の無い高砂、三者三様で事態は硬直しました。高砂以外の役員はすでに全員辞職したそうです(;・ω・)

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【2008/06/16 22:50】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
中村楼事件 その3(東京朝日新聞/明治29.1.16)

○大相撲の紛議ほぼ纒まる
・一昨日、西方力士の代表者大戸平が仲裁者に対し関脇以下の力士に相談の上、彼等さえ和睦の事を承知すれば自分においては異議なしとの答を為し、後刻確答すべしとて引取りたるまでの頓末は前号に記載せしが、同日夕刻に至りても更にその確答のあらざるより仲裁者の一人は相生町四丁目なる大戸平の自宅に到りてその返答を聞かんとしたれども、折ふし主人は家にあらず門弟のみ台所にありて酒を飲みおり、何事も跳ね附けて返答せず、よって更に明朝を待つに決し、使いはひとまづ引揚げたり。
・是より先、大戸平は本所区内に集会しては仲裁者の催促面倒ならんと思うより一味の人々を一昨日午後より日本橋区米澤町三丁目の布袋屋(待合出願中)へ招き寄せ、今は己れも仲裁者の説に服しおる事とて一同に向かい懇ろに説諭する所ありしかど、一同は容易にこれに服従せず強いて和解せよとならば少しは我々の意見も貫徹させてもらいたしとて各自持説を提出したるのち、そのうち最も賛成者多き二三の説を一同の説として仲裁者の許へ提出する事になり、大戸平は昨日午後を以てこの取次を為したるが、この提出案いづれも至極穏当なる事柄なれば多分高砂方にてもこれを採納すべく、さしもに紛擾を極めたる相撲世界もこれにてようやく収局の見込あるに至れりとぞ。
・その提出案の如きも既に探知し得たれども、みだりに発表する時はいづれか一方の感情を損ぜしむるの恐れあり、かくては折角まとまりかけたる和解に障害を与うるの嫌いあればここには記さず、右の次第にて充分和解の望みはありといえども初日の日取はまだ分らず、分かり次第報ずべし。
・ちなみにいう、西方の力士がかくまで強情を張るに至りしはいづれ内幕に糸を引く者もあるべけれども、なお別に理由の存するあり、これまでは兎角東方に元気の力士多くしていつも西方は敗を取り、従って地方廻りをしても人気余り面白からず、且つ地方廻りにはいつも東方なる西ノ海小錦などの一行が抜け駈けをしてよい土地を糶って歩き、西方の大戸平大砲などはやむを得ず悪場所を歩かねばならぬ傾きあるを西方一同怨みに思い、機会もあらば続けさまに東方を土俵に埋め地方廻りの人気をも挽回せんと思いいたれば、さてこそ今回の如く東方の力士に病人多きを好機とし西方の勢力を示さんとして持説を主張するものなれと説くものあり、なおまた年寄仲間と力士仲間との軋轢についても聞込みたる事あれども、ここには要なきをもてこれを省く。

大戸平が持ち帰った和解の話、西方力士も穏便な姿勢でどうやら解決が見えてきたでしょうか。しかし問題の根は意外と深いようですね。確かに数年前には西方の幕内がとても弱く、戦力の偏った時期がありました。これにより人気の差、収入の格差があったのが要因の一つになっていたとは。そしてもう一つ、はっきり書いてありませんが東方上位力士の大部分を率いて大勢力を誇る高砂への不満があるのでしょう。スクープをつかんでも本人達の邪魔にならないよう情報を隠すあたり、現在と違いマスコミとしてのモラルが感じられます。さて肝心の本場所開催はいつになるでしょうか・・?

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【2008/06/13 01:14】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
中村楼事件 その2(東京朝日新聞/明治29.1.15)

○大相撲紛議一條
・前号にその詳細を報道したる回向院大相撲の紛議一條は、一昨日午後に至り多くの仲裁者が八方奔走の末取締高砂及び検査役阿武松武蔵川浦風関ノ戸八角尾車伊勢ノ海清見潟、勧進元二所ノ関の人々を角觝協会へ集合せしめ、敵味方打ち解けて善後策を攻究する事になりし折柄、西方の大関大戸平をはじめ大砲海山鳳凰谷ノ音小松山などいう西方幕の内の力士ども一同連署にて休業届けを出したれば、かくては折角我々どもが和睦を結んでも相撲興行覚束なければ、兎も角一旦今度の興行は休止する事になし、西方の力士を慰撫したる後ち更に計画を立つるにしくなしとてまづ焚き出し(興行中力士及び関係人一同の糧食を焚出す所)を引揚げさせ次に検査役八名辞表をしたため、さて一同まさに引取らんとする所へ、あたかも好し先に仲裁を依頼せられたる署長室田景辰、区長飯島保篤、好角家伊志田友方の三氏より年寄一同へ宛てたる書面到来し「回向院大相撲休業する時は将来斯道のために大いなる不利益を来たすべし、よって我々三名及ばずながら仲裁の労を執らんとす、幸い本所警察署内の撃剣場は多人数を容るるに適当なるを以て年寄及び主なる力士一同を同所へ招集して熟議を遂ぐるあらんとす、請い願わくは本日午後五時までに一同集合するよう取計らわれたし」とありけるより、一同ひとまづ辞職を見合せ更に一同より力士仲間へ右集会の通知を発すべき事となりしに、東の方は大半高砂の部屋のみゆえ速やかに高砂より通知を為したれども、西の方はその部屋数派に分かれいることなれば一時に容易く通知を為す能わず、如何はせんと心配しおりしに、是より先西方の力士は大関大戸平をはじめとし以下の面々続々として相撲茶屋武蔵屋方へ寄り集まり、即ち大戸平を議長として協議の末もし此の後取締検査役等が専断を以て西の力士を東へ廻すことあらば一同誓ってその廻されたる力士と決して取組まざる事に盟約を定め、なおまた再び西の力士を一人たりとも東へ廻さんとの議起こりし時は一同袂を連ねて休業せんとの事を決したり、この時年寄仲間にては初めて西方力士一同が武蔵屋にいる事を知り仲裁者の書面に正副取締の添書を付し西方力士のおる所へ持たせたれば、一同は「本日午後五時までに警察署へ参集すべし」とある警察署の三字を見て震え上がり別に悪い事をした覚えはないが、それとも何かお眼玉を頂戴する事があるのかと半信半疑、決する能わず六尺豊かの大の男子もお官の御威勢には叶わぬと見え歯の根の合わぬ手合もありしが、ナニまさか罪のない者を縛れくくれとも仰しゃるまいビクビクせずに出掛けたがよかろう、しかしマァこういう時は酒の事だと冷酒の仰っ切りに勢いをつけモウこれで千人力だと午後五時二十分頃より一同揃って出頭せり。
・此の時年寄連中及び東の力士一同は既に警察署内に居流れており、いよいよ顔揃いになりしかば仲裁人たる室田、飯島、伊志田の三氏は一同に向い代るがわる口を開き、僅かの事より紛議を起し相撲興行中止になりてはただに一同の恥のみならず元来回向院の相撲場は学校敷地三丁以内の区域にありて興行許可になり難き所なるを、古来全国に鳴り響きたる東京名所の一つなりというを口実にし僅かに警視庁より許可せられおる次第なれば、今もし角觝仲間分離して二派に分かるる事などあらばたちまち警視庁より興行場を他へ移転せしめらるるは知れた事、それのみならず年寄七十余名のうち弟子を有するは僅かに二十三四名に過ぎず、その他はみな回向院大相撲二季の上がり高によって生活を為す者のみなれば、一朝興行中止とならば是等の者の不幸幾ばくぞやと縷々数百言理非を糺して説諭せり、これに依り年寄仲間及び東の力士一同は直ちに承服の意を示したれども、独り西の大関大戸平(即ち西の力士の代表者)は肯んぜずして曰く、今回の如く西の力士をみだりに東へ廻されては我等更に張合なし、依て御説諭には従い難しと、ここに於いて正副頭取は大戸平に向い(副頭取高砂の敵方なりしも此の時は既に仲裁者の意見に従い和睦せし後と知るべし)それは毎度いう如く東の幕内には病気引籠もりの者六名(西ノ海千歳川響升若湊天津風外ノ海)ありてとても西方と拮抗し難きよりやむを得ずその権衡を保たん為め西方の力士を東方へ廻したるなり、是とても我々が私意を挟むにはあらず、みな相撲の取組を面白くして斯道の隆盛を謀らんとするにあれば、ここの道埋をよく合点せられよと諭したれども、大戸平は此の時充分酒気を帯びたる故にや中々此の説諭に承服せず、よって一同は大戸平の酒気醒むるを待って再び説諭を試みんというに決し、やがて散会を告げたるは同夜九時過ぎのことなりき。
・かくて昨日午前十時に至り再び大戸平を警察署より呼出したれども容易に出頭せず、正午頃ようやく出頭したり、よって直ちに説諭を加えたれども、自分は西の大関をこそすれ関脇以下の力士を左右するほどの権利なければなおよく一同とも協議のうえ後刻返答すべしとて引取りたり、是にて力士の方は多分円滑にまとまるべき見込あるも、年寄仲間の方は表面こそ直ちに和睦したれ裏面なお種々なる事情の纒綿しおるものあれば、これが中々難物なるべしというものあり、しかし是さえ昨夜の内にうまく行けば今日にも太鼓を廻し直ぐに返り初日を出すべし、なお後談は怠りなく報道すべし。

続報です。西方力士の多くは鳳凰に同意して結束しているようです。年寄連は本場所が開催できないことによる損失のことも考えてか解決に前向き。警察署長の計らいで会合が持たれましたが、大戸平は飲酒をして出席(;・ω・)このあたりは昔の力士という感じですね。まとまりそうな話でしたが結論は先延ばしとなりました。ちなみに登場する飯島区長という人は後に銀行の要職につき、国技館新築のための資金を工面してくれたりと相撲界に縁の深い人物です。

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【2008/06/09 00:46】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
中村楼事件 その1(東京朝日新聞/明治29.1.14)

○回向院大相撲の大紛議
・去る十一日の初日を入掛にしたる回向院の大相撲は、今回年寄仲間に一大紛議を醸生したるがため一昨日の「出直し初日」も遂に全くこれを廃し昨日もなお平和に帰せず到底容易に紛議の解くべき見込なきのみならず、むしろ東西二派に分離せんとするの悲運に遭遇せんとす。
・今その顛末を記さんに即ち下の如し、去る十一日の初日が突然中途より烈風を名として入掛となるに至りしは、西の力士鳳凰がみだりに組替をせられたるを不服なりとし年寄に向って苦情を唱え出したるに原因する旨前号には記したれども、こはたまたま紛議破裂の導火器となりしに止まり、その実別に遠因の存するものあり。
・年寄高砂伊勢ノ海その他の間には平素互いに威権を争うの傾きありて自づから意見の齟齬する事も少なからず、うわべこそ円滑に見えけれども内情呉越の想いを為しおりぬ、ここにまた西の前頭初筆に坐れる力士鳳凰馬五郎は昨年の大相撲に西ノ海と取組みて首尾よく勝を制したりと思いの外、年寄高砂浦五郎より苦情を起され遂には西ノ海の勝となりしかど、当時の検査役伊勢ノ海五太夫鳳凰に対し慰むる所あり、たといこの勝負は負となりても給金を増し明年の番附には位置をも誓って進むべければ、必ず不平を抱くべからずと言い渡しぬ、よって鳳凰は大いに望みを嘱しおりしに、さて本年の番付発表となりしを見るに勿論己れが坐るならんと思いし小結の地位を海山に占められ己れはその次席なる前頭の初筆となりおる始末なれば、さては何者か中間にありて妨害を加える者ありと覚えたりとて大いにこれを含みいたり。
・かくて去る十一日の初日に至り東の方の力士には病気欠勤の者多ければとて西の方より鳳凰大蛇潟の二力士を本人へ無断にて借り来たり東へ廻して大蛇潟勝平鳳凰梅ヶ崎と取組ませたるのみならず、後また前号に記せし如く鉄ヶ嶽楯甲との取組を変更して楯甲に代わるに鳳凰を以てしたるより、何がな苦情の種子をと捜しいたる鳳凰なれば以ての外、腹を立て断然今度の相撲には出勤せざる旨を申し込み、且つ強いて出勤せしめんとならば無断にて己れを西より東へ廻し更に東より西へ廻したる不都合を年寄中より己れに向かって陳謝せよと主張せり、勧進元伊勢ノ海五太夫はこれがため此の好天気を入掛にしては不人気を来たすの基なりとて心配し、温厚の聞えある年寄両國梶之助をして京橋区本八丁堀なる鳳凰の自宅へ赴むかしめ、辛くも同人を慰撫せしめ更に鳳凰を西の力士として鉄ヶ嶽と取組ましむる事に相談をつけたれども、最早その日の間には合わざるより明十二日改めて初日を出す事に決したり。
・この日高砂は病気にて出勤せざりしより伊勢ノ海ほか二三名が協議の上この取計らいを断行したるものなれども、高砂これを聞いて歓ばず己れに相談なくして事を決するさえ奇怪なるに、あまつさえ力士をして自儘の言い分を貫徹せしむるは取締上大いに不利益なりとて年寄仲間に対し苦情を鳴らしぬ、年寄仲間はこれに答うるに、急場の事にて引籠もり中の貴殿に相談の暇なかりしとの旨を以てすれども、高砂つやつや聞入れず鳳凰を東へ廻して出勤せしむれば勘弁せん、とあくまで己の意見を貫かんとし、力士鳳凰も己は高砂の配下にはあらず仮染めにも年寄荒馬の名跡を襲いおる者にして取締選挙の資格を有すれば、あえて高砂一人に左右せらるべき覚えなしとてこれに降らず、ここに於いて高砂西ノ海小錦朝汐千歳川北海若湊響升外ノ海越ヶ嶽玉龍天津風出羽ノ海鉞り以下の面々と連署にて欠勤の旨を相撲協会へ届け出て、取締役雷権太夫高砂一人に権利を振り廻されて堪るものかと敵意を含み我が部屋なる大砲鬼ヶ谷唐辛等に令して高砂方の者と交通するを許さず、他の年寄連はつまらぬ喧嘩に日数を費やし四百余名の大飯喰らいをいたづらに遊ばせられちゃァ大変だ、興行中二十五円ずつの給料を取る取締役がこの位の苦情を鎮めかねるたァ何の事だ、と取締一同に向って辞職を促し、検査役尾車文五郎の如きはこれに激して第一番に潔よく辞職せんとて昨朝実印を携さえ協会へ赴きたるも、他に一人の出席者なきよりやむを得ず空しく引取りたりと、而して他の取締役連中は高砂一人こそ内におれ、その余は皆な諸所に密会しては謀議を凝らす事ゆえたまたま仲裁を試みんとする者ありても就いて語らう便宜を得ず、根岸治右衛門式守伊之助木村庄之助らの人々は事に与らざる年寄中とも相談し一日も早く開場の運びに至らしめんとて、昨日午前十一時頃手分けをして本所警察署長室田景辰、区長飯島保篤の両氏を訪い託するに仲裁の事を以てしたるに、両氏も快よくこれを諾したれども肝腎の相手なる八角浦風武蔵川尾車などは影を隠して更に面会の便宜を得ず、仲裁者は目下当惑中なりといえり、また昨日の形勢によれば或いは東西分離して二派に分かれ各自一方に旗幟を翻すに至るやも知れずといえり。

さて明治29年の春場所ですが、初日の途中でいきなり中止になってしまいました。元は鳳凰のストライキ行動、先場所西ノ海に勝っていたような相撲を強引に預かりにされたうえ、その見返りに約束されていた昇進話も反故にされて不満を溜めていたようです。初日は東方に休場者が多く、西前頭筆頭の鳳凰は急遽東の力士として西の力士との対戦が組まれました。しかし直前に取組変更されてやっぱり東の力士との対戦、些細なことにも思えますが自分の知らない所でコロコロ変えられてはプライドも傷つくでしょう。間の悪いことに高砂が休んでおり、他の年寄連が高砂への相談なしで鳳凰をなだめに行ったことで話がややこしくなってしまいました。明治中期から昭和初期にかけて大相撲界は近代化を進めたわけですが、それは紛争の歴史でもあります。その始まりとも言えるこの事件、和解の見通しが全く立たず相撲協会分裂も噂されていますが果たしてどうなるでしょうか。

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【2008/06/06 14:25】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治28年夏場所千秋楽 (時事新報/明治28.6.18)

小西川熊風は、突き出して小西の勝。
甲岩高見山は、左四つ寄り切っての勝。
朝虎隈川は、の泉川崩して一二合突き合い、突き出しての勝。
黒岩松若は、一二合突き合い右四つに組み土俵際にて少しく危うくなるよと見る間に捨ての勝。
岩ノ里当り矢は、双方勢い鋭く突き合い、突き出して当りの勝。
逆鉾京ノ里は、右四つまた合四つに変じ双方必死と争ううち水入、再び組みて堅く角力い引分。
松ヶ関岩木野は、一二度突き合い手車となり、崩して左四つにて必死と角力ううちスクイての勝。
猪シ関ノ音は、突き合いの左筈に来るをは引外し手四つとなりて争ううち、ついに押し出しての勝。
・中入後、滝嵐八ツ房は突き合い左四つにて角力ううちアビセ掛けての勝。
・三役、鬼若知恵ノ矢は突き合い右四つとなりて争ううち知恵に踏み切りありての勝。
若嶋鉄ヶ嶽は、の左差しに来しを崩して諸手を前袋へ掛け手痛くと争ううち水入、再び組みて堅くなり引分。
雷山友響は左四つにて角力い、寄り切っての勝にて千秋楽を告げたり。

○二段目勝越力士
・回向院の大相撲は昨日をもって千秋楽を告げたり、二段目力士中東西三十枚目までに五日の勝越しは若嶋黒岩、四日同じく松若逆鉾升田川真龍、同じく三日は京ノ里当り矢鉄ヶ嶽友ノ藤八幡山岩ノ里熊ヶ嶽、同じく二日は祇園山御舟潟、一日が唐辛雷山勝平松ヶ関升ノ戸猫又隈川稲瀬川滝嵐鷲ノ濱梅錦
・また三段目にて著しき勝を得、次場所には二段目の中頃までも昇進すべく思わるるは梅ノ谷全勝、万力一日の負けなり。

さて千秋楽、新十両の逆鉾(さかほこ)が狭布里(きょうのさと)と対戦。新聞中では記事のように「京ノ里」と表記されることがたびたびあります。読み方が同じなら良しということなのでしょうか。元の名前は確かにちょっと読みにくい字ですが・・前日に幕内大纒を破った関ノ音(せきのおと)、猪(いのしし)鍋吉という珍名力士に敗れて7敗目。惜しくも入幕を逃して張出で臨んだ今場所の関ノ音でしたが結果を残せず、この場所限りで番付に見られなくなりました。廃業してしまったのでしょうか?そして記事の最後、のちの横綱二代目梅ヶ谷が三段目として登場、当時17歳でしたが怪童として早くも注目されていたといいます。

明治28年夏場所星取表


新聞掲載の星取表

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【2008/06/03 22:33】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治28年夏場所9日目 (東京朝日新聞/明治28.6.18)

○大相撲
逆鉾若島は、が立ち後れしも其のまま立上り、左を差すをはその手を撓め左筈にて押し出しの勝。
鉞り小天龍は、突合い突出して小天の勝。
唐辛高浪は、左を差すをは泉川にて撓め出さんとし、は腰を据えて堅く防ぎながら足クセに行きしも利かず互いに呼吸を計りつつ動かず、水入後同様にて取疲れ引分となる。
雷山小松山は、左四つが無二無三に寄るを土俵際にて堪えウッチャリて小松の勝。
高ノ森鳳凰は、左を差すをは更に構わず左筈にて押し切り、の勝。
越ヶ嶽鬼ヶ谷は、立上り双方激しく突合い大荒れに荒れ左四ツ上手下手となりて、が必死と寄るをは堪えて揉み合ううち、の左眉より出血し痛み分となる。
不知火大砲は、立合に知火敵の右を引張り込むをは突き放し突ッ張りながら一寸ハタキしが、残りて知火は高股を双手にて取りしもは突き放し右四つとなり直ぐに寄るを、知火足を巻きて堪えしも効なく遂に寄り倒しての勝。
北海海山は、が左を差すを直ぐ小手投を打ちたればは手を突きの勝は呆気なかりし。
・「中入後」狭布里大蛇潟は、右四ツ大蛇が寄るを堪えて廻り込み、足クセにて巻き倒しの勝。
当り矢鬼鹿毛は、立上り二三合突き合い当りが右筈にて押すをは足クセにて防ぎ、離れて突合い左筈にて押し出し当りの勝。
松若一力は、双方烈しく突合い突き出しての勝。
関ノ音大纒は、左四ツ上手下手にて揉み合いが必死と寄るをは辛くも土俵際に踏み止りて廻り込み、かえって寄り切りの勝。
天津風梅ヶ崎は、左を差すを天津は泉川にて撓め出さんとし、は堪えて押し出さんとし崩れて左四ツとなり、天津上手投げを打つを残りて水となり、再びつがい互いに投げの打合いにて勝負果しなく、引分にて打出しとなる。

幕内力士にとっての千秋楽とも言える九日目、ついに役力士は大砲だけになってしまいましたが何とか勝って土付かず、幕内最高成績を収めました。海山も今場所素晴らしい内容で好成績、不戦勝のルールがあったら9戦全勝優勝といったところでしょうか。激しい相撲を見せてくれた越ヶ嶽は鬼ヶ谷と痛み分け、十数年前はよく見かけた痛み分けも珍しいものになってきました。しかし結びの一番が前頭7枚目vs11枚目という対戦では何とも盛り上がりに欠ける九日目ですね(;・ω・)

明治28年夏場所星取表


新聞掲載の星取表

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【2008/06/01 01:34】 | 大相撲 | コメント(3) | page top↑
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