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明治18年夏場所千秋楽 (東京横濱毎日新聞/明治18.6.14)

○回向院大相撲
・昨日回向院十日目千秋楽の相撲勝負付は左の如し。
野州山千代ヶ崎は、釣合い申分なき相撲にて始終五分に立合い攻め合いし後、水入りて引分は面白かりき、されど後にて疲労は千代の方に多く見えたり。
勢力若湊は右四ツにて、勢力は上手を引き揉抜いて後、若湊一心にサグリ入り下手を引て大相撲となり揉み抜しが、取り疲れ水の入りし後互いに相撲を大事になし果しなければ引分たり。
黒雲初陣に勝ちしは、初陣の立ち後れにて腰の入らず「押切」の勝なり。
頂キ三吉川は、パッタリ四ツにて水入り引分。
・(以下三役)角力鬼鹿毛は目覚ましき相撲ならんと随分人気ありしが、立上るや角力は左を差し鬼鹿毛も左を差しすなわち四ツとなりて揉出る時、左達者の角力はヤッとばかりにスクイ投て勝。
白梅高ノ矢は同様の人気なりし、さて立上り突掛て直ぐに右四ツに渡り、高ノ矢上手を引き攻め立れば白梅は其の内に下手を引て攻め合いしが、やがて高ノ矢は敵を引寄せ櫓に掛けて見事の勝を得たり。
響升四ツ車は、何がさて四ツ車は丁度昨日の八日目まで五番の相撲に三番の敗を取りしのみか今日が給金の定め日と思うものからなかなかに大事を構えて立たざりしに、響升は再三突掛けて仕掛けたるも余程よい所を見て立たんとの了見にや、暫く時を移したるがややありて立上り、右四ツにて両方がミツを下手に引合いしに、四ツ車はエイとばかりに体を引寄せ櫓の勝は、白梅高ノ矢との勝負に寸分違わぬ相撲なりき、右にて番数の局を結びそれぞれ名乗を受け、弓取の役は小車これを勤め目出度く打出したり。

○花相撲
・今明両日の宿禰神社祭典相撲を打上げ次第、大達剣山の両関にて横浜へ立越し明後十六日より七日間興行、同所を済ましたる後木挽町にて催し、また高千穂八陣の一行は、牛込を打上げ次第浜町の旧島津邸跡にて一興行の筈なりという。

角力(かくりき)という力士は以前に若ノ川として十両中位まで上がった力士ですが、脱走から戻って幕下格の番付外で出場していたようです。翌場所の番付にはまた名前が見えないので結局またどこかへ行ってしまったのでしょう。花相撲の告知にある八陣(はちじん)は大阪相撲の大関ですが相変わらず本場所千秋楽の翌日から巡業開始、とても忙しそうです。
明治18年夏場所星取表
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【2006/10/27 23:40】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所9日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.6.13)

○回向院大相撲
・昨日九日目の勝負付は左の如し。
浦風泉川は休なり。
四ツ車鶴ヶ濱は随分人気ありて観客待ち設けたる相撲なりし、力士はヤッと立上り突掛け右四ツとなりて揉出で、が遮に無に寄行けば四ツ車は西の土俵を踏切るばかりヤヤと云う間にここを残し、又もや行司溜りの方へ引き立て寄行く折しも、四ツ車は下へ下へと喰い下がり今危しと思う時スクイ投て四ツ車の勝は当日見物の相撲なりき。
綾瀬川出釈迦山は、左四ツより首捻りにて綾瀬の勝。
知恵ノ矢常陸山も相応しき取組にて面白き相撲なりしが、小手先のせり合より右四ツに渡り、常陸山は下手を引き知恵ノ矢は上手を引て揉抜つつ土俵を廻り、時を計りて知恵ノ矢は得意の足クセを巻きたるが常陸は踏張って足クセを逃れ双方疲れて立ちたる時水となり、後は互に相撲を好まずついに引分けとはなりたりし。
伊勢ノ濱大達は、巻出して大達の勝は当然。
剣山西ノ海は、西にちょっと立後れありし様子なりしが敵を引受け左四ツとなり揉出る時、剣山は上手を引き投に行て勝は案外に早かりし、逆ヒネリという者ありしが上手を引て居たれば是れ上手投の方よからん。
・中入後、天拝山野州山は左四ツにて、野州が何か術を施さんとしっかり喰付くをヨイショヨイショと力一杯に釣身に行き、寄倒して天拝山の勝。
鞆ノ平高見山は、が組入らんとするを小手先に防ぎ、しばらくにして右四ツになり、高見山は術で相撲を取らんものとあくまで敵の体を離れ機を伺う時、鞆ノ平が差し手に力を入れてみつをさぐり来るを高見はすかさずスクイにの体流れて高見の勝は久々の御手柄。
大鳴門高千穂は同じく小手先にてせり合い、しばらくためらいつつ機を見て高千穂左を差しなおも右を差さんとするにぞ、大鳴門も近来元気の高千穂にて油断のならぬ事なれば敵の差し手をしっかと巻き、差さんとする右を我が左にてしっかとにぎり一心防いで水となりし後、勝負なく引分けは釣合たる立合と見えたり。

幕内力士の取組が終わりましたが最優秀は8勝1敗の大達となり、ここ数場所の安定感は実力No.1とも言える内容で、ついに大関の座を得ることになります。東方も梅ヶ谷の引退により剣山が大関昇進となります。西ノ海は悪くない成績なのに2場所で大関の座を明け渡すことに・・・実は大鳴門も先場所関脇で勝ち越しながらも小結に下がっており、張出の無い時代の三役力士は誰かが上がれば誰かが下がる、というのは仕方の無いことでした。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/25 23:18】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所8日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.6.9)

○回向院大相撲
・一昨日八日目の勝負は左の如し。
廣ノ海伊勢ノ濱は、伊勢が相手の二本とも引張り込んで彼方此方へスカサズに持行きて、とうとう閂にて極め伊勢の勝。
常陸山友綱は気合よく立合い、跳ね合う事三度にして友綱は「ハタキ」を喰い行司溜へ泳ぎ込みて常陸山の勝。
高千穂鞆ノ平は、が少しく後れて立ちしを、高千穂すかさず付け入て押すやら引くやら捻るやら始終先手に掛りしが、流石にも達者もの、どうかこうか四ツになりヨイショとなって一息と言う所を押されては土俵際となり、こは大変と打ちゃる仕度をなす折から独りツブレて高千穂の勝。
西ノ海大鳴門は、例の西ノ海名代の手に大鳴門は左をしっかと絞め上げられしも、しッかり喰って堪え居るとき水となり、後ほぐれて今度は左四ツと成り、勝負なく引分けなどは力ばかりの相撲にて別に感服する事なし。
達ヶ関浦風は、造作も無く立ちて達ヶ関押切り勝は妙々。
立田野知恵ノ矢は賑やかに立合しが、二人共相撲達者の力士ゆえ土俵一杯に荒れ廻り、立田野が付け入って右を差しに来る所を此方は知恵ノ矢例の得意の「アシクセ」を巻きしが、足腰確かなる立田野は足を張りて之れを外し、後ろ様にアビセ倒して立田野の勝は随分目覚ましき勝負にてありし。
鶴ヶ濱綾瀬川は難なく立合い、綾瀬川は相手の左を引張り込み「泉川」にて極めもせず押しもせずと言う構えにてためらう所を、素早くは左足を相手の右足へカケ前へモタレての勝は今日中で見堪えある相撲なりし。
出釈迦山柏戸は、押切っての勝。
高見山武隈は休。
・ソコデ大達剣山は、名乗りが上ると場中どよめき渡り破るるばかりの騒ぎなりしが、大達も十日中の大敵なれば例の中腰の仕切りは止めて両手を降ろし謹んで仕切り、また剣山は何のと言う気合いにて構え込み、やがて立つと其のまま剣山遮に無に押して、はやや土俵際になりし頃ヤッと一声叫んで上手より振りながら体をかえし大達の勝は実に立派なりし。

○出版
・相撲行司木村庄之助木村誠道等がかねて取調中なる相撲古式及び四十八手解釈は近々出版するよし。

十両の取組が少ない(;・ω・)天気悪かったのでしょうか。関脇も経験したベテランの浦風はこれが最後の一番となりました。十両に下がって低迷している達ヶ関にあっさり敗れては仕方のない所です。他にこの場所を休場している48歳の清見潟、209cmの名物力士武蔵潟も土俵を去ることになり、時代の入れ替わりを感じさせる場所となりました。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/23 23:56】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所7日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.6.7)

○回向院大相撲
嵐山を押切て勝。
知恵ノ矢綾浪は、知恵ノ矢が首投に来るを其のまま首をアヅケて綾浪の勝は又しても出来の上。
伊勢ノ濱千羽ヶ嶽は休。
武隈鶴ヶ濱はヒネリに掛ての勝。
友綱高千穂はヤッと立上り、友綱突掛る時出足の悪しきより腰をクダキ敵の体に当たらずして突き手をなし、高千穂の勝は気の毒なりし。
剣山高見山は最初より小手先のセリ合にて突張り突掛くるうちに、高見は追々後づさるを鉄砲喰わしての勝。
・(中入後)の相撲にて、勢力野州山は左四ツにて、勢力は上下を引き揉抜き土俵際にて投げ寄らんと必死の争い、危うき所両三度を双方残り土俵の中央に至りてヨイショとなりここに立水を入れ、又揉出して勝負付かず引分しは幕下中当日の面白き相撲なり。
和田ノ森桐山は水入り引分けは別に評なし。
柏戸廣ノ海は難なく左四ツ、揉んでは土俵際に持ち行きここで一番と差し手を抜てハヅとなし、「押切」て勝。
綾瀬川常陸山は、綾瀬の仕切が立派すぎて常陸は何分にも立てず、仕切なおしては睨み合い居るにぞ観客中よりそんなに立てずば睨み合て笑った方を負として勝負を決する方よからん、と言出せしは至極穿ちし評にして綾瀬川は失笑せり、さて暫くありて立合や綾瀬はただに寄てしまおうと左を差しながら寄行きしにぞ、常陸は踏切り其の途端にハタキたり此の時団扇は綾瀬川に上り、常陸は物言いを請求せしも無理なるより溜りの者は応せざりしが、常陸の踏切今ちょっと遅きにあらば勝を得たらんに残念の事なりし。
大鳴門大達は、過日競馬会社の立合に大達が負けを取りし事なれば一際人気立ち、何でも大達がカタクなりて居るであろうからヒョンな相撲になりもやせんと考えを付し人も多き様なりしが、立上り大鳴門は他に策を施さず早く押切て見たいものと矢庭に突張れば、大達は後ずさりコレハと思う所もありしが、さはなくて土俵の中央に突返し今度は大達が一際強き鉄砲にて大鳴門踏切り、大達の勝はちょっと見堪えありたり。
鞆ノ平西ノ海は宜しき取組、随分念入りて立上り鞆ノ平が突掛ながら差して来る左を、西の得意という時はいわでも知るき例の手にてグッと極めたり、さながら一杯に行きたればも随分苦痛の体にて引立て揉むを防ぎつつ水となり、定めの通りは西の溜りへ水を貰いに来ると一度大達が与えしにぞは水を一杯に含みつ大達の横面へ吹き掛けしは可笑かりき、それより再度取組まんとするも鞆ノ平はそんなに泉川が深くはないイヤそれではおれの腕が抜けんとてやや一時間も取組に手間取り漸く組みしが勝負なく引分たり。

大達の顔面に水を吹きかけ・・・(;・ω・)はまだ良いとして、これまで物言い1時間というのはありましたが水入り後の組み直しに1時間というのは初めて聞きました。想像を超えることばかりですね(;・ω・)大関2場所目の西ノ海はここまで勝ちっ放しましたが一休みです。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/21 22:30】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
郷友会花相撲 (東京横濱毎日新聞/明治18.6.6)

○郷友会の相撲
・昨日は鹿児島県人諸氏が回向院の相撲場に於て郷友会を催し、例年の通り角觝取組ありたり、当日来会せしは島津君及び同県出身の貴顕紳士、其の他米田侍従、芳川府知事等、招待に応じて参られし人々ともおよそ三千余人にして、相撲取組五十二組特別十六組を催したり。
平の戸白梅は血気の力士、花々しく立上り突掛け「左四ツ」となりて揉抜き、白梅は右に上手を引き土俵際にて「出シ投ゲ」て勝、其の次は右四ツにて鶴ヶ濱の寄るを蹴返して二番とも丸く勝を得たり。
・(以下一番勝負)増位山綾浪は、「左四ツ」にて増位が遮に無に寄り綾浪は土俵あとなかりし時、ウンと堪え櫓に掛けて打チャリしは実に大きな取口にて皆々感服せり。
伊勢ノ海立田野は、立田野がカブランとする勢を伊勢は引立て「押切」らんと土俵の際に至るとき、立田野が体をかわせしに双方の体離れ其の時泳ぎ込み、送り出しの如くにて伊勢踏切り立田野の勝。
高ノ矢鶴ヶ濱は左四ツにて右は双方首に巻き合い、揉合ううちも首投に行くこと両三度なりしが、残りて今度は高ノ矢が後づさり土俵近くにて首投崩れて打チャリ団扇は高ノ矢に上りしも物言い付て預りとなれり。
知恵ノ矢廣ノ海は右四ツにて大揉みなし、は寄りながら内無双に行きしに知恵の体落ち廣ノ海の勝。
千羽ヶ嶽出釈迦山出釈迦が二本差すを、千羽は誂えてもなき結構と上より極め釣出しの勝は十分に思われたり。
柏戸友綱は、左四ツより遮に無に寄て友綱の勝。
綾瀬川常陸山も左四ツ、綾瀬は上手を引きグッと釣出して勝。
武隈浦風は釣合いよき老練家にて武隈は右を差してみつを引き、浦風は左に敵の差し手を巻き右をハヅとなし、隙を伺いては揉出でしが其のうち水となり後、取り疲れ勝負なく引分は妙なり。
上ヶ汐高見山は、小手先のせり合にてどうやら相撲を大事に取りしが、上ヶ汐が突張る時高見山は踏切ながらハタキ込ミ上ヶ汐も土俵を出しが、高見の踏切早きを以て上ヶ汐の勝なりし。
・(以下三役)鞆ノ平高千穂はヤッと立ちて右四ツとなり、其のまま高千穂腰を落して寄身となりスカサズ攻め入りついに寄て勝を得たるに、喝釆場内に鳴り渡り桟敷も落ちるばかりに高千穂の勝を賞せしは、同人が鹿児島産まれのうえ愛敬力士の故ならん。
大鳴門に(大達の代)高見山は突張て大鳴門の勝。
剣山西ノ海は仕切十分に立上り、ヨイショとばかり左四ツも渡り、挑み合いて剣山は右に上手を引き十分ならんと思いし如く、其のまま寄て剣山の勝にてまづ定めの取組を終わりたり、それより番外に移りては其の勝負左の如し。
友綱綾浪は左四ツ、は上手綾浪は下手とみつを引合い、揉み合う事しばらくにして甲残せば乙危く、実に目覚ましき立合にて双方取り疲れ水となり後、友綱が一心に寄るとき綾浪打チャッて勝なりしが物言にて預りとなれり。
上ヶ汐高千穂も今日中の好取組みにて、立合い中右四ツとなり揉放きしが後釣出して高千穂の勝となりしかば、又もや起こる大喝釆場内割るるばかりなり。
鞆ノ平綾瀬川は、右四ツ上手下手の引合にて是より大揉して水入り後、は上手まで引き乱れ出しが勝負なく引分たり。
・それより後三段目上二段等の飛付勝負ありて目出たく終わりたり。


○力士一ノ矢
・昨日一二の新聞に同人が病死せしとの事を掲載せしが、右は如何なる間違いに出でしものにや、同人は昨今和泉橋向こうの第二医院にて療養中かつ少しく快方に赴きしよしなれば、此に記してひいきの人々に告ぐ。

来ました誤報。昔の通信事情では仕方ない所なのでしょうか・・・現代でもしばらく姿を見ない芸能人などに死亡説が流れることがありますが(;・ω・)さて場所中ですが天覧相撲やその他要人に招かれての相撲開催が優先されて行われることがたまにあります。今回も薩摩閥の権勢が表われていると言えるでしょうか。開催場所は上野とのことでしたが、この日の記事では回向院となっています。

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【2006/10/20 11:51】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所6日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.6.2)

○回向院大相撲
千羽ヶ嶽友綱は「突掛ケ」て友綱の勝。
高見山綾瀬川は、右四ツに揉合い水まで入りて引分。
常陸山大鳴門は、立合に大鳴門が右を差しすかさず相手の右を受け、遮に無に「寄りて」鳴門の勝。
西ノ海上ヶ汐は念入れて立合しが、は左を差して「ハヅ」に構い右にて相手の左にすがり頭を胸に当てて堪えしが、西ノ海は相手のようよう疲るるを待ちてグッと「タメダシ」て西の勝。
高ノ矢増位山は「パッタリ四ツ」に揉合ううち、高ノ矢は一声エイと叫ぶと等しくさしもの増位山の体は宙に上がるよと見えしが、増位山は下になりて重なり落ち高ノ矢の勝は是れ「ヤグラ」の妙手とは知られたり。
立田野伊勢ノ濱は片閂にて伊勢の勝。
廣ノ海智恵ノ矢は、立合いから充分に智恵ノ矢が先手となり、ついに「カタスカセ」にて体を崩し「アビセコミ」て智恵ノ矢の勝は随分よき相撲。
出釈迦山武隈は、出釈迦山が突掛る所を「ハジキ」て武隈の勝は昔取った手柄山。
・さて諸人待兼ねの大達鞆ノ平は思いしより造作なく立合いしが、が二本差したに大達は絞りて相撲にせむとする所を、が差し替えるはづみ大達は残りし一本を巻込んで一杯に寄り、両力士の体はもろに落ちしが団扇は鞆ノ平に上がりしはむべなるかな、寄るはづみ大達右足を四寸ばかり踏み越したるを目撃せり、しかるに西の溜りより物言い付きおよそ三時間程揉み合い(此れは土俵の上にあらず)ついに預り。
高千穂剣山は難なく剣山の勝。
・さて本日は上野不忍池共同競馬会社馬見所にて相撲興行に付き当大場所は休業のよし。

○相撲年寄の死去
・過般より玉垣を相続せし長山額之助は肺病に罹り療養中なりしが、ついに一昨日死去し昨日葬式を行い相撲社会一同会葬せしと。

どんなに長時間協議しても、物言いが付くと必ず預かりになるのは相変わらずですね。当時の観客も不満はあったでしょうけれどあきらめているのでは?大達の取組は当時の公式勝負付けでは白黒ちゃんとついていますが、預かりと解釈すべきという説は今でもあるようです。そう言えば一時期多かった痛み分けはここのところ見られなくなりました。引き分け・預かりを無くそうという動きが出てくるのはもっと何十年も後のことになります。ところで本場所の真っ最中に花相撲の開催ですが、この時代はたまにこういう事もありました。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/17 23:39】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所5日目(東京日日新聞/明治18.5.31)

○大相撲
友綱大達の相撲は、立合いながらより焦って突掛けたれど、押し切りての勝。
剣山常陸山は、立ち合い掛けには矢筈を掛け二三合厳しく攻め立て土俵際にて突き落さんとせしが残って入れ違い、またより矢筈にて攻め立つるを常陸は一生懸命に防ぎながら寄り付かんとせしが、遂には突出して勝。
知恵ノ矢嵐山は、始め知恵より右を差しは左を差して負けず劣らず挑み合ううち、いかなる機会のよかりしかは攻め立て攻め立てすでに知恵の危うかりしが、残って揉み合い大相撲となり、は焦って釣出さんとせし時知恵は防ぐに術なく身を捨ててモタレコミ勝を得たるは大出来大出来。
上ヶ汐千羽ヶ嶽は、立合い千羽より汐の左手を泉川に極めこみヂリヂリ土俵際まで攻め寄せたり、は浮き足ながらすきもあらば足クセを巻かんと焦たつうち遂にスクイ投げにて千羽の勝も近頃の大出来。
大鳴門高見山は、始め突き合い右四つにて挑み合ううち、はしきりと左手に前袋を取らんと焦だちしが、鳴門はすかさず寄り切て勝。
柏戸西ノ海は、ヤッと立つやいな西を襷に掛けんとせしかども、力足らで逆に捻られしは残念なるべし。

○外人相撲の弟子入
・一昨日の十二時頃、本所相生町四丁目の力士浦風林右衛門方へ一人の外国人が来て、私は米国の何某と云う者にて体量は四十貫を越え、力も十人並を過ぐれたれば今日より貴殿の弟子となり日本流の相撲を稽古いたしたく、この義御承諾あらば身の大慶何卒頼み入る、との口上に、浦風も名誉の事とて喜びしが、何にしても外人雑居は禁制なればいづれその筋へ伺いのうえ兎角の返答申さんとてひとまずその外国人を帰し、改めてその筋へ伺書をしたため差出したと云う。(時事新報/5.28)

時代を感じさせるニュースです。外国人力士については詳細不明ですが、このときスムーズに入門が認められて関取まで出世していたとしたら・・?大相撲の歴史は変わっていたかも知れません。現代に大勢の外国人関取がいる状況、当時は誰が予想したでしょうか。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/16 14:31】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所4日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.5.26)

○回向院大相撲
・一昨日四日目の勝負付は左の如し。
竜ヶ鼻は、左四ツ寄りての勝。
綾浪鬼鹿毛は、突掛けて左四ツとなり寄って綾浪の勝。
伊勢ノ濱鶴ヶ濱は、が二本差して行く所をキメダシて伊勢の勝。
廣ノ海綾瀬川は、綾瀬寄り来る所を足クセを巻きモタレコンでの勝は感心。
上ヶ汐は寄って出釈迦山に勝。知恵ノ矢高千穂はトッタリにて知恵ノ矢の勝は是れまた感心。
大鳴門千羽ヶ嶽は寄って大鳴門の勝、高見山柏戸は右四ツ下手投にて高見山の勝。
鞆ノ平常陸山は釣出して鞆ノ平の勝、大達武隈は難なく突張て大達の勝。
剣山海山はハタキ込で剣山の勝。

○両振分の和解
・相撲年寄、故振分忠蔵の跡は其の門人麓川が相続し名前を譲り受くる筈なりとの事なりしに、何故にや同じ門人なる四ツヶ濱は早くより師匠の名前を名乗り居るにぞ、こは不都合の至りなりと麓川四ツヶ濱へ一談判に及び、そも己れは師匠の遺言に依りて跡目を引受け、去る十六年より賽母(故振分の未亡人)をも扶持し居れば振分の名前は己れ相続するこそ当然なるに、汝一言の断りもなく其の名跡を奪いしは何故ぞとの掛合に一場の悶着を惹起し、既に勧解へも持出すべき勢いなりしを相撲年寄根岸治右衛門、甲山力蔵、粂川新右衛門ほか両三人の仲裁にて種々の取り計らいもありし末、麓川は強いて振分の名義を取るときは四ツヶ濱は営業上にも難渋すべしとの趣も薄々聞く所なれば思い切てこの名義は同人へ譲り、己は他の年寄の名義を相続せんとの事に、高砂浦五郎は如何にも麓川の了見が殊勝なれば相当の名義を継がせたしとて前の仲裁人もろとも尽力し、遂に放駒の名前を相続せしむる事に決し、右の紛議もここに初めて局を結び目出たく手打となり、大場所の中日(五日目)に放駒に改名の披露をする事に決まりしと。(5.28)

相撲以外の記事に押されてスペースがありません。4~5年前のような、あっさりした取組描写になりました。年寄の跡継ぎ争いはたびたび起こりますが、現在のように幕内や十両をある程度経験しなければならないという規定が無いため、力士としては無名でも年寄になることが出来ました。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/16 14:30】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.5.24)

○回向院大相撲
・咋日三日日の相撲は上景気、されど前日以来物言の多きゆえ案外に手間取り、番数も沢山抜いて取組の休みとなりしもの多し、殊に鞆ノ平千羽ヶ嶽の物言は双方熟談出来ず、兎に角あとの取組に差し支ゆるを以て其の場面を預り、打出し後の話にせんとて土俵だけは事済みとなりしが、これがため打出しになりても勝負付が出来ず年寄及び右鞆千羽両人の師匠等は種々奔走して全く事済みにせんと心配せり、此の中相撲報道者も本紙印刷の都合あるを以て其のまま場所を立ち去りしが、その後預りとなれり。
友綱嵐山は、の左を引張り込むを泉川に極めて揉行き足クセにて勝たんとするを、友綱は一生懸命防ぎつつ寄行き、嵐山にちょっとの踏切ありしが心付かず、此の時双方の体離れしが嵐山は手早く突張り送り出して勝のつもりなりしも、如何せん前の踏切にて負けとなり物言付かず残念の様に見えたり。
柏戸常陸山は、常陸柏戸の右を左に殺して我が左を差しミツを引き居るにぞ癇癪持ちと名を取った柏戸が我が右を殺され差されぬを忌々しく思いてや、差さんとする右を引抜きて敵の首に巻きなお足クセを巻きどうがななって呉れろと首投を打ちしに、却って我が身の腰クダケて体落ち常陸山もヨロメキ土俵を出しに、団扇は柏戸に上りたり、こは間違いならんとの評ありしが案の如く物言い預り。
浦風高見山は、高見山右を差し引寄せて下手投の勝。
・そこで前にいう鞆ノ平千羽ヶ嶽の相撲は、左四ツにてが寄りながら土俵ぎわにて渡し込みし時、千羽は打チャリに行きしも其の体流れも土俵を出づ、此のとき団扇の鞆ノ平に上るや西の溜に居合せたる廣ノ海高見山大達が物言を付け、また東には剣山智恵ノ矢等が此の物言は無理の極度なりどうしても預りは承知出来ぬと一時間も手間どり、四本柱の大嶽出来山追手風勝ノ浦等奔走するも、事纒まらずさればこそ前の始末に至りしなり。
智恵ノ矢大達は、智恵ノ矢こんな事でもしたら万が一勝てる事もあろうかと、立ち際に右を引張り打チャランとするに、大達が付いて行きしかば引張たまま踏切りたり。
剣山廣ノ海は、左四ツより剣山首投に行きしに、ぬけて突き手を出し廣ノ海の勝は仕合せよし。
上ヶ汐鶴ヶ濱は右四ツにて上ヶ汐は下手、は上手とミツを引き合い、上ヶ汐は得意の足クセを充分に巻きギウギウいうまで攻め立てしが、流石はなり防いで残す事四五度にして土俵を廻りしが後、上ヶ汐が足クセをハヅせしにぞホッと気のゆるむ所を下手投にて上ヶ汐の勝。
四ツ車高千穂は、出し投て高千穂の勝。
大鳴門海山は、大鳴門が差したる右を泉川に極めて揉みしが、引落しにて大鳴門の勝。
綾瀬川西ノ海は、泉川より左四ツに変じ西はスクイ投を二三度試みしが残て、今度は矢筈にて押切の勝を得たり。

○力士荒竹の書簡(四月二十日発)
・下文に記する所は、在米国紐育力士荒竹幸次郎より其の師伊勢ヶ濱勘太夫のもとへ送り越したる書簡中より抄出せしものなり。
・過日、独逸国より当紐育へ渡来の力士ワール・アブスと申す者は身の丈六尺余、目方は私より八九貫目も重き人なるが、私事去る二日(四月)この者と立合い二時間程取組みしも勝負決せざりしに、臨監の警吏が引分くべしとの注意により引分となりしが、同十六日夜再び取組み今度は二時間半程掛かりしも、又々引分と成りたるがため私の評判いよいよ高く、当地新聞紙は日本力士が小男なるによくも大男と取組み引分を取れりとて書き立てたり、しかし日本風の手にて取組まば必ず勝を得べきに、グリコ・ローマンと云える独逸風の手にて余程風変わりゆえ引分となりしは残念千万なり。
・私が先般貰い受けし賞牌は、チャンピオン・メダルと申す金無垢のものなり。
・同伴の戸田川は三月二十日当地出発、香港へ赴きたり云々。

今度はソラキチの方の消息です。当時のレスリングがどのようなルールだったのか知りませんが、二時間とはずいぶん大変そうですね。この年にソラキチはアメリカ人と結婚してそのまま永住します。さて相撲の方は物言いがひどいと見えてこの日も十両力士の取組がいくつもスッ飛ばされた形跡があります。現在でもプロ野球などで長い抗議が起こることがありますが・・・当時の行司や勝負審判はあまり権威が無かったのでしょうか。現在はビデオも導入しておりここまで揉めることは有りえません。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/15 12:11】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所2日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.5.23)

○回向院大相撲
・昨日二日日の相撲は、暫らく降雨のため休業せしより観客の待ち兼ね居たる事なれば、すこぶる上景気にて貴顕紳士の来場も多かりし。
八幡山増位山をハタキて勝。
海山上ヶ汐は観客の気入よく、まづ力士は立上り突掛け右四ツとなり揉合し後、上ヶ汐は得意の「カワズ」に行かんという気込みなるも海山は腰を引て敵の得手を防ぎ大相撲となり、水入りしのち勝負なく引分けたり。
高千穂浦風は、難なく押切て高千穂の勝。
大鳴門廣ノ海に勝ちしはズブネリなり。
西ノ海智恵ノ矢は突掛て後、西が例の泉川にて極め出し勝。
・今度梅ヶ谷の門人となりし西京上りの四ツ車綾浪は、四ツ車の評判高きよりどんな関取ならんと観客は其の取口を見ばやと待ちかまえし程なりしが、綾浪は左を差して寄りし時四ツ車は余程堪えしがついに踏切り綾浪の勝は初日以来綾浪の出来上々と申しべし。
千羽ヶ嶽柏戸は、押切て千羽の勝。
高見山友綱は、突張り合ううち双方踏切しも友綱の方早かりしとて団扇は高見に上がりしも、物言い付て預りとなれり。
鶴ヶ濱鞆ノ平は、左四ツにてが遮に無に寄るをはウッチャリ、に団扇上りしが同じく物言い付きて預り。
大達綾瀬川は左四ツにて揉み合いし後、首投に行き大達の勝。
剣山出釈迦山をハタキ込んで勝を得たり。

○戸田川庄吉の話
・力士戸田川、本姓濱田庄吉なる者、四五日前紺育より香港に来りたるが此の者の話によれば十五年の夏種々の芸人を以て組織せし同行十五人にて(此の中にはしばしば新聞に記載せられたる荒竹幸次郎も在り)渡航し、先づシカゴに至りそれより道すがら彼所是所にて興行の末ついに紐育に達し、或る興行連の親方に雇われ該地及び其の近傍にて相撲やら足芸やら其の他種々雑多の事をなしたるは数十回にして、初めの程は著しく評判を取り新聞等にも仰山に書き立たる位ゆえ随分利益もありたりしが、仲間の不和等より近来に至ては評判も地に墜ち雇をも解かれ、同行十五人散り散りに成り果て、とても銭を得るの目的なきより此の地に来りたりとの事なり、また右の一行がルイジアナ州の首府ニューオルレアンスにて興行の節、荒竹が相撲の遺恨より戸田川を殺さんとして一大騒動を出かしたる事ありと、現に戸田川の顔面に数ヶ所の傷痕あるは其の際小刀にて衝かれたるがためにて、一時は生命も覚束なき位なりしが、幸いに今日あるは相撲運の未だ尽きざる事なるべしと話せり、又戸田川は此の地にて二週日後白人と取組む事に約定整いたりと、其の給料は一週五十弗にて勝てば百五十弗を与え毎日日本流一番、西洋流二番、都合三番づつなりと聞く、戸田川はもし今度の相撲にて運よく勝つときは姑く此の地に止り白人と優劣を較し、日本力士の腕前を顕さんなどと威張り居るが、予の観る所にては先づ力士中の小男なれば其の言う所の口舌程に腕の働きは難しからんが、此の戸田川伊勢ヶ濱の弟子なりと云う。

雨が続いたようで約1週間ぶりの開催です。四ツ車(よつぐるま)は京都相撲の前頭だった力士で、番付外として登場。目につくのは戸田川(とだがわ)の記事ですが、これは相撲史というよりプロレス史の方に名前が残っています。特に同行した荒竹(あらたけ)はソラキチ・マツダと名乗り日本人初のプロレスラーとして有名です。仲間割れや傷害事件も起こしていたんですね。異国での興行はどんなに苦労の多かったことでしょう・・・紺育はニューヨークのことです。戸田川はのちに帰国して日本でレスリングやボクシングを興行、日本人初のボクサーとも言われているようです。
アメリカーナ.com(プロレス世界史年表)

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/14 11:54】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年夏場所初日 (東京横濱毎日新聞/明治18.5.15)

・回向院大相撲は昨日を以て開場せり、当日はいつになき上景気にて観客の気入も至極宜しく見えたり、殊に此の度は雑踏を制するため場内東の方の角へ別に一ヶ所の巡査見張所を設けたるなど、行き届きたり。
綾瀬川綾浪は、立上り突掛けて左四ツとなり綾浪は上下とも三ツを引き揉合う時、綾瀬川が遮に無に寄来る所を突き釣出して見事に勝を得、大喝釆を博したり。
友綱達ヶ関を押切りて勝。
千羽ヶ嶽武隈(手柄山改)は、パッタリ四ツにて千羽得意の釣に行きしを武隈足くせにて防ぎしが、其の甲斐なく釣出して千羽の勝。
知恵の矢高見山は、右四ツにて攻め合い知恵櫓に掛て勝を得たれば是れ又大喝釆を得たり。
鞆ノ平出釈迦山は左四ツ、寄て鞆ノ平の勝。
浦風大達は、挟み付けて押切り難なく大達の勝。
剣山鶴ヶ濱は、も堪えて相撲にしたく思いしも、如何せん敵が力相撲に突張り来るには閉口して、ついに踏切しはさもあるべし。
平ノ戸八幡山は若手のみか達者同士の事なれば見物の気入十分にて、両力士立上り最初ハゲシキ平ノ戸の突張に八幡は危うかりしも、残って互いに左を敵の首に巻き合い、右には互いに下手三ツを引き合い、機を見て平ノ戸敵を引き付け櫓に掛ける其の途端、心得たりと八幡山は得意の足クセに行きければ双方共に体流れ、団扇は平ノ戸に上りたるに物言い付て預りとなりしが、平ノ戸はなんでもおれの勝相撲とかぶりを振りて下らざりしもややありてようやくに事済みたり。
柏戸海山は、柏戸が突掛るを海山横ナグリに肩と首の間をハタキしにぞ、柏戸の体流れてあっぱれ海山の勝は見事。
常陸山は左四ツ、寄りながら押切て常陸山の勝。
上ヶ汐廣ノ海は、上ヶ汐突掛け出る廣ノ海の右をヒッカツギ一本ジョイに行きし時、の体半分は極まりかかりしが防ぎて辛くも残りたり、此の時上ヶ汐の体廻って敵に後ろを見せたれば直ぐに廣ノ海が後ろより突張らんと思いの外、猶予ありて正面になりヨイショと右四ツになるや上ヶ汐は足くせにてモタレ、勝を得しは始終気づかわしき相撲にてありし。
高千穂増位山に勝ちしは矢筈のツッパリなり。
大鳴門嵐山は、かねて評判者の嵐山ゆえ段違いの相撲ながら待ちかまえたる取組にて、嵐山嵐山と呼ぶ声もなかなかなりしが、案の定最初大鳴門の右を泉川に極めて攻め立てモツレて左四ツとなり揉抜きつつ、ついに寄て嵐山の勝は実に立派の勝にて感心の他なかりし。
伊勢ノ濱西ノ海は左四ツにて西激しきスクイ投に掛けて勝。


・此の日梅ヶ谷及び一ノ矢は二人とも病気にて休みたり、右は四日目頃よりは取るならんという。

初日の場合は以前なら千人くらい観客が入れば上等でしたが、今はどのくらいでしょう?だいぶん入っていそうです。梅ヶ谷は今場所も体調不良のようですが、再出場は叶わず引退となります。昔は横綱大関の休場に際しては客の入りに大きく影響するため年寄連が再出場を懇願するという場面がたびたび見られますが、この時もそうだったのではないかと想像します。

明治18年夏場所星取表

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【2006/10/13 11:27】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
相撲部屋一覧 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.28-2.5)

○相撲派別
・力士中、当時有名なる者の指定派別を左に掲ぐ。
梅ヶ谷藤太郎門弟
・大鳴門灘右衛門(東関脇)、剣山谷右衛門(東小結)、鞆ノ平武右衛門(東前頭)、友綱良助(同上、同人は目下梅ヶ谷の門弟なれど故友綱の跡を継ぎたるものにて友綱は年寄の名なり)、平ノ戸三之介、山ノ音新八、菊ヶ濱常吉、谷ノ川岩五郎(平ノ戸以下十両直下)等。
・右のほか今度大坂より上りたる綾瀬川、知恵ノ矢、天拝山、梅ノ春の四名もまた梅ヶ谷の門に入りたり(ちなみに云う梅ヶ谷はかつて故玉垣額之助門弟たりしが目今は独立となり既に雷なる年寄名義を継ぎ居れり)。
境川浪右衛門門弟
・手柄山勝司(東前頭、同人は武隈の家を相続すべき者すでに其の届けをなり居れり)、勢力八(同上)、中津山立吉(十両)、増位山浪五郎(同上)、荒石伊之助、藤ノ戸永吉、黒雲雷五郎、藤田川権蔵、司雲龍照吉、龍門清四郎、三吉川富二、越川彦三郎、芳ノ山多二郎(荒石以下十両直下)等。
高砂浦五郎門弟
・西ノ海嘉次郎(西大関)、大達羽左衛門(西閏位大関)、高見山宗五郎(西関脇)、一ノ矢藤太郎(西前頭)、綾浪徳太郎(十両)、頂徳太郎、岩ノ里太郎吉、野州山徳之丞、毛谷村六助、四ツ車鉄蔵、小金山伝次郎、鷲ノ森常吉、千年川政吉、中田川文蔵、大綱銀之助、西ノ濱善七(頂以下十両直下)等。
阿武松和介門弟
・兜山亥之助、若木野金介、雷ヶ嶽左太郎、田上山欣介(いずれも十両直下)等。
楯山久三郎門弟
・五十崎太作、真崎春吉、柏原清三郎(いずれも十両直下)等。
湊川四郎兵衛門弟
・立田野竹松、藤ノ戸永吉(以上十両)、藤田川権蔵、藤ヶ枝八十二、若港介三郎(以上十両直下)等
東関庄助門弟
・山響団二、響洋多三(いずれも十両直下)等。
藤嶋甚助門弟
・嵐山捨吉(十両)、栄松兼吉(十両直下)等。
尾車文五郎門弟
・山ノ上徳蔵、浪渡長介(いずれも十両直下)等。
伊勢ノ海五太夫門弟
・高千穂峰吉(西小結)、上ヶ汐永吉(東前頭)、柏戸宗五郎(同上)、荒飛甚太夫(同上)、器械船源吾、剣島勝二、鳥ノ海邦右衛門、雷震吉之助、錦嶽留二(器械舟以下幕下)等。
浦風林右衛門門弟
・浦湊喜太郎(十両)、國ノ花卯之介、紅葉川五郎吉、柏木信二(以上幕下)等。
清見潟又市門弟
・早虎米吉、勢力忠四郎、半田川伝六(いずれも幕下)等。
出来山長吉門弟
・大纒長吉(幕下)等。
手柄山勝司門弟
・九紋龍竹松(十両)等。
佐野山幸吉門弟
・泉川喜三二(幕下)等。
千賀ノ浦喜三郎門弟
・千草山元吉(幕下)等。
玉垣額之助門弟
・千羽ヶ嶽宗助(春日野の名跡を相続すべき者)、緋縅力彌、廣ノ海豊吉、海山太郎(以上西前頭)、鶴ヶ濱政吉、八幡山定吉(以上十両)、初陣一二、御所櫻仲蔵、白梅大吉、荒玉辰之助、浦ノ海光太郎(以上幕下)等。
出釈迦山峰吉(間垣の名跡を相続すべき者)門弟
・取倉岩吉(幕下)等。
朝日嶽鶴之助(幕下にて立田川の名跡を相続すべき者)門弟
・泉瀧福二(幕下)等。
玉ノ井村右衛門門弟
・玉桂山三郎(幕下)等。
二十山重五郎門弟
・四剣左十郎(幕下)等。
○故中立庄太郎門弟
・伊勢ノ濱荻右衛門(東前頭)、響升市太郎(幕下)等。


この時代としてはなかなか珍しい記事です。梅ヶ谷は現役で既に部屋の師匠となっていますね。のちに三役まで昇進する千年川や若湊の名前が幕下力士の中に見られます。大部屋小部屋の差が激しいですが、昭和戦前あたりまではこんな感じです。

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【2006/10/11 23:51】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所千秋楽 (東京横濱毎日新聞/明治18.2.1)

○回向院大相撲
・昨日同所千秋楽の相撲は、流行の今日なれば以前の十日目と違い中々の景気にて観客の数もいと多かりし。
・(中入前)大纒玉桂に、荒玉器械舟に、勢力五月山に、八ツノ浦五十崎に、竜門響升に勝、播磨洋黒瀧は引分、岩ノ里千草山に、若湊五所櫻に、兜山藤ノ戸に、綾浪泉川に、取倉三日月に、黒雲桐山に勝。
・(中入後)神田川達ノ里に勝、柴の山朝日川は引分、粂山祇園山に、有明山綾瀬嶽に、天拝山神風に、信嶽小車に、宮ノ松四剣に勝。
小金山若の森は、渡し込の崩れ押切て小金の勝。
鳥ノ海鷲ノ森は左を差してスクイ投、鷲ノ森の勝。
・(以下三役)藤ノ森朝日獄は左四ツとなり、朝日は上手は下手を引いての大相撲なりしが、ついに水となり後引分たり。
司雲竜は、左四ツにてより相撲を仕掛けスクイ投行きてツレシ司雲竜の勝なりしが、物言付いて預りとなれり。
白梅平ノ戸は首ヒネリにて白梅の勝。
・右にて当場所の相撲を終わり弓取の役は神田川これを勤め、目出度く打出したり。

○一室たちまち土俵に化す
・四五日以前の事なりとよ、黒田内閣顧問にはかねてご贔屓いと厚き梅ヶ谷大達西ノ海なんどいう名ある力士五六名を引き連れて日本橋区高砂町の万千へ赴かれ酒宴を開かれしが、その酣なるころ同公にはつと立ち上りて傍えの広間に進み出でられ、下婢に仰せて水を取寄せ、手づから座一面に打ち水し、さて云わるるよう余も此の頃は殊のほか用事沢山にて、好きの相撲さえ久しく見る事のなかりしかば今ここにて一番勝負を決して見せよとありしが、土俵と違い座敷の事ゆえ力士もこれには当惑しつ皆な後づさりて、この儀ばかりは平にご免を蒙りたしと願うもいかで聞入れらるべき、一方に座を構えここにて見物なさんいざいざとせき立てられて力士も今は辞し難く、さらば仰せに従わんと梅関大達関も衣を脱いで東西に分れ、仕切見事に機合いを窺いヤッとばかりに立ち上り、左四ツの大相撲となりしにぞ一座の中はたちまちに回向院の大場所と変わる騒ぎに、同家のものはびっくり仰天かねてより君のご気質は承知し居れど、かの物音はそも如何なる事の起こりしにやと密かに座中の様子を見れば、こはいかに梅ヶ谷大達が一心不乱立合いの最中なれば、是れはとばかり又々びっくり、かかる内にも双方の力士は術を尽くして揉合いしが先日の大場所と同様に勝負の果てしあらずして取り疲れたる息づかい、このとき公には此れにて宜しと中に入りて自から引分け、アー愉快ジャ愉快ジャとこよなく打ち悦ばれ、大きに座を騒がしたりとて金五十円を楼主に与え前の力士共々そこを立ち行かれしと、投書のままを斯くは物しつ。(2.5)

黒田清隆(;・ω・)無邪気というかわがままと言うか・・・しかし明治の新時代になっても大相撲が生き残って来れたのはこうした政府要人が相撲ファンであったおかげとも言います。ところでこの場所、初めて星取表が載りました。他紙がいつから星取表を載せるようになったか分かりませんが、元々相撲記事の詳しい東京横濱毎日新聞ですから相当古い部類なのではないでしょうか。星の下はひらがなで対戦相手の名前が書かれています。これ以降毎場所この形で幕内と十両の星取表が載るようになります。



明治18年春場所星取表

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【2006/10/10 11:08】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所9日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.31)

○回向院大相撲
・昨日九日日の相撲は、顔触れの宜しきより随分客多く上景気なりし。
・(中入前)小金山獅子ヶ嶽に勝、浦ノ海四ツ車は預り、藤ヶ枝國ノ花に、鷲ノ森菊ヶ濱に、藤田川有明山に、白梅山ノ音に勝。
常陸川越川は預り、朝日嶽鳥ノ海は引分、四剣早虎に勝、藤ノ森泉川は引分、竜ヶ鼻に、司雲竜千勝森に、木曽川島田川に、和田ノ森達ヶ関に勝ちたり。
鶴ヶ濱は右四ツにては下、は上手とミツを引きつつ投を打ち合い、ついにの下手投にての体流れの勝は若相撲の花々しき取口なりし。
伊勢ノ濱立田野は左四ツにて伊勢が一ぱいに寄切る所を、立田はウッチャッテ勝は美事なりし。
九紋竜清見潟は、渡し込て清見の勝。
友綱一ノ矢は、突掛跳合い左四ツとなって友綱上手を引き、遮に無に寄て友綱の勝は面白き相撲なり。
上ヶ汐廣ノ海は右四ツにて、上ヶ汐が得意のカワヅにて勝を得たるはちょっと見ごたえある相撲なりき。
柏戸高見山は、柏戸が足クセに行く時自身にツブレ高見の勝は気の毒の様なり。
剣山千羽ヶ嶽は、ヤッと立上り突掛けて剣山は二本をハヅに構い押切らんという所を残し、又も突掛る所をヒネリしに千羽の体危うかりしが、又も残って突掛る時千羽は踏切りながら又突掛るに、此の時勝負あったと行司が示せば、千羽は振りかえり我が踏切し足跡へ指を差し忌々しいという塩梅にて苦笑いせしはちょっと興ありき。
梅ヶ谷西ノ海は、仕切申分なく立上るや小手先にせり合い手車引いて突立ちしが、互いに握り合いたる手に力の入り、双方よりほどかんとするも如何な放れずついに水となり後、其のままにて勝負なく引分は立派のみにてさほどに目覚ましき相撲ならず。
・(中入後)平ノ戸八幡山は血気と云い達者同士の相撲なれば実に日ざましき争いにて、八幡が右を巻て足クセに行かんするを平ノ戸は体を近づけず防ぎながらに蹴返して勝はよくこそ極めたり、喝釆少なからざりき。
綾浪増位山は、増位が寄って来る時土俵の際にて体をかわし左四ツとなってスクイ投げ綾浪の勝は近頃引続きての仕合わせなり。
浦湊入間川は、丁度西との取口にて手車で立ち水の入りたれば場内はイロ梅ヶ谷イロ西ノ海とて笑いの声の絶えざりしが、妙な所で愛敬を蒙りしものなり、殊に矢張り引分は大笑い。
中ツ山萱田川をハタキ込て勝。
智恵ノ矢出釈迦山を同じくハタキ込んで勝は上々。
嵐山海山は、海山の左をが泉川に極めつつタメ出さんと寄来たり、土俵際にて泉川をほどいて寄りしはこも又お手柄。
綾瀬川緋縅は、綾瀬が左を差して寄り、緋縅寄られて土俵際に至るとき綾瀬がなお右を差すを、緋縅巻て一振り振りし途端ハタイて勝は嬉しそうな顔付なりし。
手柄山常陸山は、ヤハヅを防ぐため頭を下げて突掛る所をハタキ込て手柄の勝は其の名に恥ぢぬ大出来なり。
鞆ノ平大達は、突掛ると直ぐに大達は突張て勝は、の腰が入らぬ様にてまづ腰クダケと評する方よからん、何に致せ大達が滅法強いには驚く。
大鳴門高千穂は、右四ツにて寄り大鳴門の勝。

幕内の取組が終了し、最優秀成績は大達と剣山の7勝1敗1分となりました。新大関の西ノ海は黒星こそ付かないものの攻めに鋭さを欠いたか引き分けが多く、梅ヶ谷も風邪で途中休むなど振るいませんでした。来場所も番付には載りますが出場せずに引退、大力士梅ヶ谷はこの日の相撲が現役最後の一番となりました。
朝倉市ふるさと人物誌(梅ヶ谷藤太郎)

明治18年春場所星取表

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【2006/10/08 22:30】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所8日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.29)

○回向院大相撲
・昨日同所八日目の相撲は申す迄もなき大達の顔触れなれば、何ともはや申し様なき大入にて、正午頃には早くも客止めをなしたり、思うに昔時稲川鉄ヶ嶽の相撲に付いて今に残れる浄瑠璃の表にピッシャリ貼紙の張裂く木戸口押合いへし合い集まりし見物は前なるを叩き込み後なるをショイ投げるなど、イヤハヤいうも更なる雑踏は以前の大場所も斯くはあらじと年寄りたる好角家が物語りし、さればにや場所の四方土間の辺りは雑踏を制するため数名の巡査押合う人を制し、且つ両国橋の東より回向院の表門迄は同じく巡査の車を制して其の通行を止むる程にて、余は云わずとも推しねかし。
・(中入前)山響山分に、三芳川播磨洋に、雷震大纒に、山ノ上五月山に、柏木剣島に、梅ノ春荒玉に、栄松器械舟に、勢力八ツノ浦に、響升二本松に、竜門玉桂に、千年川泉瀧に、若湊兜山に、五所櫻千草山に勝。
三日月黒雲は預り、五十崎島田川に、取倉茅田川に、岩ノ里浦湊に、綾浪桐山に勝。
八幡山藤ノ戸は立上るや八幡は左を差し、右に前袋を引き付け入りて得意の足クセにて勝を得たりしが、藤ノ戸は相手に踏切ありとて物言付け場面を預り、勝点は八幡となりし由、さりとは無理の物言ならずや。
平ノ戸嵐山は引張り込もうという途端、突張て平ノ戸の勝は上々。
出釈迦山増位山は、左四ツより上手を引き寄倒して増位の勝はよろし、思えば丁度五年跡、両人が春場所の顔触れにて大相撲となり行司溜りで双方が気絶せし事ありしが、今更話しの種とはなりぬ。
鶴ヶ濱手柄山が突張り来る所、体をかわして押切り手柄の勝は最も巧者の取口なりし。
千羽嶽綾瀬川は左四ツとなり綾瀬は下手ミツを引き、後なお上手さえ引き一揉みして相手を引立て釣上げつつ櫓に行こうとする所を、千羽は一心足クセにて防ぎしが残って千羽も左にミツを引き、大相撲にて水となり大喝釆を博したりしも、後同様にて引分けは先ず先ず当日中屈指の相撲なりき。
緋縅鞆ノ平は左を差して押切りの勝なりしが、緋縅は踏切てからイヤという程の横面をハリしは、いと可笑しかりし。
高千穂知恵ノ矢は、知恵ノ矢高千穂にハジカレしも踏切らず、体を一周りせしは流石に見所ある相撲なるが、詮方なく出て来る所をハタキ込んで高千穂の勝はさもありなん。
西ノ海大鳴門は、西が左を差さんとするを巻込で殺し、大鳴門が差したる左を右に巻きヨイショとばかり揉合いし後、離れて今度は四ツとなり大鳴門は上手に前袋を引き攻め、ついに西は右にて此の前袋を引きし敵の右を殺し一大相撲となりしかど、取り疲れて水となり後離れて突掛け今度は西が大得意敵の左に泉川を極め、攻め立てしが勝負なく引分け。
廣ノ海は、左四ツ投げの打合い残って下手投げに行きしに、なお残る所を又も足クセに行きしが、己の体潰れすなわち掛倒れて廣ノ海の勝。
海山友綱は、首投に行く所を海山突落して勝。
一ノ矢柏戸は、柏戸が寄来る鼻を一ノ矢が巻き落す様に見えしが、柏戸に団扇の上り物言となりにき、此の物言は無理ならで一ノ矢に踏切は更になき様に思わる、されど是非なく預りたり。
常陸山上ヶ汐は、常陸が右を差して行き上ヶ汐は右に敵の差し手を押さえながらハヅに構い空き手を殺し合い後、上ヶ汐は二本差して両ミツを引きたるに、常陸も今は詮術なく敵の両手を巻きつつ防ぐのみなりし、此の時一杯一杯と溜まりよりの言葉ありしも、ここで水がはいる時は再度組んでヨイショとなり上ヶ汐が寄切るは必定にて、防ぎにくき組手となり常陸のためには大迷惑と気遣う観客、その通り行司庄五郎が今少しといううちに一揉みして常陸山は右に敵の左二の腕をしっかと押さえし時、ここで宜しと水になりしが後、上ヶ汐が寄る時常陸はすんでの事に踏切らん有様なりしが、足クセにて此を残しついに引分は当日の大相撲なり。
高見山剣山は、矢ハヅにて高見は踏切りの勝、力負けは詮方なきもの。
・さて其の次の取組は昨年の大場所以来、来年来年と云って鬼の笑うも顧みず言い囃したる大達梅ヶ谷(今更場内の模様はいう迄もなければ略す)、両力士は気合宜しく立上りて左四ツとなり、空き手は互いに巻き合いて押しも押されもせず土俵の真中に突立ちて、何の事はない土俵へ眼鏡橋を架けし様にて動かばこそ、互いに大事の大事と軽はづみせず仕掛る相撲を待つのみにて水となり後ついに引分たり、評あり曰く、一向力の入らぬ相撲と是れ誰が目にも斯くの如くなるべし、されど斯く四ツとなりてもし一方より動くあらば果たして仕掛けたる方に損あって待つ方に益あり、記者此の相撲に付いて別段評を下さざるなり。

・此の日、雑踏のために東上げ桟敷二三間は落ち入り、野次馬連のために怪我せし人もありし様なり、又打出してより両国の橋は暫時往来止まり吾妻橋を廻りて帰宅せし人も随分ありしという、さて明日は千秋楽にていつもなれば二段目以下の取組みばかりなれど、本年は平日と同様幕の内も取る事になるやの説あれど未だ判然せず、また目下相撲流行の折柄とて上州前橋ならびに高崎其の他の地方よりは泊り掛け或は一日掛けにて回向院の大相撲を見んと出て来るものもおびただしく、ために上野高崎間の汽車は一層乗客多き由なるが、殊に当日の勝負付けを電信にて国々へかける者も少なからざるより、両国の電信局にては午後五時過ぎ頃より毎日意外の繁忙を来たすよしなり。
○木挽町の花相撲
・来る二月五日より晴天八日間、木挽町三丁目に於て相撲興行の旨を昨日友綱良助より其の筋へ出願したり、また此の一行は右の場所を打ち上げ次第八王子南横山町に於て興行する由。
○祭典相撲
・前号に記せし来月一二の両日、本所緑町二丁目旧津軽屋敷跡に於て宿禰神社祭典相撲を催すに付、宮方を始め大臣参議各国公使の来臨を仰ぎたるに、いづれも承諾せられし趣に聞けり、右に付き当日高砂浦五郎の宅を以て右の方々の休憩所と定めたり、また一昨日同催主たる五條為栄君より招待状を小社へも寄贈せられたり。

大一番の顔合わせが再び組まれましたが、両者慎重だったようですね。梅ヶ谷は休場明けでもあり同じ相手に連敗出来ないプレッシャーもあるので、勝負に行かれないのは仕方のないところです。しかし相撲人気は大変な事になりました。昭和戦前の双葉山時代には開催日数を増やす事で対応しましたが、この当時は力士数も多くないので日数を増やすと大関が十両下位とも対戦することになり、日数延長は無理でしょう。結局千秋楽の相撲もいつも通りに幕内は取り組みませんでした。

明治18年春場所星取表

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【2006/10/07 18:59】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所7日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.29)

○回向院大相撲
・昨日同所七日日の相撲は引続きし大入にて、桟敷より土間に至るまで立錘の地だにあらざりき。
・(中入前)玉桂八ツノ浦に、白梅田上山に、四剣五十崎に勝、相川越川は引分、山ノ音鳥ノ海に勝、朝日嶽泉川は引分、竜門勢力に、梅ノ春取倉に、泉瀧兜山に、藤ノ戸司雲竜に、綾浪菊ヶ濱に、八幡山浦湊に、入間川和田ノ森に、岩ノ里中ツ山に、平ノ戸立田野に勝。
嵐山鶴ヶ濱は申分なき取組にて人気十分なり、嵐山は左を差しは左をハヅに構いてが寄り来る所を土俵七分において敵の左をコジ上げながら右を差すや否やスクイ投ての勝は賑やかなる相撲なりし。
九紋竜三日月は出し投て三日月の勝。
・幕ノ内になりて伊勢ノ濱清見潟を押切て勝。
・さてこの日初めて現れし海山は、海山右を差し押切て勝。
浦風廣ノ海は、右四ツにて廣ノ海は寄行くを浦風が十八番の首投にて既にこうよと見えたるも残る途端、廣ノ海押切て勝は血気の働きなり。
・そこで綾瀬川一ノ矢の土俵となれば場内は雑踏云うべからず、一ノ矢が仕切て待てば綾瀬川は気合を待ちて容易に立たず、仕切直す事五六度に及びたり、やがて気合相叶うやヤッと云いざま突掛て、すぐ左四ツとなり空き手は互いに差し手を巻き、一揉みして綾瀬川は両差しとなり左右ともムンヅとみつを引きたるにぞ、さては一ノ矢の仕合せ悪ししと観客が油断スナ一ノ矢と叫ぶにつれて綾瀬川そこで極メヨとわめくあり、龍虎の争い勇ましく暴れながらに一ノ矢は敵の左をしかと取り腰を切れば綾瀬が差し手は抜けたりき、此の時すかさず一ノ矢は付け入って寄りたるに、綾瀬はちょっと踏切しが勝負アッタと行司の言葉もちょっとは耳に入らずしてなおも揉合い、土俵際にて綾瀬が首投に来る所を一ノ矢が突張れば綾瀬の体流れ一ノ矢勝を得たり、此の時に至り先に勝負ありし事が分りしほど一生懸命の相撲にて、一ノ矢一ノ矢と鳴り渡り土俵目がけて投付ける纒頭の数さえ多かりし。
友綱常陸山は、立合中跳ね負けて友綱の勝。
大鳴門大達は、例の通り大達が中腰に仕切しにぞ大鳴門も心得て同じく中腰より立ち突掛しが、如何にせん大達が左手に敵の首を掴みヒネッて勝はあんまりひどい。
知恵の矢高見山は、高見が右を差さんとするに知恵の矢は巻込んで例の足クセに行かんとする気込みを、高見山はそれと知りしや途端に体を返して左に上手を引き、出し投を打ちしに、同体の如く見えしが団扇は高見山に上りしにぞ、物言付て預りとはなりにき、此の相撲は実に筆記に苦しむほど難しき勝負にて、今一二分遅かりしなば団扇は知恵の矢に上るなるべし、何に致せ物言いの起こる相撲ならん。
手柄山千羽ヶ嶽はちょっと突掛けて左四ツになる時、手柄山がスクイ投に行きしに、此の投は崩れしもスカサズ寄て手柄の勝は、近頃の上出来。
上ヶ汐緋縅は、緋縅が差さんとする左を上ヶ汐は右に巻き込て殺し、上ヶ汐がハヅに構いたる左を緋縅は右に巻き込み、寄り身に来るを上ヶ汐は只だ防ぐのみにて水となり、後一度離れしも又々元の如くにて引分となりしが、緋縅の方勝気の様に見えたり。
鞆ノ平高千穂は、鞆ノ平が左を差して寄来るに高千穂後づさり今踏切るばかりの時ヒネッて高千穂の勝となりしは、がハヅンで上ズッタル為ならん。
剣山西ノ海は、が十分という左四ツにて上手までひき両三度も投を試みしが、西ノ海も一心防いで残り水となり、今度は西より相撲を仕掛け一揉みして上手を引かんとする時、引分よと溜まりの言葉によりて分けに掛るその途端、西はまんまと上手を引きしも早や詮方なく引分となれり。

○合併相撲
・来る二月一日より同十四日迄(雨天を除く)赤坂一ツ木町三十二地、浄土寺境内において東京大坂合併相撲を興行する由、東京方は大関千羽ヶ嶽、関脇緋縅、小結廣ノ海、前頭海山鶴ヶ濱八幡山三日月白梅、大坂方は大関八陣、関脇猫又、小結雲鶴、前頭六ツヶ峰勢力岩ヶ谷虎林加賀林なり。

観客がご祝儀を土俵に投げるという光景は記事では初めて出てきました。昔はこれが懸賞金のようなものだったのでしょう。明治42年に国技館が出来た時に禁止されました。大達を倒して名を上げた綾瀬川にも初の黒星が付き、ここまでの好成績者は1敗の大達、1敗1分の剣山くらいで新大関の西ノ海は3日連続の引き分け。梅ヶ谷はまだ引退せず今場所も出てきましたが体調不十分のようです。

明治18年春場所星取表

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【2006/10/06 12:19】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所6日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.27)

○回向院大相撲
・一昨日同所六日目の相撲は、顔触れの宜しきと日曜に当りしとを以て朝まだきより押掛たる観客の数はまづ小一万もありしなるべし、さりながら午後よりの降雨に付き既に入掛ともなるべきの所、土俵入り後の事なればとて無理に相撲を取りしゆえ、皆な心せわしく取り仕舞いを急ぎて午後三時頃には打出せり。
・(中入前)青木川松ヶ森に、吉ノ山響洋に、松緑因幡山百瀬嶽浦島に、錦嶽松ヶ枝に、黒龍雷ヶ嶽に、朝日山山分に、柏原山響に、山ノ上甲潟に、照ノ海二本松に、雷震柏木に、三芳川五月山に、大纒栄松に、四ツ車剣島に、荒玉小島川に、千年川器械舟に、それぞれ勝。
・幕の内に移りて緋縅手柄山は、突掛て左四ツとなり緋縅が遮に無に寄らんとすれば、手柄山は術を尽して左右に体をかわしつつ寄せじと争い揉合い、一寸は勝負の付かざるより一杯入れる所なりしも、折せつ降雨の事なれば水なくして急ぎ引分しは手柄の耐忍に感心せり。
廣ノ海友綱は双方日の出の若相撲、随分花々しき取口なりしも右四ツにて寄り友綱の勝。
千羽ヶ嶽知恵ノ矢は、ヨイショと立て右四ツになりしが千羽は釣らんという気組も、わざ者と呼ぶ知恵ノ矢が上手を引て足クセを巻き、モタレ込みての勝を得たるは御手柄御手柄。
高見山上ヶ汐は小手先のせり合より暫らくいどみ、又突掛くる上ヶ汐高見山がハタキに掛けしが残り、途端に泳ぎ込んで足を取り上ヶ汐の勝は妙なり。
一ノ矢大鳴門は右四ツにて大鳴門が一寄せんと金剛力、土俵の際に寄行きて一ノ矢があわれ踏切らんと危うく見えし所、切返して一ノ矢勝を得たるは大喝釆を博したり。
西ノ海鞆ノ平はまづ申分なき取組にて、名乗上るや場内の雑踏云わん方なかりし、先づ力士は仕切見事に立上り、西ノ海が得意といえば皆ご案内の泉川を敵の左に極めつつも締め上げては極め出さんと攻め立てしが、も流石にわるびれず防ぎ残りて水なりしが後同じく泉川にて果てしのあらずしも引分は惜しかりき。
海山伊勢ノ濱海山得意の右を差せしに、伊勢も同じく右を差し四ツに渡って揉みながら、海山左に敵の差し手を押さえつけ寄って勝は別に評なし。
清見潟浦風は、直ぐに押切て清見の勝は元気と云うべし。
常陸山に近頃評判の綾瀬川も、右四ツより常陸が首投足クセ等しばしば相撲を仕掛しも綾瀬は防いで皆な残し、今度は常陸が小手投に来るをここらでよかろうと小手を預け突張て勝は、重ね重ね御手際の宜しき事。
・さて其の次は大達剣山、コイツはどうもたまらぬと後ろの方の観客は伸び上がりて前を制し、ヤレ頭が高いイヤ帽子を取れと呼ばわり立てれば野次馬連が敷きぶとんを投付るなど、人浪打ちたる場内の騒ぎ近頃稀の雑踏なりし、其内にヤッと云いざま立上り力士は互いに突掛て気をうかがい、ただ小手先のせり合にて手車引いて立ちたりしが、大事の相撲と八方に心を配れば疲労も多く、ついに水となりし後は手車をほどき左四ツとなりしにぞ、こはここでが一番上手を引いたら果たして妙な相撲にならんと気遣う観客瞳を据えて見てあれば、剣山はエイヤッと巻き投げせんとの勢いなり、此の時大達の体はウネリて危うく見えややという内に残って同じく左四ツ、又もが仕掛けんとする時に大達は左を敵の右脇に当てがい押切て勝を得、是また一大喝釆を博したり、是れにて当日の相撲を打出したり。

・なお昨今の両日は前日の降雨にて場所の濡れたれば、休んで明日開場する由なり、もっとも梅ヶ谷は風邪にていま一日休むとの事。
○祭典相撲
・野見宿禰神社祭典相撲については既に桟敷土俵等も出来せり、いづれも丈夫の切組にして桟敷の如きも臨時其の節々取設けるに及ばず、何時の用にも供し得るの趣向にて行き届きたるものなり、右に付き相撲中よりは九百円を奉納し又た貴顕紳士の寄付も多く、根津八幡様よりは百円を寄付したり、開場の当日は各宮方を始め大臣参議の来臨を仰ぐ趣きなりと。

星取表を見ると、この日だけ十両力士が一人も出場していません。雨のために取組をスッ飛ばされた模様です。午後3時に打ち出しとは(;・ω・)屋外興行のため大雨が降ると桟敷や座布団が濡れて2~3日開催出来ないこともあるわけですが、1月場所は寒くて降雪する時もある、5月場所は少し開催が遅れると梅雨にかかる、他に良い開催時期は無かったんでしょうか。

明治18年春場所星取表

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【2006/10/04 23:37】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所5日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.25)

○回向院大相撲
・昨日回向院五日日の相撲はひと際の大入にて、実に立錘の地なしとは此の日の景況をいうものなるべし、されば取組の宜しきと大相撲のたびごとには人波を打ち、押しつ押されつ雑踏云わん方なかりき、あたかも昔時の勧進相撲はいつも斯くありしとの事なるが此の日あたりは近頃上景気の極度と見えたり。
・(中入前)天拝山に、柴ノ山梅ノ春に、小車木曽川に、田上山有明山に、志子ヶ嶽浪渡りに、播磨洋神風に、一文字相川に勝。
若木野大綱は預り、藤ノ森中田川に勝、宮ノ松常陸川は預り、信夫嶽國ノ花に、浦ノ海藤ヶ枝に、菊ヶ濱鳥ノ海に、小金山藤田川に勝。
山ノ音鷲ノ森は預り、泉川白梅に、朝日嶽毛谷村に、司雲竜岩ノ里に、若湊に勝。
綾浪は足クセにて平ノ戸に、千勝森は寄倒して越川に、増位山は押切て三日月にいづれも勝。
鶴ヶ濱藤ノ戸は、案外に早く極まり押切て鶴ヶ濱の勝。
嵐山出釈迦山は左四ツ、スクイ投て嵐山の勝は勇ましき相撲なりし。
浦風海山は、右四ツとなり海山右にミツを引きちょっと揉合いしが後、寄モドして海山の勝。
上ヶ汐一ノ矢は取組の宜しきゆえ名乗の上るや観客は声を限りにわめき立て、上ヶ汐と呼び一ノ矢と叫び一大騒ぎなりき、さて両力士は立上り一ノ矢が一寄りせんと突掛て左を差せば、上ヶ汐も同じく左を差したる時直ぐに足クセを巻て上ヶ汐の勝。
剣山高千穂は、小手先のせり合より剣山が突張り出でしを、高千穂は二足程も後づさり敵の左を引張り込まんとなす時、やはり突張りて剣山の勝。
知恵ノ矢大達は、例の拳固に知恵ノ矢迷惑の体なりしが、暫らくして立上り知恵ノ矢が組入る間もなく突落して大達の勝はさもあるべし。
・(中入後)中津山達ヶ関をヒネリ、立田野九紋竜を首投ていづれも勝。
伊勢ノ濱緋縅は、伊勢ノ濱が左を差して遮に無に寄るを緋縅は一心に防ぎ、ここを残って右四ツとなり緋縅上手を引き、寄って勝。
手柄山廣ノ海は、廣ノ海が血気に任せ一突張りと突いて出るを手柄山は右手を以て矢ハヅとなし暫らくタメテ此の手を放し、がハヅンで出て来る所をハタキ込で勝を得しは近頃お手柄と申すべし。
友綱清見潟は、左四ツ寄て友綱の勝。
鞆ノ平高見山は、高見の腰クダケし様にて造作もなく突張ての勝。
大鳴門千羽ヶ嶽は、千羽ヶ嶽が寄行く所を大鳴門は巧みに体をかわし、左を差して寄りながら渡し込んて勝を得たり。
綾瀬川西ノ海は当日第一の取組にて、待設けたる人々が一度に声を上げツツも浪を打たせて押倒されわめくもあれば足を踏まれてつぶやくあり、これ等の人の顔を見るに皆本気とは思われず多くは狂する如くにして、先立つ者を押しのけ此の勝負を見んと競いしは天地も崩るるばかりの騒ぎというも決して誣言にはあらずかし、さても力士は双方仕切に念を入れながら立たざりしが、ようやくにして立上りヨイショとばかり左四ツに渡りしは土俵一杯、それ西ノ海ソレ綾瀬と又もや起こる喝釆中力士は互に身動きもせず(記者曰く、身動きせざるは双方相撲を大事にし西ノ海は敵が前日大達を極めたる手並あればアタラ仕掛て負を取りなば悔いるも甲斐なし、との意に出て敵が相撲を仕掛るを待つなり、綾瀬川もまた西と同じく負けを取らぬよう思えば互にタメラウなり)しばらくして水となり後取組しが、ちょっと西が相撲を試みし迄にて引分たるは惜しむべきとなりし。

○相撲興行の個所
・回向院の大場所及び宿禰神社祭典相撲を打上げ次第、梅ヶ谷大達の一行は直ぐに上州高崎へ赴き同地にて興行のうえ帰京して築地に興行し、終わりて横濱に到り又帰京して麹町にて(いずれも七日間)興行し、それより五月の大場所まで地方へ出掛くる由、また玉垣派の力士は大坂力士着京次第府下にて合併相撲を興行する筈なりと。

場内の熱狂ぶりの描写がいいですね。これだけ書けば、読んだ人も一度見に行ってみようということになるのでは。実際かなりの客入りのようで、これだけ人気があれば巡業も順調にいったことでしょう。江戸時代と違い交通も少しずつ便利になってきています。東京から高崎への鉄道は明治17年開業とのことですから当時はすでに開通していますが、それにしてもハードスケジュールですね。
高崎線のページ(高崎線の歴史)

明治18年春場所星取表

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【2006/10/02 23:52】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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