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明治18年春場所4日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.24)

○回向院大相撲
・昨日回向院四日目の相撲はいよいよ大入にて、観客はただ無数と言わんのみ。
・我が社員は例の通り出場して其の取組景況を筆記に掛かる折しも、あれ一人の相撲来たりて、毎日新聞の社員へ面唔を要する儀ありと只今議官諸君の申し聞けられたればお呼び申しに参りぬ、と告ぐるにぞ、社員は心に思う様さては何か筆のついすべりし事共ありしなるかと恐る恐る案内の所へおもむきしに、一座は是れ柴原議官を始め三四の紳士居ならびてありけるにぞ、今にもお目玉を頂く事ならんと思いの他、近頃毎日新聞の相撲記事はすこぶる細密にして好角家には至極悦ばしき儀なり、と案に相違のお褒め言葉を頂戴し、大達が土俵に上りし時のように肘を張りて悦びながら座を辞せしは自分ながら大きに手柄相撲の形ありしと、帰社しての物語には兎に角無事にて安心せり。
・さて取組に移りて千年川松ヶ枝に、大纒山響に、二本松武蔵野に、三吉川四ツ車に、器械舟八ツノ浦に、剣島五十崎に、勢力荒玉に、泉瀧龍門に、兜山響洋に、早虎取倉に、白梅黒雲に、萱田川島田川に、浦湊達ヶ関に、いずれも勝。桐山和田ノ森を押切て勝。
立田野中津山は、双方ともに小さいながら体格と云い技量と云い達者相撲と名を取りたる釣合の取組なれば、立合申分なく立田野中津山の左を泉川に極め、是れよりもつれて投げもまれヒネリもまれ四十八手を取り尽くせしも何さま勝負のあらずして、ついに小手先のせり合にて水の入り、後なお勝負なく引分たるは近頃感心の相撲なりし。
八幡山九紋竜は、八幡山二本を差し右に前袋を引き攻め立つるに、九紋竜は咽喉管も掴み切らんとするばかりに手ひどきナタに攻め立て、互いの耐忍見えたりしもついに櫓に掛けて八幡の勝。
出釈迦山伊勢ノ濱は、左を差して寄来る伊勢をカタスカシに掛て出釈迦の勝は見事見事。
清見潟手柄山は丁度釣合の相撲にして、いづれをそれと知らざりしが寄り身にて手柄の勝。
常陸山鞆ノ平は、左四ツにて鞆ノ平上手を引き遮に無に寄り行く途端に常陸山は打チャリしと思いしに、此の時の方に団扇の上りたり、されど物言付いて預りは常陸の物言無理なき様なり。
高見山友綱はハジキ出して高見の勝は美事にして、久々の十八番を拝見つかまつる。
緋縅大鳴門は、大鳴門が左を差して来るを心得て緋縅カンヌキに極めたり、此の時大鳴門は何でも寄て相撲にせんと一心不乱に寄行くを、緋縅が大きな腹でタメながら防いで残れば又た寄来る大鳴門が差し手を見るに、上下ともに引き居たるは三ツに換えたる腹の皮、ギュウギュウいう程引き立ちしは随分痛そうに見えたりし、されど緋縅は西に東に体をかわして二三度も残りしは其の耐忍の見えたれど、ついに踏切り大鳴門の勝。
西ノ海柏戸は休。
・(中入後)平ノ戸泉川を乗り掛け、藤ノ戸三日月をハッテ押切しは得意とはいえ後にて藤ノ戸の手がしびれしを見れば三日月はさぞ痛き思いをなせしなるべし。
綾浪嵐山は至極取組の面白く、まづ左四ツとなり綾浪は右に前袋を引き寄りながら土俵際にて前袋を引きたる右を放し渡し込まんと足に行くため前に力の入りし時、カタスカセに掛て嵐山の勝は感心。
入間川千勝森を蹴タグリて勝も、著しの得意と知られたり。
鶴ヶ濱増位山は右四ツにて増位山下手を引き、は上下ともに引きつつ一心不乱寄り行き、増位が既に踏切しかと疑ふ折しもウッチャリしがに団扇上りたり、それより物言い付き是非なく預りとなりしが、さして無理の物言にてはあらざりし。
廣ノ海知恵ノ矢は、カワズに掛て知恵の勝は如何さま巧者の相撲なり。
千羽ヶ嶽浦風は、左四ツにて寄り来る千羽ヶ嶽を逆にも右にて首捻りに掛け勝を得たるは、流石一度関脇まで上りし相撲だけ年は取りても元気の取口とや申すべし。
高千穂綾瀬川は観客が待ち設けたる相撲にて、名乗と共に喝釆一方ならざりし、立上るや高千穂は右を差してミツを引き左をハヅとなす、綾瀬川がハヅに構いたる左をわが右に巻き、敵がミツを引き居る右をわが左に抜き上げつつためらいけり、かくて高千穂は揉出でんとする事たびたびなるも綾瀬川は如何な動かず、互に隙を伺ううち水となり後、なお此の手にて勝負なく引分けたり。
海山剣山は、押切て剣山の勝。
大達上ヶ汐は、大達が例の通り拳固を二つこしらえ前へ出して仕切るゆえ、上ヶ汐は立ちかねて度々拳固を制するも止めずついには面倒という所よりヤッと立ちながら此の拳固を引張り込みて一本ショイかタスキにでも抜けようと立上りしが、そうは行かず押切られて上ヶ汐ツブレ大達の勝。
一ノ矢梅ヶ谷は大相撲、一度水となりし後なお勝負なく引分となりしが、最初より小手先にせり合い手車より離れては突掛けたる一ノ矢が手足の動きは近頃目覚ましき気力なりし。

○祭典相撲
・野見宿禰神社祭典相撲は、いよいよ大場所打上げ次第一日おきて直ぐに興行の由、昨日より神社前において切符売捌きを始めたり、流行の今日ことに大達綾瀬川の取組ありといえば一層の気入にて、切符申込人すこぶる多くこの分にてはたちまち売り切れるならんという。

記事前半に勝敗だけ書かれているのは十両よりさらに下の幕下の取組結果です。当時の相撲記事は現在の一般紙の記事よりも詳しいと言って良いのではないでしょうか。力士のコメントなどが全然ありませんが、もう少し時代が進むと支度部屋の風景なども記事にされるようになり、もっと面白くなってきます。緋縅はアンコ型だけに腹の肉をつかまれやすかったのでしょうか。ギュウギュウ引っ張られたうえ負けたのでは気の毒です。

明治18年春場所星取表
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【2006/09/30 22:04】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.23)

○回向院大相撲
・昨日回向院三日日の相撲はすこぶる大入にして、その米田氏も出場し其の他貴顕紳士の来場少なからず、されどまだ日の浅きゆえか谷斉坊のあらわれず、手柄相撲のためには何分不足の様に見えたり。
・(中入前)田上山浪渡りに、播磨洋天拝山に、忍嶽獅子ヶ嶽に、大綱浦ノ海に、藤ノ森相川に、鷲ノ森司雲竜に勝。
神風小金山は預り、鳥ノ海國ノ花に勝、毛谷村宮ノ松をスクイ投げ、泉川若木野を押切り、山ノ音は寄て藤ヶ枝に、若湊も同じく寄て常陸川に勝。
藤田川岩ノ里を押切て勝、菊ヶ濱に頂は預り、綾浪は櫓に掛けて藤ノ戸に勝、平ノ戸三日月(西京の十両取にて今度梅ヶ谷の門人となりし者)を釣出し、朝日嶽は寄て千勝森に、増位山は同じく寄て入間川に勝。
嵐山八幡山は、双方取れる若相撲の事なれば観客の気入すこぶるよく皆待ちもだえたり、さて力士は仕切十分に立上り突掛け、まづ嵐山の右を八幡山が引張り込まんとする時嵐山は振払いざま突張て勝。
知恵ノ矢鶴ヶ濱も気入り十分の相撲にして念入て立上り、ややありて立ち左四ツとなり知恵ノ矢は上手を引き、は下を引きつつ揉合いて土俵を廻るうちにツイ鶴ヶ濱に踏切のありとは双方知らず、尚も揉まんとなしける時行司は勝負ありしと心付け、知恵ノ矢の勝は上出来。
上ヶ汐千羽ヶ嶽は、左を差して上ヶ汐は得意のカワズに引きたればコレデハ千羽が危うしと思うに、千羽ヶ嶽は一心に防ぎつつ上よりモタレテ堪ゆるにぞ、ついに上ヶ汐はツブレテ千羽の勝もよし。
手柄山高千穂は、一本ジョイにて見事高千穂の勝。
剣山緋縅は、一度突掛けまた突掛ける緋縅がハタケば流れての勝。
・さて其の次は綾瀬川大達の取組なり、そも大達は横綱のを極めてより今は天下に敵なしぞと人々も言い囃し本年客座の大関にまで昇進したる剛の者、相手はまだ坂地より出京の日も浅きのみか人も知らざる綾瀬川(元大坂の前頭、同地年寄枝川の門人)なり、されば是は相撲にならぬと最初より観客はまず大達の勝ならんとは誰が心も同じかりし、両力士は形の如くに仕切つつ、大達が立たんとすれば綾瀬川がマッタをいい綾瀬が立てば大達が間にはマッタを言いたるも、綾瀬は心に大事の相撲、万一勝ちを得たならば後日の出世はいう迄もなく師匠梅ヶ谷の面目にもなる事と、たやすくは立たざりしが辛うじて立上り、綾瀬川が左を差せば大達も心得たりと左を差し四ツとなりつつ、大達が寄れば綾瀬は後づさりためらいて又寄り行き揉合ううちも、大達がスクイ投げんとなせし時綾瀬の体の危うく見えハッと気遣う観客の心の内、勝を得ぬは詮方なくもせめては大相撲を取らして見たしと思うあれば、早く大達が決めればよいと思い思いの了簡もまた一苦労とや申すべし、兎角するうち大達は差し手にカを入れつつもスクイ投げんと金剛力攻め立てる折こそあれ、綾瀬川は心得て左差し手にミツを引き右上手をハヅに構え、一際ひどく突落せば流石名代の大達も突落されて体流れ、綾瀬川の勝となればややとばかりに数千の観客拍手喝釆鳴り渡り、場内割るる如くなりし。
梅ヶ谷廣ノ海は大相撲となり、廣ノ海は一生懸命首投げ一方を望みたりしが、梅ヶ谷はついに両ミツを引き、寄て勝。
・(中入後)九紋竜達ヶ関を突張り、出釈迦山浦湊を持出して勝。
柏戸清見潟はツッパラれて柏戸が後づさる所を続いて押切り勝を得し所は清見の功者ならん。
伊勢ノ濱常陸山は押切て常陸山の勝。
鞆ノ平一ノ矢は、一ノ矢が首投に行く所をは二本差し櫓に掛て勝。
浦風高見山浦風がハレば高見も返報し、小手先にせり合い突掛るうち高見は突張て勝。
大鳴門海山は、タメ出さんと大鳴門の右を海山泉川に極めせしも、大鳴門が寄り来るに堪えず踏切り大鳴門の勝。
友綱西ノ海は、雑作もなく押切て西ノ海の勝なりき。

○宿禰神社、祭典相撲
・昨年十月九日の紙上に記せし本所緑町旧津軽邸跡へ野見宿禰神社建立の挙は、寄付金集まり次第漸次着手する趣にて、同町高砂浦五郎宅を以て当分該建立事務所と定め、役員には監督一名幹事八名筆者数名(臨時雇い入るる事とす)を置き幹事中より三名の委員を選び平常事務を負担せしむる事とし、監督は五條為栄君、幹事は伊勢ノ海五太夫大嶽門左衛門高砂浦五郎梅ヶ谷藤太郎根岸治三郎藤島甚助境川浪右衛門甲山力蔵、委員に高砂浦五郎梅ヶ谷藤太郎根岸治三郎とし、全て無給にて勤むる事とし、寄付金(神社建立に係る寄付金を云う)及び相撲講中組合金(相撲縦覧講中に加わり縦覧証を受くる者より出す金を云う)は建築等の費用に供し、其の他は全て確実なる銀行等へ定期又は当座預けとし当用払金の他は事務所に留め置かざる事とする由、また寄付金を出したる人々へは出金の多少に従い一日或いは数日相撲を縦覧せしむると云う、また同社内相撲場にて春夏両度晴天四日ずつ相撲を興行し、この日限中各一日ずつは寄付興行日と定め、収入金を折半して一半を神社維持金とし一半を祭典費とし、かつ此の相撲縦覧組合講中を募り、此の組合は永年施行すべきも差し当たり第一期を三ヶ年とし一ヶ年の掛金上等は金一円、下等は金三十銭と定め、一ヶ年に付き二日分の縦覧証券二葉を交付し、上等講中見物の場所は桟敷とし下等講中見物の場所は土間とし、上等は各案内人を出し茶たばこ盆を出す事とする由、該証券交付の個所は本日の広告欄内に詳なり。

米田さんは明治天皇の侍従の人かと思いますが、谷斉坊は誰でしょう。常連おやじでしょうか。大阪相撲から加入の綾瀬川と知恵ノ矢が二日目から出場しているわけですが、なんと大達が喰われてしまいました。なかなかの番狂わせです。横綱梅ヶ谷は元々大阪相撲の力士だったので、大阪から来る力士は梅ヶ谷を頼ってその弟子になることが多いです。それにしても宿禰神社の記事はやたらに細かい(;・ω・)相撲専門誌かと思うくらいですが、年間1円の寄付で花相撲ではありますが桟敷を用意されて見に行く、悪くないですね。1円は今の4000~10000円くらいでしょう。ペアチケット2日分ですが、何より会員として優遇されるのが気分良さそうです。

明治18年春場所星取表

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【2006/09/29 12:29】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所2日目 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.22)

○回向院大相撲
・昨日回向院二日日の相撲はいよいよ上景気にて紳士の来観少なからざりしが、毎年の大相撲に東の溜に一日の欠席あらぬ米田氏が本年まだ見えられぬは、何だか事が足りぬようなり。
・(中入前)千年川柏木に、五月山大綱に、四ツ車四剣に、三芳川荒玉に、八ツノ浦剣島に、白梅玉桂に、器械船越川に、響升五十崎に、兜山勢力に、竜門取倉に勝。
黒雲早虎を突落し、茅田川和田ノ森を押切り、泉瀧達ヶ関を持出し、桐山島田川を押切り、立田野浦湊を釣出して勝を得たり。
・幕の内に移りて緋縅九紋龍は、九紋龍一番足でもかつごうという気合にて泳ぎ込むを、緋縅は小手先に防ぎ左四ツとなり、九紋龍はミツを引かんとするも何がさてアノ腹ゆえ手が届かぬ所から、腹の皮をミツの代りにムンヅと引きではない掴み、土俵際にて打ちし投が抜ける途端押切て緋縅の勝。
一ノ矢中津山は、挟み付けて一ノ矢が寄るハナを中津は一本ジョイに抜けしも、一ノ矢がショワレながらに後ろより持出して勝。
千羽ヶ嶽柏戸は直ぐに寄倒して柏戸の勝なりしが、千羽は一寸立ち遅れしように見えたり。
出釈迦山鞆ノ平は気合よく立上り、難なく出釈迦が左を差して寄行く時、鞆ノ平が心の内は首投せんとの色見えしが、其の間なくして遮に無に寄り出釈迦の勝は最もよく大喝釆を博したり。
高見山伊勢ノ濱は立上りざま最初高見がハタキし時、伊勢の体危うかりしが残って今度は伊勢ノ濱がハタキ返して高見山の体ちょっと危うく見えたりしに、おなじく残りて右四ツとなるや否や、スクイ投て伊勢の勝は前番同様拍手は鳴りも止まざりし。
清見潟大鳴門は、左を差し直ぐにスクイ投て大鳴門の勝。
西ノ海浦風は、突掛て浦風の左を泉川に極め攻め立てしも、流石は浦風防ぎ抜いて残りしより、西が泉川をほどくや否や左四ツに渡り揉て浦風が下手を引けば西は上下ともにミツを引き、釣身に寄るを浦風がここを先途と足クセ巻て防ぎたり、されど効なく釣出して西ノ海の勝なりし。
・(中入後)綾浪知恵ノ矢(大坂より来り今度梅ヶ谷の門人となりし者)はどちらも取れる相撲にて、立合すこぶる面白く綾浪知恵ノ矢の左を泉川に極め、行司溜へタメ行くに知恵ノ矢も大事の相撲、防いで綾を押返し土俵中央に至りし時、綾浪も是れではならぬと泉川を崩して突掛け、今度は左四ツとなりながら下手にミツを引きつつも力一杯に下手投を打ちけるに、知恵ノ矢は投げられては一大事と足クセを巻いて投を防ぎキリカエさんとの金剛力、しばらくは大相撲にて拍手喝采ひとかたならざりしが、綾浪は矢張り下手投にて勝を得たり。
八幡山綾瀬川(また大坂相撲梅ヶ谷の門人となりしもの)は仕切宜しく立上り、八幡が攻め込んで得意の足クセに行かんとするも、綾瀬川はドッコイお望みにはまかせ難しという塩梅に釣出して勝は随分取口の上手と見えたり。
廣ノ海嵐山は、泉川にてタメ出す途端廣ノ海はウッチャリ団扇は嵐山に上りしも、廣ノ海は踏切らぬ先にウッチャリしとの物言を付けたり、此のとき溜りにありし鶴ヶ濱の勝なりと証明すれども全くの踏切が早い所なりと四本柱の年寄中も物言を取消さんとすれども止まざるより、詮方なく星を嵐山として場面を預りしが廣ノ海の卑劣とや申すべし。
鶴ヶ濱上ヶ汐は、立際には右を差し上手を引きざま出し投て勝はお美事お美事。
高千穂友綱は、直ぐに小手投にて高千穂の勝。
常陸山剣山は雑作もなく押切、の勝。
大達手柄山はちょっとタメライ、コロリと突落して大達の勝はそうしたものか。
海山梅ヶ谷は左を差しスクイ投て梅関の勝なりしが、が力を入れ過ぎたか、但し海山が差し手を巻いて放さぬ故かも転んで、さまで御手際という程には極まらざりし。

○日下山
武蔵潟に次て寸延の大男と称すべき日下山は、旧臘脱走して行方知れざる由。

預かり相撲には色々種類があり、全くの互角で両者に半星ずつ付ける場合、片方を有利と見て白星扱いの預かりとし不利な方の力士にも半星つける場合、その場は預りとして収めながらも星取表には普通に白黒つける場合。廣ノ海の相撲は土俵預りとなり、2番目のケースのようです。星取表上では白黒つけても良さそうなケースにも思えますが、この辺は複雑というか曖昧です。旧臘とは12月のことのようです、千秋楽の相撲などでおなじみの長身力士日下山(くさかやま)でしたが脱走してしまいました(´・ω・`)しかし現在でも「足が出る」という意味でその名が言い伝えられているようです。
二所ノ関部屋HP・用語隠語集(日下山をきめる)

明治18年春場所星取表
【2006/09/28 00:03】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治18年春場所初日 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.21)

○回向院大相撲
・かねて報道せし回向院大場所は昨日を以て開場せり、本年は年寄の注意にて夜に入らぬうち打出さんとの趣向にて、午前二時より櫓太鼓の音もろとも取始めたる事なればその打ち出しも意外に早かりし、さて此日は初日とは言え景気すこぶるよく、日を追うて大入は勿論と思われたり、取組は初日の事なればさまで宜しからず、大相撲というは一組か二組に過ぎざりし。
・(中入前)中田川木曽川に、神風浪渡りに、播磨洋田上山に、宮ノ松相川に、鷲ノ森浦ノ海に、小金山藤ノ森に、國ノ花常陸川に、若木野藤ヶ枝に勝。
司雲竜毛谷村は預り、鳥ノ海藤田川に、泉川山ノ音に、菊ヶ濱岩ノ里に、朝日嶽に、綾浪若湊に、平ノ戸千勝森に勝。
藤ノ戸海山は右四ツにて揉合い、或は寄らんと攻め立れば投を試みるなど大相撲になりしかど、海山の口中に痛ありて出血し引分となれり。
伊勢ノ濱廣ノ海は突掛てのち右四ツに渡り、は差し手にミツを引きつつ一心不乱寄りて土俵の際に待ち行きしが、この時伊勢もコハ大変と下手投を打つや否や体共に流れたり、されど団扇は伊勢の方に上りしに物言を生じついに預りとはなりしが、溜りの説には伊勢の体早くしてが七分の勝なりといふ。
八幡山友綱は段は違えど面白き取組にて、如何なる相撲を取る事かと待つ間あらせず立上り、ちょっと小手先のせり合より難なく右四ツとなり、機を計りつつ八幡山は得意の足くせにて勝を得たれば賞讃の声かまびすしかりき。
浦風常陸山は、左四ツ寄て常陸の勝。
上ヶ汐入間川は、申すまでもなく突落して上ヶ汐の勝。
増位山高千穂は、増位山が遮に無に寄らんと出て来るはなをハジいて高千穂の勝はちょっと大きし。
剣山鶴ヶ濱は、矢声と共に立上り突張り跳合い左四ツとなり、が揉んで揉み抜くも流石は名代の鶴ヶ濱、防ぎて相撲大事に取る時、剣山は此の手じゃ行かぬと今度は金剛力に寄来り、も今更防ぎ得ずあわれ踏み切らんと気遣う折から、せめては五分の相撲にしたしと下手投を打ちしに、の体危うく見えしも矢張り寄ての勝は一大相撲と申すべし。
嵐山大達は、寄て大達の勝は詮方なし。
梅ヶ谷清見潟はケタグッテの勝も評する所なし。
・(中入後)緋縅和田ノ森を押切り、一ノ矢浦湊を「ツッパリ」、柏戸桐山を寄倒し、千羽ヶ嶽九紋竜を突張ていづれも勝。
鞆ノ平立田野は、左四ツより立田野が差し手を抜き替えるとき寄りての勝。
高見山は左を差し、寄て手柄山に勝。
大鳴門出釈迦山はスクイ投て大鳴門の勝。
中ツ山西ノ海は、中ツが例の通りペロペロ舌を出しては機を伺い急に立たぬゆえ幾度か仕切直すに、西ノ海も可笑しく思い彼の愛敬顔へえくぼを入らせてありしが、しばらくして立つや泉川を極め放して西ノ海の勝は、あたら暇の要りし相撲なりき。

○相撲並びに年寄現員
・今回の大番付に記載ある相撲総数は四百十四人、また相撲年寄総数は五十五名なり。(1.20)
○相撲年寄役割
・今度回向院大場所の相撲年寄役割を聞くに、土俵見張役は伊勢ノ海五太夫大嶽門左衛門高砂浦五郎。勧進元は佐野山幸吉浅香山半左衛門。中改番は稲川政右衛門出来山長吉勝ノ浦与一右衛門関ノ戸億右衛門(補助)玉垣額之助。木戸番は追手風喜太郎を始め十六人。(1.20)
・また日々相撲の取組割をなすは何地の興行にも行司の担任なるが、大場所にてのみは伊勢ノ海大嶽高砂の三名が担任する由。(1.20)

記事に小見出しが入るようになりました。制限時間の無い時代ですから取組が長引くと暗くなって決まり手も判別できない、といった事が今までありましたが、少し早く終わるようになったみたいですね。取組の編成は現在も審判部の年寄が行っていますが、この頃から始まったのでしょうか?
小野コレクション(明治18年春場所番付)

明治18年春場所星取表

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【2006/09/26 12:16】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
大達破門騒動 (東京横濱毎日新聞/明治18.1.3)

○大達破門の訳
・オヤ大達が師匠より破門を受けたと、これは新年早々の大事変ジャとは昨日相撲好きの人々が我が毎日新聞を見ての評なるべし、いま約に随い聞き得しままの詳細を記さんに、かの力士大達はいかにも力量無双にして昨年の大場所に梅ヶ谷を投げてより東京はおろか日本国中、櫓太鼓の音ならで大達の名の鳴り響かぬという所はなきより、自分もまた満天下わが他に力士なしと十分心に許す折から、本年の改正番付にて大達を張出しの大関となしたるにつき、同人は大に不服の念を抱き師匠の高砂浦五郎に迫りて是非ともわしを真の大関に進めるべし、現在わしより弱き事は知れきって居る西ノ海を正当の大関に置く事やはある、と談判に及びけり、されどこの番付は年寄行司など一同が評議のうえ取り決めしものなるのみか世間にてもこの張出しの大関を設けしは古き例にも叶い、実にしかるべき計らいなりとてこれを賞する程なるに、今となりて改正するは何の理もなき無益の業、到底採用すべき事ならずと云われて大達はとかく心のままならぬを胸くさ悪く思い居るうち、力士中にて今度の事はお前の名前にかかわる事だに是れぎり黙ってしまう奴があるものか、ここは一番度胸を決めてもう一ぺん談判に出掛けろ、と肩を持つものありしかば大達もその気になり、どうありても改正してもらわザー私の心が済みませぬと再び高砂に迫り、果ては腕力にさえ訴えんづ有様にてありしかば、高砂はもはや破門するより他なし、と直ちに大達へ破門状を送り、また高砂門派の力士九十五人は師匠に向かって無礼をせし大達なれば、如何なる仲裁を為すものありとも我々決して取り持たざるべしと言い張りつ、しきりにその処置を怒り居るとの事なり、これにつき或る人はもし仲裁でもならざる上は大達はとても東京に居かねぬれば地方へでも行く気なるか知らねど、いま日の出の大達が東京相撲の組合を抜けては目指す面白味もなくなる訳ゆえ、何とかその贔屓の中にて仲裁しあっぱれ梅関との立合を見たきものなりと語りぬ、とまれかくまれ相撲社会の一珍事というべし。
○大達紛紜の結局
・飴屋の騒ぎがどうしようともそんな事は耳に入らぬ、大達の紛紜一件早く済まさなけりゃーとの相立合いがみられぬぞと相撲熱心家が気を揉み合いし彼の破門事件はいよいよ水が入り、贔屓の人々の尽力にて大達もその非を謝し、また師匠の高砂もようやくこれを聞き入るる事となり昨夜(六日)大達高砂へ以後謹慎の詫書を入れ、なお仲裁の人々よりは保証の書付を添えて目出たく手打ちになりたり、この仲裁の中には上流の人も加わり居たる由なれど、書付に署名せしはただ根津の大八幡、新八幡、馬喰町の柳川及び本田某等なりという、また大達は右一件の済みたる上はすぐ旧藤堂邸内の当場所へ出勤させなば一層景気にならんと人々の勧めに高砂もこれを承知したれば本日同所にて顔触れになるよし、かくと聞く相撲熱心家はまづ安心と胸のつかえを下ろすなるべし。(1.7)
○高砂と大達
・かの大達破門一件も詫びの叶いて目出たく元に復せしとはいえ、何となく師匠高砂との間うち解けぬ様なればとて一昨夜鷲尾元老院議官、五條同院御用掛が柳橋の亀清楼へ高砂大達伊勢ノ海其の他二名を招き饗宴を開きて自後の親睦を結ばしめたる由。


現在でも有名な破門騒ぎです。大達は師匠高砂の頭を殴り、高砂は日本刀を持って大達を追い回したと言われていますが記事ではそこまで書いてません。高砂は稽古場に張り紙をして「大達の所へ内通する力士がいた場合そいつも即刻破門」することを言い渡しましたが、記事によると力士達もみな師匠側についていたようですね。これは力士界全体の利益のための反乱ではなく個人的なものですから仕方の無いところでしょう。高砂はのちに騒動の責任を取る形で役員選挙への出馬停止を言い渡され、それに反発して協会側へ訴訟を起こしたりもしました。とりあえず今は大達の復帰が叶って良かったです。旧藤堂邸内の当場所というのはこの時開催中だった花相撲のことです。

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【2006/09/25 10:56】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
野見宿禰神社勧進相撲 (東京横濱毎日新聞/明治17.6.5)

・此の度の回向院奉納相撲は、力士社会にて野見宿禰神社修繕の為め寄付金を為さんとて興行したるものの由かつて記せしが、今聞く所によれば此の相撲は宿禰の後裔とか知らるる五條為仲君よりの依頼にて興行する訳なりと、されば土間桟敷その他すべての利益は悉皆同君の所得に帰する都合なるより、茶屋などはいつも通りの利を得る事の叶わぬに困り居るとの噂あれど、如何にやまた相撲流行の為めに柳橋辺の割烹店はいとも嬉しき影響を被りて、先月中などは毎日毎夜力士誘いの客が代わる代わる催す酒宴に余程の儲けを得たりという。(6.3)
・昨日回向院の相撲は、前日の雨天につき休業して太鼓を廻したれば、本日はいよいよ興行の筈なり、さて一昨日は上野広小路より根津へかけてドドンガドンと太鼓の廻りたるより、そりゃあしたこそ梅ヶ谷大達だと夜の明けぬ内から支度して回向院へ押し掛け、見れば櫓太鼓も打ち上げず休業の様子に皆々不審に思い、昨日の太鼓はどうした訳と問い合わせれば、かの霊岸島の合併相撲が景気に太鼓を廻せし事と分かり、つぶやきつつ立ち帰りしもの少なからざりしという。(6.3)
・去る三十一日より霊岸島長崎町に力士と素人と合併の相撲興行あり、大関千勝川稲ヶ島を始め幕の内都合十名なるが流行物とてなかなかの大入りなり、この日大三番の取組中本所林町より客席に入りし八重櫻次郎吉が前頭なる雷山力石の二人に勝ち、第三番目には是れも前頭なる湊川と組合う事とはなりぬ、さて八重櫻は幕内三人に勝ち抜いてあっぱれ功名せんと仕切も宜しく立上り突掛け跳合うそのうちも、湊川は客席の奴らに負けては生涯の恥と一生懸命組んづほぐれつ揉合いしが、ついに土俵際にて投合いつ双方の体共に流れて物言い付きたり、折から行司木村正松は一時の間違いより褒美の品を湊川に授けたり、かくと見るより八重櫻は云う迄もなく同じ客席の左倉川小武小武蔵等という連中は元これ船乗り土方の輩、気も荒々しき声上げておのれ正松二番まで勝を得し此の八重櫻には与えずして何故湊川に取らせしぞ、と打って掛からん憤怒の有様、此方にはまた湊川の仲間の一人、前頭の八丁舟といえるが飛び出でて、何の小癪なその雑言あれのこれのと無駄口叩かんよりはいっその事命を的に見事挫いで呉れんと罵れば、客席の十三人は是は面白しイデイデと決闘の用意に掛かり近所の懇意の家に行きて刃物を取り来るなど一方ならぬ騒ぎを来し、今にも醒風血雨の惨状を呈せんづ勢いに、一旦相撲を止めて大勢が仲裁に入りようやくに双方鎮まりしが、未だに遺恨を含みて折り合わざるとのことなり。(6.3)
・力士大達は今度の場所にて給金三円を増して十七円に昇れりと、又西ノ海の給料は十四円なりとか。
・日本橋区小伝馬町二十二番地において、来る七日より晴天七日間手柄山が関にて相撲を興行する由。
・昨日の紙上に大関梅ヶ谷が旅行届を出だせしまま誰にも告げずツト家を出でしとの事を投書によりて記しおきしが、右は全く彼の是れのという訳あるにあらずして、同人はかねがねよんどころなき用事あれば此の四日頃に出立なし大坂に行くべしと云い居りたる由にて、ついに一昨日行装を整え仲間のものへも通知し昨四日午前九時の汽車にて当地を出立したりという、正誤かたがた此に記す。

・雨天のために順延せし回向院奉納相撲の後日は昨日を以て開場せり、景気はなかなかよかりしも梅ヶ谷大達西ノ海海山等の休みたるは残念なりし。
頂キ取倉に、栄松羽衣に、御所櫻朝日嶽に、初陣岩ノ里に、野州山兜山に、九紋竜早虎に、和田ノ森中ツ山に、鶴ヶ濱嵐山に、綾浪伊勢ノ濱に勝。
・幕に移りて稲ノ花浦湊は立上り「左四ツ」より「櫓」にて釣出し浦湊の勝。
清見潟武蔵潟は「右四ツ」となり、武蔵は遮に無に右を伸ばして上手廻しを引き「グッと」「寄ッ」て勝。
上ヶ汐高千穂は格合いの相撲にて見物の気入りひとしおなりし、やがて力士は立上り突掛け跳合ううち上ヶ汐は右を差して「ミツ」を引きしに、高千穂も左に上手を引き揉合いざま高千穂が「投」に行くを、上ヶ汐は上手に投返し大相撲にて双方残り水となりしが、再度取組み「右四ツ」にて高千穂は乗り掛けに行きしも、残りて双方取り疲れ引分は面白かりし。
千羽ヶ嶽柏戸は、右に上手を引き得意に「釣出し」て千羽の勝。
常陸山手柄山は、直ぐに押切て手柄山の勝は昨今の大出来。
高見山一ノ矢は、突掛けつつ一ノ矢が只「一突張り」に極めんという勢いを、高見は心得て右を差し「スクイ」投げて勝、しかし高見山が相手の髪を握りしはチトきたなき相撲なり
し。
・次は剣山大鳴門なり、これ今日屈指の取組なれば剣山と呼び大鳴門と叫び、贔屓声は一時場内の割るるばかりなりし、力士は仕切も十分難なく立上り、突掛けて大鳴門は左を差したり、さて剣山は此の左に「泉川」を極め一心不乱にせり合いて「左四ツ」と変じなかなかの大相撲なりしが、此の時大鳴門は攻め寄って「足クセ」を試みしに、剣山もそうはさせじと金剛力防ぎ防ぎてありつる内、双方体共に流れしかば行司木村庄三郎は突き手倒れ身勝負なしとの事を述べ、是れにて目出度く打出しとなりぬ。

このブログでは基本的に扱いませんが、花相撲の勝敗もたびたびこうして本場所と同様に詳細が記事に載ります。今回は主役が欠けて少し寂しい興行でした。結びの一番は行司が勝敗を決めない「無勝負」でしょうか、本場所では江戸時代に廃止されていますが花相撲では無理に勝敗を決める事もないので残っていたのでしょう。また相撲ブームにあやかってか、よく分からない団体の相撲興行も行われています(;・ω・)霊岸島は現在では中央区新川となっていますが、両国から隅田川をしばらく下流へ下ったあたりです。やはり本家の大相撲でないと荒っぽいというかマトモな相撲興行にならないようです・・・
ビバ!江戸(霊岸島の記念碑)

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【2006/09/24 19:11】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所千秋楽 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.28)

・昨日回向院十日目千秋楽の相撲はいつになく大入り、しかし幕の内の土俵入に大達の見えざりしは何となくさみしかりし、或る人に問えば大達は連日の勝越しに一層気位高く、酒に酔い遊び歩けりとぞ。
・さて取組に移れば綾瀬嶽司雲龍に、黒雲栄松に、御所櫻は「押切」て野州山に、初陣も同じく羽縅に、白梅羽衣に勝。
小天龍嵐山は預り。八幡山朝日嶽に勝。
・(中入後)は「押切」て若湊に、早虎は「寄」て鹿嶋山に、泉瀧は「持出」て岩ノ里に勝。
・(以下三役)綾浪取倉は「右四ツ」「上手投」ての勝。
藤ノ戸勢力に「寄」て、平ノ戸兜山に「カワヅ」にて勝。
・弓取役は富山これを勤め、目出度く打ち出しぬ。

・来月一日より木挽町に興行の相撲顔触れは(大関)梅ヶ谷、西ノ海(関脇)大鳴門、大達(小結)剣山、緋縅(前頭)鞆ノ平、高見山等皆な選り抜きの力士なり。
大達を投げてよりは色々の高慢話もある中に、頃日同人が回向院の門を出でんとする時大手を振って俺より他に相撲はないという気色を、傍から呼出しの一人が、もし関取今に此の門を建て直さぬと関取の出入りに困りましょうと言えば、大達は門の屋根を見てなにそんなに丈が伸びてたまるものかと言えり、此方はいよいよ心におかしく、それでも関取の歩く跡を見るに敷石が動きますぜと言うと、後ろを振り向きムーフフンと笑いつつ悠々我が家を指して立ち去りしとの事なるが、一辺に勝ってかほど高慢になるとは如何さま罪のなき人間なりと或る人の話。(6.3)

大達(;・ω・)強いことは強いけれど品格にやや欠けているという評判でしょうか。花相撲番付でも西ノ海が大関となりました。もっとも西ノ海は先場所後の花相撲でも大関を務めており順番的には妥当なところです。ゴマをすってるのか、からかっているのか分からない呼出が良い味を出しています。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/23 14:04】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所9日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.27)

・昨日九日目の相撲は、いつもの九日目とはズッと違い大入りというて可なり、且つ日末ながら西郷山田両参議を始め参事元老両院の議官方も来観ありて、いとも景気よかりし。
・(中入前)平ノ戸野州山に、千草山柏木に、藤ノ戸兜山に、綾浪伊勢ノ濱に勝。
・さて幕の内に移りて清見潟廣ノ海は、清見が右を差して来るを「泉川」に極め放しての勝。
荒飛一ノ矢は、左を差し「掛投」て一ノ矢の勝。
剣山千羽ヶ嶽は、「左四ツ」より「出し投」ての勝。
・次は梅ヶ谷西ノ海なり、名乗と共に涌き出でたる喝采の声かまびすしく、之までになき人気なりし、他ならず二日迄敗を取りし梅ヶ谷今日もどうかと観客が心に思う故ならん、さる程に力士は立上り突掛け「左四ツ」となり互いに相撲を大事にためらううち水入り、後もこの手にてちょっと揉出でしとき東西の溜りにいたる千羽ヶ嶽一ノ矢等が手を上げて引分を行司年寄に勧むる途端「引落」しに掛かりて西ノ海の体流れ梅関の勝。
・(中入後)立田野達ヶ関に勝。幕に移りて、常陸山稲ノ花は「一突張り」して常陸山の勝。
柏戸海山は、念入りて立上り跳合いて「左四ツ」となり、海山上手を引き遮に無に「釣出シ」て勝。
高千穂鶴ヶ濱は、の右を「泉川」に極め揉合いし末、泉を崩し「出シ投」となりての勝はなかなかの喝采を受けたり。
上ヶ汐武蔵潟は、武蔵が付けじと小手を動かせし甲斐もなく、ついに上ヶ汐が右を差したり、されば武蔵潟も右を差しすなわち「右四ツ」となりて揉出でしとき、上ヶ汐は例の「カワヅ」にて馬大的の武蔵をヒックリかえせしは是また見事の腕前。
・さてその次最後の相撲は何かさて大鳴門大達なり、土俵に上がるや大鳴門大鳴門と叫ぶ観客多し、人情は妙な物でに勝たる大達なればどうか大鳴門に花を持たせたしとは弱きを助ける江戸ッ子の気質ならん、さても両力士は十分仕切て大鳴門が立掛けし時、大達はちょっと立ちおくれせし如くよそ目には見えしが、是れ大達の持ち前にて怪しむべき事にあらず、勝ち誇りたる大達が遮に無に「押切」らんと突張て行くを大鳴門は防ぎ得ず「腰を砕き」て難なく大達の勝となり連日の功を称する声は又一層の雑踏を添えたり。

この場所の大達は梅ヶ谷に勝ち、8勝で相撲内容も圧倒的、地位は小結ながらファンも本人も次期大関は間違い無しと思っていたようです。江戸時代以来のやり方ならば年功もあり成績も悪くない大鳴門が次期大関となっていたでしょう。しかし明治15年から本場所成績を重視する番付編成に変わっており、大達が一気に大関昇進と考えても無理のないところです。三役で活躍してきた武蔵潟はどうも衰えが顕著になってきたようです。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/22 11:27】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所8日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.27)

・一昨日の回向院八日目の相撲は、頂キ浅ノ戸に、三好川平ノ戸に、羽衣雷ヶ嶽に、野州山緑滝に勝。御所櫻朝日嶽は(預り)、綾浪達ヶ関に、初陣荒石に、泉川増位山に、九紋竜和田ノ森に、中ツ山立田野に勝、八幡山嵐山は(預り)。
・さて幕の内、鶴ヶ濱上ヶ汐は段違いなるも人気多く、立上るや跳合い突掛け来るを「トッタリ」に行きて上ヶ汐の勝。
海山常陸山は双方の「首投」が残りて後、常陸山一本「ショイ」に抜け損ない「ツブレ」て海山の勝。
廣ノ海高千穂は、が突掛け来るを心得ては一心「泉川」にて「タメ出」し勝。
西ノ海大鳴門は立上り左を差すを、西は例の如く「泉川」に極めたりしが、大鳴門は右に締め上がる敵の左をゆるめ「極メ」られつつ寄り行けば、西もすかさず攻め立てつつ大相撲にて取り疲れ水となりし後、種々ありて左四ツと変じ大鳴門は「足クセ」に行きしが互いに残りて引分たり。
・中入後、八ツノ浦浦湊に、伊勢ノ濱勢力に勝。
・幕に移りては稲ノ花荒飛は「持出」して荒飛の勝、本年幕の相撲にて今日まで一番も勝利を得ざるは此の稲ノ花なり、気の毒のことというべし。
武蔵潟柏戸は「押切」て武蔵の勝。
一ノ矢手柄山は、一ノ矢左を差して遮に無に「寄り」土俵際にて手柄の体流れしも、先に一ノ矢に「踏切」ありとて団扇は手柄に上がりしも物言い付て預り。
千羽ヶ嶽清見潟は、千羽が「泉川」にて「極メ」出さんとするを残りて「左四ツ」となり、千羽が「寄行く」を清見が押返さんとする折しも「突落」して千羽の勝。
大達剣山は、前日横綱の梅関を極めたる力量見えしも以前は大達の苦手といいし剣山、此の勝負はどうだろうと案じる観客多かりしが「突張り合」て左四ツとなりし土俵振りは立派というも余りあり、それよりは「寄」て「投」げんと千辛万苦たがいに残りて水となり、ホット息継ぐ贔屓の観客、果てはどうした相撲になるかと待つ間、程なく「押切」て大達の勝はさても仕合わせよき事共なり、大関うけあい大達と我を忘れし賞賛は其の身に取りてさこそ嬉しき事ならめ。
高見山梅ヶ谷は、とても相撲になるまじとの噂なりしが、高見は前日梅が極められて「カタク」なりし事なれば十に一ツの相撲にせんと手足を動かせ寄り付かず機を計りて突掛るを、梅ヶ谷は「ケタグリ」しも効かざりければ直ぐ付け入て「右四ツ」となり水、再度組みて梅関が寄り来るはなを高見が「カタスカセ」を試みしに、は土俵へ膝を突きあっぱれ高見の勝は何とも評の仕様もなく、只だ梅関が「カタク」なりての怪我相撲というより他なし。

・今度相撲社会の人々が其の元祖とも云うべき野見宿禰の神社を亀井戸に新築せんと協議整い、或る貴顕にも同意せられたればいよいよ近々に着手するよし、右に付きこの大場所より引き続きて二十八九の両日回向院に相撲興行し、其の上がり高を同社建設の入費に加える由、此の二日の中には梅ヶ谷大達の顔触れもある趣なれば、さぞ面白からんと好角家は言い合えりと。
・また相撲の行司木村庄之助は過日来病気にて大場所を休業し目下治療中なりという。

横綱梅ヶ谷は前日の敗戦で集中力を欠いたか、連敗してしまいます。怪我相撲とは格下の相手にうっかり負けてしまう取りこぼしの事ですが、明治7年に入幕して以来、自身初めての連敗ですからショックは大きかったことでしょう。野見宿禰の神社は今もありますが、亀戸というよりは両国にずっと近い場所です。富岡八幡宮にあるものほど巨大ではありませんが横綱力士碑が昭和になって設置されました。
相撲評論家之頁「野見宿禰神社」

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/21 11:56】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所7日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.25)

・昨日回向院七日目の相撲は、梅ヶ谷大達の顔触れにより我も我もと押掛けたる観客はおよそ一万の上と見受けたり、当日は常に設けし桟敷の足らずして、なお三四段の桟敷を急に取り設けたり、また木戸は大入りに付き中入後客を止むるなど未曽有の景気にてありし。
・さて取組に移れば毛谷村勢力に、田上山八ツノ浦に、若湊取倉に、藤ノ戸獅子ヶ嶽に、兜山菊ヶ濱に勝。日下山萱田川は預り、早虎達ヶ関に、岩ノ里浦湊に、伊勢ノ濱千草山に勝。
・さて幕の内にて、荒飛鶴ヶ濱は「ハヅ」に構って押切りの勝。
高千穂武蔵潟は、「手車」より足に行き高千穂の勝はお利口お利口。
手柄山稲ノ花は、難なく「押切」りて手柄の勝。
柏戸千羽嶽は、「足クセ」にて柏戸の勝。
・さて其の次の取組は、近来の相撲なりとて府下は勿論近在近郷よりも夜を日に継いで来たりし観客少なからずと評判の、梅ヶ谷大達の顔触れなり、この行司は木村庄三郎にして片や梅ヶ谷こなた大達と名乗上ぐるや場の四方は梅ヶ谷と呼び大達と叫ぶ贔屓声は天地を動かすと云わんも実に誣言にはあらずかし、両力士は仕切も申し分なくイソホレ組まんと大手を広げて構えたり、さる程に梅ヶ谷は矢声と共に突掛かるを、大達も心得たりと難なく立ちて突掛けつつ右をの首にあてて「矢ハヅ」となし、この手に極めんとなす金剛力も、流石横綱の梅ヶ谷苦しき相撲をしのぎて後わかれて又も突掛けつつ大達はついに二本を差したり、さればも油断ならずと一心不乱に上よりして敵の両手を巻き殺し、また分かれて突張り、大達は左を敵の右と振り合いは左に大達の右手首を握り、仁王立ちにて水となりしは云うまでもなき大相撲、其の後も此の手に取組みしが大事の相撲と双方が軽はづみせぬ心中を察せば、覚えず腋下に汗を流すなど好きの道とて観客が気づかう間にも両力士或いは押され或いは押し、素人の見る目にはちょっと梅ヶ谷が受け手の様に見えしならんがさにあらず、土俵と云い気力と云い大達の方始終負けたりしも、ややありて大達が突張り出るその時に梅ヶ谷は東の土俵に近付きしを大達は付け入り左を差さんとしたり、差させてならじと梅関がイヤダと左へ逃げる折しも大達は右を敵の左脇に構い力に任せて突張れば、は二足後づさり東溜りへ尻餅つきて見事大達の勝となり、団扇の上がるや場内は割れ返るばかりの喝采にて四本柱も動く様なりしは果たして近来稀なる相撲なりき。ちなみに云う、大達は真実左を差すにあらず、こは一時の謀計にして左を差すの振りをなせば相手がイヤダと防ぐは相撲の当然、が左に逃げんとして体の浮きたる其のはづみを大達が右にて敵の左脇を突きて勝を得たるものなり。
清見潟綾浪は「一本ジョイ」にて綾浪の勝は妙々。
常陸山入間川は「押切」て常陸山の勝。
廣ノ海は「パッタリ」にて釣出しの勝。
上ヶ汐海山は「蹴返シ」て上ヶ汐の勝も宜し。
鞆ノ平一ノ矢は休。大鳴門高見山は「左四ツ」にて上手引き「寄」て大鳴門の勝。
剣山西ノ海は「左四ツ」となりしが結句が上手を引き得手に行かんと思いきや「スクイ投」て西ノ海の勝これまた美事なりし。

・また昨日は東上げ桟敷の一段が落ちるなど又一際の騒動なりしという。

来ました一万人。しかし記者の目分量のようですから実際にはどれくらいかハッキリしませんが・・・普段の超満員の倍は来ていると見えたのでしょう。詰め込み過ぎて床が抜けたり桟敷を増設したりと大変な騒ぎです。梅ヶ谷は明治14年に若島に敗れ58連勝でストップ、その後はまた黒星知らずで35連勝まで来ています。大達との相撲内容は力相撲の末に完敗とも言えるでしょうか、2月に横綱免許を受けた梅ヶ谷は横綱として黒星を取るようなことがあれば引退すべきと考えていて、この時点で引退を決意したともいわれます。歴史の変わり目には世代交代の大一番が常にあるものですが、これもその一つと言えるでしょう。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/19 11:42】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所6日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.22)

・昨日回向院六日目の相撲は相かわらず上景気にて、前号に記せし如く一昨日引込みの力士も皆な出勤せり。
・(中入前)白梅菊ヶ濱に勝。朝日嶽龍門に勝。黒雲に勝。小天竜羽衣に勝。平ノ戸初陣に勝。嵐山綾浪に勝。御所櫻荒石に勝。泉川九紋竜に勝。増位山八幡山に勝。藤ノ戸茅田川に勝。野州山中ツ山に勝。伊勢ノ濱和田ノ森に勝。
・さて幕の内は、鶴ヶ濱勢イは「右四ツ」にて勢イ上手を引き「投」に行き、残るところを「スクイ投」ての勝は若手相撲だけ花やかなりし。
入間川清見潟は難なく突張りて清見の勝なりしも、清見がマッタといいざま相撲にせしは卑劣というべし。
立田野常陸山は、立田野左を深くして後ろ「みつ」を引き右には前袋を引きて揉み抜き、差し手の左を抜きて敵の足を取り「寄り行」き残ってなお「足クセ」を巻て「寄ル」とき、常陸山の「ウッチャリ」にて体共に流れ団扇の常陸に上がりしは立田野寄るとき右をちょっと踏切りしゆえなり、されど物言い付きて預り。
廣ノ海上ヶ汐は格好よき相撲にて人気あり、は遮に無に右を差さんとするを流石は上ヶ汐防いで差させず、其のうち例の「カワヅ」にて「寄行」くときは今にも極まらん有様に気遣う人も多かりしも、ここはようやく残せしがついに上ヶ汐は左に「前袋」を引きやはり「カワヅ」にて勝を得たり。
高見山剣山は、剣山相手の化粧立ちを馬鹿にしてマッタと言いざま太き指でちょっと高見の鼻をつまみしは、どこやらに愛嬌ありて可笑しかりしが、相撲にならず剣山の「突張」に高見は腰を「クダキ」て剣山の勝。
千羽ヶ嶽大鳴門は、千羽が突掛けてすぐに「足クセ」に行きしはチト無理と思いしに、案の定「巻落」して大鳴門の勝。
西ノ海鞆ノ平は観客待ち設けの取組にて、場面の景気は一際なりし、力士は再三仕切直して立上り、跳合いてが差して来る左へ「泉川」を極めたるはいつもながらの大得意、は極められつつ右に敵の極め居る左をゆるめながら寄り来る力量の程もまた思い知られしが、西ノ海は丁度よき場合を謀り「泉川」を崩しざま左を差すよと見ゆるや、直ぐに「スクイ投」て勝はあっぱれの働きと賞讃の声鳴り渡りぬ。
・(中入後)若湊千草山に勝、この取組は立合すこぶる念入り、人々飽きを催す程なりし。岩の里日下山に勝。達ヶ関甲山に勝。早虎浦湊は引分。井筒荒飛は休。
・そこで幕の内稲の花柏戸は、柏戸難なく「押切」て勝。
海山手柄山は、手柄が「首投」に行きしを残り「押切」て海山の勝。
大達高千穂は無造作に「突張」て大達の勝。
武蔵潟梅ヶ谷は、武蔵が十に一ツもどうかという内心色に見えしが「首投」に行きしを梅関は平気に突き上げたれば、抜けて武蔵の体流れの勝は詮術なし。

・本日の取組中、梅ヶ谷大達と披露するや場内は拍手喝采の声沸くが如く、観客の気入りも一しおなれば今日の大入り以て知るべし。
・此の大場所を仕舞い次第、晴天八日間木挽町三丁目二十番地において相撲興行致したき旨大鳴門灘右衛門剣山谷右衛門の両人より昨日警視庁へ出願せしと、また一組は楯山浦風が大関にて北海道へ行く由。

天覧相撲の再現、梅ヶ谷vs大達の割りが発表されて空前の盛り上がりを見せます。記事中に本日とか今日とあるのは新聞が発行されたその日のことなので、これから行われる7日目のことを指しています。なお木挽町は現在の銀座に当たり、古くから芝居興行で栄えた場所ですが、この当時は歌舞伎座もまだ無く少しさびれていたようです。花相撲が頻繁に開催された場所です。
岡本綺堂演劇論
歌舞伎座の路地裏・木挽町

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/18 01:05】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所5日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.21)

・昨日回向院五日目の相撲は、前日以来の大入りに至極の上景気。
・(中入前)常陸山井筒は、「突張」て常陸山の勝。
鞆ノ平大達は当日一の取組にて、名乗の上がるや場内ドヨメキ渡り一方ならぬ騒ぎなりき、さても力士は仕切も十分立声と共に突掛けざま例の「カタク」なる鞆ノ平が「ハッ」て出れば大達も返報がえしの「ハリ」合いより跳合いて、鞆ノ平左を差せば大達も左を差さんとなしけるに、は之を殺して揉合い又離れて突張り、互いに相撲を大事になすうち再びは左を差し大達上より「巻」て水となりし後、は左に「ミツ」を引き右に敵の「前袋」を引きて揉抜き、実に大相撲なりしが勝負の果てしなく引分たり。
梅ヶ谷一ノ矢は、やはり「押切」て梅関の勝。
・(中入後)浪渡り雷震は、格好よき取組にて幕の下ながらも人気多かりしが「左四ツ」にて「寄」雷震の勝。兜山日下山に勝。達ヶ関岩ノ里に勝、こは案外の出来。
・そこで幕の内に移れば、荒飛入間川は「押切」て入間川の勝も随分案外の内なり。
清見潟立田野は「左四ツ」、上手を引き「寄」て清見潟の勝。
上ヶ汐高見山は釣合いのよき相撲なるも、一体上ヶ汐高見山には苦手の様子にて「右四ツ」に揉み出で高見が「寄り行」くとき、上ヶ汐は腰を「クダキ」膝を突て敗を取りし。
大鳴門武蔵潟は、突張り合い大鳴門の右が入るや否や「寄」て大鳴門の勝。
友綱西ノ海は立合いすこぶる念入り、友綱の容易に立たざりしも道理、相手が当時関にもなろうという西ノ海と思えば「カタク」なりて機を待つの内意なるものから、ただに「ブッツカッテ」「突張」るの他に念慮なきなるべし、辛うじて立上り矢庭にブツカリ突張り出れば西は心得、ヨイショと突張り来る左を得意の「泉川」に極めジリジリ攻めにてついに「極メ放」し勝は段違いながら見事なりし。

・此の日は如何なるわけにや、出勤せざるもの多かりし、其の力士は境川の部屋にて手柄山、勢、稲の花、伊勢ノ濱、中津山、九紋龍、増位山、荒石、羽衣、黒雲、羽縅、司雲龍、三好川、吉野山、神田川、石部川。玉垣の部屋にては千羽ヶ嶽、海山、廣ノ海、鶴ヶ濱、八幡山、萱田川、初陣、御所櫻、浦ノ海、白梅、春野、小天龍。藤島の部屋にては嵐山、栄松、朝ノ戸等なりしが、本日は残らず出勤する旨式守伊之助が土俵にて披露したり。

1日だけの大量の休場者は何でしょう。先日の揉め事と関係あるのか無いのか・・・いかなるワケなのか、もう少し詳しく取材してくれたら良かったんですが(;・ω・)破竹の勢いの大達でしたが鞆ノ平とすごい熱戦で引き分け、どうも鞆ノ平には力技が通じにくく苦手にしているようですね。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/16 22:43】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所4日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.20)

・一昨日回向院四日目の相撲は、丁度日曜日の事なれば観客も夥しくなかなかの景気なりき。
・(中入前)取倉五十崎に勝。御所櫻日下山に勝。朝日嶽岩ノ里に勝。兜山山ノ音に勝。常陸川荒石および勢力増位山は預り。入間川達ヶ関に勝。伊勢ノ濱立田野に勝。
・(以下幕ノ内)八幡山は、立上り「左四ツ」にて「四ツ」となりし時八幡は得意の「足クセ」に引き、勝を得たるは段と体格の違いにも拘わらざる感心の働きなり。
荒飛和田ノ森は「押切」て荒飛の勝。
上ヶ汐稲の花は、稲の花右を差し上ヶ汐上より「殺し」て揉み出でし時、稲の花「足クセ」を試みしも十分ならず、ついに「持出」して上ヶ汐の勝。
鞆ノ平廣ノ海は、が遮に無に寄り来るをは「ウッチャリ」て団扇の上がりしも、物言付て預り。
高千穂高見山は、宜しき取組なるも勝は高見山にあるべしと観客の評、喰い違い「寄」て高千穂の勝。
大鳴門一ノ矢は、名乗上がるや場面の景気ズッと浮き立ちしは双方の人気沢山のゆえならん、力士は立上り大鳴門がヨイショと突掛け来る左を一ノ矢は「泉川」に極め「足クセ」に行きしも残りて、後「パッタリ四ツ」にて「押切」り大鳴門の勝。
柏戸西ノ海は、柏戸がとても勝たねばせめての腹いせという気込みにて、立ち際に横面を「張り」しも西は例の如く悠然と引受けて「ハジキ」居たりしが、ついに「押切」て西ノ海の勝。
清見潟井筒は老練同士の取組にて、釣り合いは宜しきも人気は一向に薄く「押切」って清見潟の勝。
常陸山鶴ヶ濱は段違いなれど人気はにありて至極気入りのよき取組なりしが、鶴ヶ濱踏切りて常陸の勝。
手柄山千羽ヶ嶽は「押切」て手柄の勝、手柄は本年は大分な元気というべし。
剣山武蔵潟は仕切宜しく立上り、突っ掛けて「左四ツ」となり剣山は「上手」を引かんと右を伸ばして「ミツ」を探るに、武蔵は引かせてはならじと腰切り居たる間もあらせずは上手を十分引き、其のまま例の「投」に行て勝は詮方なし。
友綱大達は、難なく「押切」り大達の勝。
梅ヶ谷海山は、いつもより無造作に「押切」ての勝となりたり。

・是れ迄も取組の中に意固地になりて一ツの相撲に余程の暇を費やし、それがため番数の内を幾組か抜くの弊ありしが、此の日も幕下の取組中にてやがて一時間も手間取りし事ありしより中入後に至りて二十組も抜きしという、観客は実に迷惑の事なれば此の辺は気を付けてもらいたきものにこそ。
・昨日は風の激しきより休業なし高砂浦五郎根岸治右衛門の両人が幕下相撲の労を慰せんと大勢を引き連れて向嶋なる八百松楼に会し親睦の宴を開きたる由、また此の日の休業については何か訳を含みし如き投書がありたれど、前の次第なれば其の投書は誤聞にてありしならん。
・或る好角家の人の話しに、今度の大場所を終われば楯山は断然引込むよしなるが、之れに代わりては西ノ海大鳴門大達の三名中にて勝越のものを大関とするとの事、此の場所に付きこれからの勝負は如何あらんか元より分からざれど、まづ初日よりの様子を見れば西ノ海は二日目に常陸山と物言を起こし三日目には上ヶ汐に敗を取りたり、大鳴門は二日目に廣ノ海と物言あり、唯だ大達は負もなく物言もせず真の無傷なれば此の具合にて行く時は大達が関となる訳なり、それとも如何成り行くか三人はさぞ一生懸命の事ならんと。

張出の無い時代ですから、新大関が出るのはだいたい元いた大関が引退して空位になった時が多いです。楯山は今場所休場したまま引退となりますが、次の大関争いが激しいです。この事が場所後にとんでもない大事件へとつながってしまいますが・・・幕下力士の件は先日に揉め事が一件落着したという報道がありましたが、手打ち式という事でしょうか?単なる慰労ではないような気も・・・物言いが長いのはこの時代の特徴ですが取組が20番も流れてしまってはたまりませんな(;・ω・)
長崎大学附属図書館 日本古写真(向島・八百松楼)

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/14 23:49】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.18)

・昨日回向院三日目の相撲はいよいよ上景気にて、観客の中には貴顕紳士等も多く見受けたり。
清見潟鶴ヶ濱は、鶴ヶ濱立ち後れと思いしが難なく「押切」て勝は日の出力士の働きと知られたり。
高千穂千羽ヶ嶽高千穂の右を「泉川」に極め、ため出さんと遮に無に攻め立てる時高千穂はちょっと「踏切」しが其の途端土俵中にて同体倒れたり、高千穂は物言い付けたき色見えしも高砂が踏切ありしを示したるより其のまま千羽の勝。
剣山一ノ矢は、仕切も見事に立上りざま左を差して「押切」り一ノ矢の勝は感心感心。
常陸山大達は、常陸山が景気立ちに立上りしかば多分大達がマッタを言うならんと思いきや、ちょっと後れて立上り「突張り」て大達の勝は妙におかしく、常陸山も負けながら余りの景気無ささに笑いつつ引込みたり。
梅ヶ谷廣ノ海は仕切立派に立上り、突張り跳合い辛うじては二本を差し、相撲大事にクッ付いて居たるは耐忍のさま見えて賛称の声四方に起こりぬ、梅関は上より敵の差し手を巻いてタメライシが日の下開山の梅関なればついに「寄」て勝はさもあるべし。
・(中入後)和田ノ森はすぐに「出し投」ての勝。
荒飛立田野は念入りて立上り、突掛けて立田野左を差し「三ツ」を引き、右にも敵の「前袋」を引きたる一心不乱の大相撲、揉抜きて水となりしは互いの心棒察せられたり、其の心中を探るに荒飛の方は此の場所より幕に入り立田野は当場所の幕を下りしなれば「カタク」なるも道理ならん、さても再度取組み互いに疲労の見えて引分は宜し。
友綱井筒は、友綱立上りざま「張っ」てひと「突張」にて勝は余りあっけなかりし。
手柄山武蔵潟は「ハヅ」を構い合いしが武蔵は遮に無に「押切」て勝。
鞆ノ平稲ノ花は、立際には「スクイ」しも残って「押切」りの勝はさもあるべし。
柏戸高見山はいつも顔の合う時は急度「カタク」なるという取組にて、此の日もやはり立合に手間取りしが、立上り「右四つ」にて柏戸の「足クセ」はちょっと高見山危うく見えしも「エンヤ」残りて双方「ミツ」を引き合いすなわち「パッタリ」となりて大揉みなせし末水入り、再度取組せんとせしが柏戸高見が右に「ミツ」を引かざりしと云い、また高見は正に引いたりとて言葉の争いに手間取り、或いは四本柱の年寄に問うなどなかなかの揉めなりしが、ついに高見の云う如き組手にて一かたならず「カタク」なりしも互いの一心にて勝負なく引分たり。
海山大鳴門は当日一の取組、大鳴門右を差し左に敵の右を一心に防ぎしは海山が「右巧者」なるゆえならん、同じく大相撲にて水となりし後、海山右を差して「ミツ」を引きたればそれ大鳴門、しめたり海山と贔屓声は場内も割るるばかりなりし、大鳴門も左に「上手」を引きエンヤエンヤと揉んで揉抜き、勝負なく引分は見ごたえありし。
上ヶ汐西ノ海は仕切申し分なく立声と共に突掛け、西は相手の左を例の「泉川」に極めて「タメ」たるも都合や悪しけん、又ほどいて相撲にせんとする時すかさず上ヶ汐は名代の「カワヅ」に行きしに、西の体下へ流れたれば場内の観客一度に「ドッ」と賞讃せり。

客層に少し変化が見られるあたり、天覧の影響力はすごいものですね。天覧相撲の大成功に貢献した大達、いよいよ全盛期に近付いたようで笑うしかない程の強さです。パッタリというのはあまり聞かない言葉ですが、今でいう「がっぷり」みたいなものでしょうか?水入り後の組み直しに結構時間がかかってしまったようですね。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/13 00:23】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所2日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.17)

・連日の雨天にて延引せし回向院の大相撲は、昨日二日目を打ちたり。
・(中入前)入間川は「上手投」くづれ、「寄」ての勝。立田野友綱はすぐに「押切り」友綱の勝。
井筒手柄山は立上り井筒左を「ハヅ」に構い、勢い籠めつ「押切」て勝は感心の元気というべし。
武蔵潟鞆ノ平は「右四ツ」にてが金剛力に寄り行くを、馬ともおぼしき武蔵潟が左を伸ばして上手を差しエンヤとばかり揉み出さんとする暇もあらせず鞆ノ平は「寄り」て勝を得たり。
高見山荒飛は、高見山右を差しなおも左を差さんとするに、荒飛は防ぎおうせず二本とも差されて今はしも詮方なく右を伸ばして相手の後ろ「ミツ」を引きは引きたれど、体の逆にして尽くすべき術さえより途方に暮れたる捨て鉢に「逆投げ」打ちしも決まらずしてつぶれ高見の勝。
廣ノ海大鳴門は仕切も宜しく立上るやちょっと跳合い「左四ツ」となり、は「首投」に行くつもりか右を敵の首に巻き「投」を試みしも、音に聞こえし大鳴門、この手じゃ行かぬと早速にも「右足」を「カワズ」に掛け一際強く仕掛けたる時、双方の体流れ団扇はに上がりしが物言い付て預りとなれり、もっとも此の勝は大鳴門を贔屓する人の口よりもの勝ならんと云い囃せり。
西ノ海常陸山は念入りて立上り、常陸山は早く相撲にしたならばどうかと思う心中か矢庭に突掛け「左四ツ」となり、遮に無に寄り行き土俵際にて「首投」を打ちしに双方の体ともに流れ団扇は常陸山に上がりしかど、やはり物言つきて預りとなりし。
・(中入後)鶴ヶ濱柏戸は「右四ツ」にて「足クセ」を巻き柏戸の勝は皆案外の感を為せり。
一ノ矢高千穂は、申し分なき取組なりしも人気は多く一ノ矢にありし様なるが、如何せん一ノ矢ちょっと立ち後れたる様子にて、しばらく経つと敵に二本とも差されたりコレハコレハと気遣ううち、一ノ矢は右を敵の首に巻きすべて上手の艱難相撲、ついには打ッチャランという気込みも見えしが、是非なく「寄」られ高千穂の勝。
千羽ヶ嶽上ヶ汐は、千羽が相手の右を引張り込み「泉川」にて極め出さんと力一杯攻め行きければ、コハ上ヶ汐が「踏切」しかと思う時、千羽も土俵外に付き手なしちょっと「逆トッタリ」の様になり、団扇は千羽に上がりしも上ヶ汐千羽の付き手早かりしとて物言を付けたれば、例の如く年寄の奔走ありしのち預りとなりたり。
海山剣山は当日一の取組にて皆待ち設けし相撲なるが、両力士はヤヤとばかり立上り、突掛け跳合い海山の為に「ハジカ」れて危うき場所を残りたり、此の後どうかと気遣う人々多かりしが剣山はついに左を差し、じりじり「寄」るを海山は此ぞ大事と残せしが、詮方もなく「踏切」て剣山の勝となりしも道理、始終海山の方危うく見えたり。
大達清見潟は、清見が例の如く大声あげて突掛け入るも大達は気呑みにした相撲なれば見物の力は入らず、始終笑いの声ありしがついに大達の勝、或る口悪き人が丁度地取り稽古を見ると同様だと云いしは至極適当の評と思わる。
稲ノ花梅ヶ谷は「ヒネラレ」て稲ノ花「踏切」しが心付かざりしにや、又も駈け寄りて突張りし折から、後ろより勝負ありしと声かけられしに初めて気の付きしは可笑かりき。

・また頃日幕下の相撲中にちょっと苦情のありし由なるが、ついに一昨日事済みとなり、相撲と年寄の中に約条書を取り交わしたりという、此書の起草者は毛谷村六助なりといえば同人は力士社会にての大学者なるか。

毛谷村という力士は最高位が幕下のため本などにあまり載っておらず、経歴等よく分からないのですが頭の切れる人物だったようですね。どのような苦情だったのでしょうか?明治時代は力士と年寄との争いの時代でもあるのですが、それを経たおかげで力士の品位と地位の向上・協会組織やルールの整備など現在につながっていく基礎が出来上がっていき、かけがえのない時代だったように思います。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/11 23:46】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年夏場所初日 (東京横濱毎日新聞/明治17.5.13)

・回向院の大相撲は兼ねて記せし如く昨日開場になれり、近来流行の第一に位するものだけありて場所も例年よりはズッと広やかに構造し、すべての注意も行き届きぬ。
・此の日は初日の事なれば取組もさまで宜しからざりしが、番数のうち九紋龍初陣(大和錦改)初陣の勝。中ツ山千草山千草の勝。浦湊綾浪綾浪の勝。
・幕の内に移りて海山嵐山は、海山得意の右を一本差さんと相撲を仕掛け来る折から、嵐山は一心不乱に此の手を「殺シ」て防ぎざま「寄リ」て勝を得しは大出来なりし。
一ノ矢柏戸は「左四ツ」にて「寄リ」一ノ矢の勝なりしも、先に一ノ矢に「踏切」ありとて物言い付き預り。
常陸山千羽ヶ嶽は、立上るや千羽は無二無三に常陸山の咽喉を鷲掴みにして押切りしが、あとにて常陸山は其の時「マッタ」を云いしも千羽が聞き入れざりしなりと言い、千羽常陸山がマッタは言いざりしとの争いにて、およそ三十分も手間取りしが年寄の扱いにてようやく預りとなれり。
手柄山廣ノ海は「ハタキ込」ての勝。鶴ヶ濱剣山は左四ツ、は得意に上手を引き「寄」て勝はさもあるべし。荒飛大達はハヅを構合いし時、大達は「突落」して勝。梅ヶ谷立田野は「出シ投」にての勝。
・(中入後)上ヶ汐八幡山上ヶ汐得意の「カワズ」に行きしを、例の「足クセ」にて八幡の勝となりしはお手柄お手柄。
友綱萱田川は「左四ツ」上手投にて友綱の勝。武蔵潟は押切りて武蔵の勝。高千穂入間川は「寄」て高千穂の勝。鞆ノ平井筒は「スクイ投」での勝。
高見山伊勢ノ濱は「ハタキ込」で高見山の勝。大鳴門稲ノ花は「左四ツ」にて「寄り」大鳴門の勝。西ノ海清見潟は、清見潟「ハネ負け」て西ノ海の勝。
・一方の大関楯山及び前頭緋縅は病気にて休みたり。

・大関梅ヶ谷は、兼ねて御贔屓を厚うせらるる角觝好きの御方としいえば誰一人知らぬものなき某貴顕より「廻し」二組を賜りたるよしにて、実に見事のものなれば同人の宅にならべ置き衆人へ見せるよし、此の廻しはおよそ八百円も価せしものなりという。(5.16)

ここのところ観客数何人と書かれなくなりましたが、相撲人気はかなりのようで客席数も増やしたのでしょうか?初日から賑わったことでしょう。角觝も「すもう」と読みます。新聞には「すまひ」とカナが振ってあります。梅ヶ谷の化粧廻し、当時の米の値段は現在の約10000分の1で、当時の1円≒現在の1万円と考えると相当に豪華なものだったでしょう。先日の天覧相撲で使った化粧廻しは伊藤博文から贈られたといいますが、それのことなのかどうかよく分かりません。

明治17年夏場所星取表

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【2006/09/10 23:25】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅ヶ谷の横綱と天覧相撲その2 (東京横濱毎日新聞/明治17.3.11)

・かねて記し奉りし如く、聖上には昨日午前九時三十分御出門相撲天覧として濱の延遼館へ行幸あらせられたり、御陪乗は徳大寺宮内卿にて小松伏見の雨宮を始め米田侍従長その他侍従の方々供し奉らる、さて御場所の模様を記さんに、まず延遼館御門を入り真向こうなる西洋風御館の御庭の方に向きたる入り口に続きて一段高き所を玉座と定めらる、其の左右及び後ろの方ならびに御敷台の両側はすべて金無地の屏風を立て廻され、土俵に向かう所をもって正面とせらる、土俵及び桟敷等の事はかつて記したれば略しぬ、さても相撲社会の人々には外々の場所と違い今日はしも御上覧の御場所なれば、実にかたじけなくもまた有り難き仕合わせかなと各々勇み立ちて同日午前五時迄に同館へ出頭し、御庭内のテントを張り設けられし所を控所として諸事を周旋せり、それより先づ土俵固めとして金岩横ヶ濱を始め二十九番の番外取組を行う、此にて固め終わり中央には幣束弓および神酒等を供えて御着輦を待ち奉るや、あたかも十時の頃なりけん着御の趣きを達せられければ相撲長高砂浦五郎、同境川浪右衛門は東西御前近くに着座し其の他例の如く行司年寄は定めの座に着し行司木村庄三郎、同庄五郎、同喜代治の三名は素袍烏帽子にてしづしづ土俵に進む、此のとき聖上には玉座に着かせたまう、是において前三名のうち庄三郎は行司溜りより喜代治は東の方より庄五郎は西の方より三名等しく土俵に登り、喜代治庄五郎の両名は一対の神酒を分かち捧げて四本柱に注ぎ、それぞれ神酒幣束弓等を三人が相捧げ玉座に向いて拝し後づさりつつ花道の末に設けたる下座場に退きて再び拝し奉り退場す、続いて東西に控えたる行司は少しく御前に進み、跪きて東ノ片屋谷渡リと呼上ぐれば、西ノ方もこれに応じて西ノ片屋中田川と呼上げたり(是れ呼出に換えたるものなり)、此より相撲取組と相成り、勝負左の如し。
 勝    負
中田川  谷渡リ
青木川  鉄 石
和田海  加州山
山ノ上  神田川
荒 鷹  四 剣
信夫嶽  稲葉山
四方山  春日野
浪渡リ  藤田川
五月山  富 山
松ヶ枝  一文字
五十崎  黒 瀧
荒ノ川  山 猫
大 纒  錦 嶽
小天竜  響 松
四ツ車  松ヶ森
照ノ海  黒 縅
玉 桂  浅ノ戸
鷲ノ森  白 玉
八ツノ浦 達ノ里
栄 松  百瀬嶽
頂 キ  若 港

・ここにてしばらく三段目飛付勝負を行い、後の取組勝負は
二子山  常陸川
相 川  朝日山
木曽川  鹿島山
千年川  浦ノ海
羽 縅  藤ヶ枝
黒 雲  宮ノ松
司雲竜  向鉄砲
毛野村  平ノ戸
朝日嶽  越 川
藤ノ森  柏 木
取 倉  白 梅
小金山  武蔵野
羽 衣  早 虎
勢 力  野州山
千草山  日下山
大野川  御所櫻
岩ノ里  山ノ音
増位山 (大和錦代)御所櫻
藤ノ戸  綾 浪
菊ヶ濱  泉 瀧
鶴ヶ濱  嵐 山
萱田川  音羽山
長 山  和田森
荒 石  浦 港
入間川  九紋竜
中ツ山  千勝森
八幡山  出釈迦山
柏 戸  勢
井 筒  伊勢ノ濱
稲ノ花  廣ノ海
友 綱  清見潟
高千穂  常陸山
鞆ノ平(突手倒身勝負ナシ)海山
千羽嶽  浦 風
高見山  手柄山

以下三役
剣 山(勝負ナク引分預リ)大 達
大鳴門(大鳴門ニ上リ物言預リ)西ノ海
梅ヶ谷  楯 山

・是において梅ヶ谷自ら弓取を勤む、其の式は御前に進みて弓を高く戴き土俵際に下がり拝し奉りて退場す是れにて定めの取組を終わり、改め御好み取組の勝負は左の如し。
二番勝負
浦ノ海(喝采)野州山
八幡山  伊勢ノ濱
嵐 山  常陸山
柏 戸  稲ノ花
鶴ヶ濱  泉 瀧
勢    井 筒
友 綱  廣ノ海
毛谷村(大喝采)緋 縅

・さてその次は御好み一番勝負なり、取組の模様を記さば、高千穂高見山は「ハタキ込」で高見山の勝。鞆ノ平一ノ矢は「ヒネリ」て体の落つる時すかさず足に行きの勝。手柄山清見潟は左を差して押切り清見潟の勝。この二組の行司木村庄五郎は右決まり手を述べたり。
海山大鳴門は「左四ツ」より「下手投」に行き大鳴門の勝。剣山西ノ海は仕切見事に立上り突張り跳合い、ついに「左四ツ」の大相撲となり水入り後勝負なくして引分。千羽ヶ嶽楯山は仕切も十分突掛けて互いに組まんとなりける時千羽は相手の左を「タグリ」つつ引廻すそのうちに楯山は踏切りて千羽の勝。
梅ヶ谷大達は仕切立派に立声上げて突掛け合い、組みも組まれもなさずして暫くは小手先に突張り合いて居たりしが、ついに「左四ツ」となり揉抜きて水、後再度組んで揉み出でしが梅ヶ谷は差し手に敵の一重廻しを引きしめつつ引立て行きしに、大達は差したる左を引抜きて敵の右と殺し合い、右に敵の左を巻いてまた水となりし後、勝負なく引分となり。
・此にて又も二段目の飛付き三番勝負を行われしに、ひときわ花やかなりければ龍顔いと麗しく渡らせられ、終わりて梅ヶ谷西ノ海大鳴門大達等は地取稽古の技を御覧に供えしが、中にも目覚ましかりしは梅関増位山及び友綱を手玉の如く取扱いしには人皆その剛力に舌を巻きたり、此のとき早や六時過ぎにて日まさに暮れんとせしが、聖上には御感斜めならずして此の稽古をも全く御覧ぜられ、御還幸仰出されしは午後六時三十分にて、前の如く宮内卿御陪乗を勤め仮皇居へ還御あそばされたり、此の日勝ちを取りたる力士には花道なる垣に飾り置かるる所の造り花一元ずつを下し賜わりければ、右力士の面々は皆頭髪に差し挟みつつ此の上なき名誉と悦び勇みて退場す、あたかも桜狩りの風情にて途中すこぶる賑わえり、ちなみに云う人皇四十五代聖武天皇の御宇神亀三年、奈良の都にて五穀成就の御祭事に御節会相撲を始めたまいしに果たして諸国豊作なりき、其の頃東の方より出づる者は葵の花を頭にかざし西より出づる者夕顔の花をかざせり、それよりして世に花道の通言を唱うるとかや、当日花のかざりを賜りしも此等に縁せし事なるべし、また此の日来場の方々には三條相国、西郷、井上、伊藤、山縣、大木、黒田、山田、の七参議を始めとして参事元老両院の議官、吉田外務大輔、樺山海軍大輔、杉宮内大輔、芳川東京府知事、各省勅奏任官、華族諸君、並びに各国公使、その他陪覧を許されたる人々都合三千余人なりしと申す。
・又かねて記載せし如く、梅ヶ谷は当日横綱を張り剣山の露払い大鳴門の刀持ちなりければ其の土俵ぶりは如何さば立派の事なりき、かつ自今各所の興行には当日の式を用うるとの事。

通常は相撲記事というと雑報欄の一番後ろ、いわゆる三面に載っているのですが、この日は史上初?雑報のトップ、一面から二面にかけて詳細に記されました。下位力士の取組から始まって朝10時から夕方6時半までの長丁場ですが、陛下は最後まで熱心に観戦されたようです。客席には日本を代表する人物が勢揃いし、相撲史上で最大級のイベントでしょう。力士達が髪に花を挿したというのは見慣れない光景で似つかわしくない感じもしますが、晴れの舞台で古式にのっとった髪飾り、勝って引き揚げる力士達の姿は美しかったことでしょう。


横綱梅ヶ谷藤太郎、露払い剣山谷右衛門、太刀持ち大鳴門灘右衛門

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【2006/09/09 11:12】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
梅ヶ谷の横綱と天覧相撲その1 (東京横濱毎日新聞/明治17.2.20-3.9)

・今度相撲天覧あるに付き、相撲社会において大関梅ヶ谷は現時日ノ下開山と呼ばるる剛のものなるにより、せめては此の際横綱を張らせんと周旋せしが、五條元老院御用掛は野見宿禰の後胤なれば今度同氏よりこれを授与せられ昨日手元に渡りたれば、いよいよ来る二十七日天覧の日より横綱を張るとの事、右に付き黒田参議その他貴顕の方々には梅ヶ谷へ廻しその他祝儀の品々を贈られたりという。
・いよいよ来る二十七日、濱の延遼館において相撲大覧あらせらるるに付いては当日東の大関梅ヶ谷へは西方の力士三名を選びて敵せしめらるる趣向なりという、また同日梅ヶ谷横綱の土俵入りには剣山弓持の役を勤むるという。
・今度相撲大覧の挙あるに付いては其の係の人が年寄及び相撲の主だちたる者を或る館へ招き、年寄は裃を着るべく相撲は平袴を着け靴をうがつべしと達せられたり、いづれもかしこまりて退きしが、さて達せられたる年寄相撲は各々へ其の趣きを伝達せしに、一同いづれも大いに困却し、まづ相撲が平袴を着するは窮屈ながらもさほど苦情あらざれども、靴を穿つに至りてはわざわざ分外に大形の靴を製造せざるべからず且つたとい製造したればとて、とても一人にて抜き穿きなすを得ず、また年寄とてもことごとく余裕などあるというにあらざれば、今にわかに裃を調製せしむるには其の費用に苦しむもの少なからざれば陰ではしきりに苦情を鳴らし居る者ありという、また一方の相撲連は去月茨城群馬の地方を興行中来る二十日に天覧あるとの報を得て取る物も取りあえず、すでに約せし興行も断りて夜を日に継ぎて十九日までに帰京してみれば天覧は二十五日に延びたりとの事ゆえ、其の間地方を稼ぐ訳にもゆかず空しく家に寝食いして二十五日の来るのみを待ち居りしに、とんと二十五日になれば又々延会となり其の間は同じく寝食いするのみにて、とうとう彼の一連は為に千二三百円程の損耗を引き起こしたりという。
・いよいよ明日十日、濱の延遼館に催さるる天覧相撲の取組は左の如くなり、もっとも此の他に御好みもある事なるべし、当日観覧に参らるる人々はフロックコート或いは袴羽織着用の事、また婦人並びに十歳以下のものは陪観相ならざる旨を通知せられたりという。
中ツ山  千勝森
八幡山  出釈迦山
柏 戸  勢 イ
井 筒  伊勢ノ濱
行司 木村庄五郎

廣ノ海  稲ノ花
緋 縅  一ノ矢
友 綱  清見潟
高千穂  常陸山
同 式守与太夫

鞆ノ平  海 山
千羽ヶ嶽 浦 風
手柄山  高見山
同 木村庄三郎

三役
剣 山  大 達
大鳴門  西ノ海
梅ヶ谷  楯 山
同 木村庄之助

取 締 伊勢ノ海五太夫
同   大嶽紋左衛門
相撲長 高砂浦五郎
同   境川浪右衛門
副 長 追手風喜太郎
同   藤島甚助
同   甲山力蔵
同   根岸治右衛門

・今日府下の流行物はまず第一に相撲なるべし、昨日は何処今日は何処と興行多きその中に四五日前より本所林町に開きしは花の時節の花相撲、流石は本場所の土地だけに我も我もと詰め掛くる実にや稀なる大入りなり、ここに同区相生町四丁目に住む岡田安吉は相撲とさえいえば三度の飯も忘るるという随分の困りものなるが、今日もまた見物せんと朝まだきに家を出で、かねて同行を約せし田村乙兵衛を訪い共々支度を為しけり折から、此の近辺にて芝居好きといわるる桑原又兵衛が朝湯に出掛ける道すがらこの家を覗き、イヤいつになき早起きは何にか儲け口のあるなるべし、半分乗ろうか乗らせずやと笑いながら云うを聞き付けし安吉、何人かと後ろを見れば日頃好きの道を異にしつ敵同士の思いある又兵衛なり、たちまちに大声上げて横出口、損をしようがせまいが大きなお世話黙って行けと云うより早くコハ無礼なる貴殿の御挨拶心得がたしと詰め寄りしが、此の時二人は櫓太鼓の音に引かされ出でんとするを見て又兵衛せせら笑い、ハハ手前達は面白くもない相撲見物か色気もあらぬ奴かなと罵りつつ立ち去らんとなしたり、安吉は悔しさ胸に満ち満ちて今はしも用捨てならぬと取って返し、口で言い争うも果てしなし一番我が腕前を見せ辛き目に遭わして呉れんづと乙兵衛の家に入り、女の前垂れ前に当て時に取っての取り廻し、サア来いと仕切って待てば又兵衛も中に入り何を小癪なと有り合う吹き竹片手に持ち、襷十字に綾取りしは是れ捕っタリを扮せしなるべし、やがて安吉は吹き竹の下を潜りつ相手の左を引張り込み「一本背負」にて決めんとせしに、相撲と来ては一向不案内の又兵衛ただ打って打ちのめすが肝心と所選ばぬ滅多打ち、今は安吉も妙手を施すどころか目もくらむばかり、こりゃ堪らぬと駈け出し筋向かいの派出所へ至りて是れ此の通りアノ又兵衛が打擲しおびただしき出血、御処分仰ぐと息せき切って訴えければ巡査もつくづくと見られしがやがて笑いを失しつつ、汝は気でも違いしかその顔中に流れ居るは汗ではないかと叱り付けられ、安吉は初めて気が付き顔を撫で廻しなるほど左様たかが吹き竹のせいゆえか傷もなし、それでは余り「一本背負い」に力が入り汗の出でしか、何に致せ粗忽の段、平に御免とホウホウの体にて出で行くを尻目に掛けて又兵衛はあくまで気取りし身構えヘェーもろい奴だわいハァハァハハハハハと段笑い、湯屋を指して行き去りしは一昨日の事なりしと。


濱の延遼館、現在の浜離宮です。弓持というのは太刀持ちの事でしょう。実際には剣山の露払い、大鳴門の太刀持ちで土俵入りが行われることになります。天覧相撲のために貴重な収入源である巡業も切り上げ、正装や慣れない靴履きを強いられる力士・年寄の苦労がしのばれます。昔は「力士」という意味でも「相撲」という言葉が使われていたので「年寄相撲」とは年寄および力士という意味です。力士を「おすもうさん」と呼ぶのもこの事から来ているのでしょう。最後の記事は天覧相撲とは関係ありませんが東京で相撲ブームが起こってきている事が分かります。相撲好きと芝居好きの喧嘩、相撲で挑む相撲好きと見得を切る芝居好きが対照的で面白いです。

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【2006/09/07 01:19】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年春場所千秋楽 (東京横濱毎日新聞/明治17.1.17)

・昨日回向院十日目すなわち千秋楽の相撲は、中入前日下山野州山は突張りて「ハタキ込」日下山の勝。
岩ノ里山ノ音は「押切」りて山ノ音の勝。取倉八幡山は「持出」して八幡の勝。荒石大和錦は「右四ツ」となり「下手投」にて荒石の勝。
・中入後三役は、増位山御所櫻は左を差して「寄」り増位の勝。
綾浪芝田山は、「左四ツ」にて綾浪が遮に無に「寄」り行くを「ウッチャリ」て芝田の勝。
藤ノ戸鶴ヶ濱は立ち際にの「ハリ」たるより藤ノ戸ちょっと堅くなりしを、すかさず押切りの勝にて、各々当日の小結関脇大関の名乗を受け、弓取の役は朝日嶽の弟子なる富山兵蔵これを勤めて目出度く打出したり。

富山・・・いつだか路上で暴れて罰金10銭を取られた富山(とみやま)の名を再び見るとは思いませんでした(;・ω・)そう言えば先場所の千秋楽で結びの相撲を取った若ノ川は今場所脱走して番付に載ってません。またいずれ戻って来ますが・・・八幡山はまだ幕下ですが足技を得意として大関まで昇進する小兵のワザ師です。鶴ヶ濱も期待の新進力士。

明治17年春場所星取表

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【2006/09/05 23:38】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年春場所9日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.1.16)

・中入前、友綱忍川は遮に無に「寄」て友綱の勝。
上ヶ汐一ノ矢は仕切も見事に立上り、突掛け跳合い一ノ矢が相撲にせんと右を差しつつ組まんとすれば上ヶ汐は此の右を引張り込み、我が右を伸ばして敵の足を外部より「スクイ」すなわち「高無双」の名手にて勝を得たり。
千羽ヶ嶽常陸山は休み。
鞆ノ平大達は当日の取組にて、此の日の気入りは大達に多くしてには至って少なかりしと、さても力士は仕切も十分やがて立上り、突張り跳合い組まんとすれば振り払い、互いに荒れに荒れたるは中々の大相撲にてついに「左四ツ」に渡り、は「上手」を引かんと右を伸ばして敵の「ミツ」をかかぐるも大達は一心に腰を切りつつ取らせじとなすうち、双方取り疲れて水となりしが大達に痛みありて逃げたり。
剣山井筒は、立合い中井筒「タスキ」に抜けんとして自ら「潰」れて剣山の勝。
梅ヶ谷西ノ海、仕切申し分なく立上り三ツ四ツ跳合い、が左を差して「寄」り来るを西は右に巻いて防ぎたりしも、ついに「寄」ての勝。
柏戸海山は、小手先にてせり合ううちにも柏戸は唯々敵を防ぐの用心のみ為し、相撲を好まぬ様子ありしが海山が揉み出し敵の右を引張り込まんとするとき水となり、柏戸に痛みありて逃げたるはさもあるべし。
・次は高千穂にて、ちょっと大相撲になりしが高千穂右を差して遮に無に「寄」て勝。

緋縅中津山大鳴門高見山は休み、それらの為にや又天気の曇りたるにや、番数を切り上げたれば案外にはかどり平日幕の内の取組に移る頃は、早や中入後にて見物中にはわずか一二番の取組のみを見物して帰りたる者も少なからずという。

高無双は現在の決まり手にありませんが外無双の一種と思われます。新進の一ノ矢を倒したベテランのワザ師、見事です。痛み分けはハッキリ「逃げ」と記述されています。確かに毎日多いですからね・・・また9日目に休む幕内力士も毎場所結構目立つのですが、こうして見るとサボりの疑いも免れませんね。毎場所の客の入りに影響すると思いますが・・・いつも通りの時間に行ったら残り2番だった、というのではお客もがっかりした事でしょう。梅ヶ谷が7勝土付かずで幕内最優秀成績。

明治17年春場所星取表

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【2006/09/04 19:03】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年春場所8日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.1.15)

・中入前、柏戸中津山は「ハタキ込」んで柏戸の勝。
海山荒飛は、海山左に敵の前袋を引き「右」を差さんとするを荒飛は両手にこの右を殺して水、荒飛に痛みありて引分となりぬ。
出釈迦山緋縅は「ハタキ込」て緋縅の勝。
井筒高千穂は、高千穂立ち後れしも難なく「押切」て勝。
・さて次は西ノ海鞆ノ平、是れぞ当日の取組にて仕切も見事に立上り暫時手と手に渡り合いしが、鞆ノ平が左を差すを幸いに西ノ海は例の「泉川」を極めたれど、は一生懸命ため出されんづと右を伸ばして西が泉川を極め居る左の腕に添いつつ引き絞らるる我が左を助けながらに揉抜きしは実に大相撲にて喝采の声しばし止まざりき、かくするうちに双方取り疲れて水となり、再び組んで勝負なく引分。
・中入後、一ノ矢友綱は双方日の出の若相撲なれば定めて面白からんと思いきや、突張りて友綱踏切り一ノ矢の勝。
常陸山上ヶ汐はすぐに「押切」常陸山の勝はあっけなかりし、もっとも上ヶ汐の腰砕けしに寄ると思わる。
大達千羽ヶ嶽は「左四ツ」にて大揉みに揉み、大達の寄行きて既に千羽の危うかりしをエンヤ残って「うっちゃ」らんとする時、そうはさせじと大達が「ヒネリ返」して勝。
高見山梅ヶ谷は相撲にならず、すぐに突張っての勝。

・近日府下の力士を天覧に供えらるるやの趣きにて、昨今その筋において場所等をそれぞれ評議中なるやに聞きしが、多分は吹上禁苑ならんとの事なり。
・回向院本場の終わるや多分来る十七日初日にて芝神明社内において相撲興行のある由、その顔触れは大関梅ヶ谷大鳴門剣山鞆ノ平、大関西ノ海海山高見山大達等にて浦風緋縅一ノ矢廣ノ海等にも出勤すという。

西ノ海と鞆ノ平の好調者同士の対戦は互いに引かず、西ノ海やや攻勢だったと思われますが必殺の泉川をしのぎ切ったのは鞆ノ平絶好調の証しでしょう。芝の花相撲は17日からということは千秋楽の翌日ということですが・・・しかし当時はこれくらいのスケジュールは当たり前でした。そしてついに天覧相撲の計画が具体的になってきたようです。

明治17年春場所星取表

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【2006/09/03 18:49】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治17年春場所7日目 (東京横濱毎日新聞/明治17.1.13)

・(中入前)羽衣綾浪との間に物言い起こりて一時間も調和せず、それがため当日は総体の取組が延引したり。
・幕の内に移りて入間川立田野は「スクイ」投げて入間川の勝は妙なり。
友綱は釣り合いし相撲にて、立上るやちょっと跳合い友綱下へ潜りて敵の足に行かんと荒れながら潜り行きし時、はスカサズ「左」に「後ろ三ツ」を取り右に敵の首筋を取りて力限りに「引廻」し放して見事の勝を得たり。
上ヶ汐伊勢ノ濱は突張り合いて水入り、再度取組みしが勝負なくして引分。
鞆ノ平一ノ矢は仕切も立派に気合よく立上り、小手先のせり合いより「左四ツ」となりし上、は右に「上手廻」を引きたれば実に十分の取組なりしが、一ノ矢にとりては迷惑の事ならん、さても一ノ矢は引き手を揉んで残念の色表にあらわれつつも一心不乱敵を防いで居たるうち、鞆ノ平がヂリヂリ「寄り」来るにぞ此方は必死の大相撲、差したる左に力を籠めてこじ上げながら体をかわして「寄り」たれば場中はヤンヤヤンヤと鳴り渡れり、此のとき行司は軍配を鞆ノ平に上げたりしに、こは不審なりと西の溜に物言い起こりぬ、其の子細を聞けば一ノ矢が体をかわす途端左足にちょっと踏切ありしとかのことにて、ついに預りとなれり。
剣山常陸山は双方右を差し合い剣山なお左に「上手廻し」を引き「寄」て勝。
千羽嶽高見山千羽が無二無三右を差して寄来るを土俵際にて高見山「うっちゃり」しは巧みの手練と申すべし。
柏戸出釈迦山は右差にて柏戸「足クセ」を巻き共に体流れしが物言い付きて預り。
長山井筒は、井筒二本差して寄り勝。
・次は緋縅大達の取組なり、土俵ぶりはさながら絵に書いたる如く誠に立派なりしが、小手先のせり合いより緋縅はついに「押切」られ大達の勝となりたり。
・次は待たれし大鳴門海山の取組なり、双方仕切も十分に立上り土俵真中に突張り合い押せど動かぬ金剛力、いずれ劣らぬ力士の取組どよめき渡る観客の声は天地を動かせり、さて両力士は取り疲れて水となり、再度取組みしが勝負なくして引分。
高千穂西ノ海は、造作もなく立上り突張り合いて居たりしが、西ノ海高千穂の左手を引張り込み大得意の「泉川」、イヤダと言うも力一杯ウンとばかりに引絞り「タメ出さん」となしけるを、流石は高千穂なれば一度は残る様に見えたりしも再び発する西ノ海の力声もろとも高千穂「踏切」て西ノ海の勝。
梅ヶ谷武蔵潟は休。

「妙なり」とは「ヘンだ」という意味ではなく「絶妙である」という意味でしょう。それにしても物言いが付くとすぐに預かりになってしまうというのでは、せっかく行司がよく見ていたとしても甲斐が無いですね。行司が気の毒です。この時代は力士本人がよく物言い付けて揉めたりしていますが、考えてみれば現在でもプロ野球等でよく見られる光景です。大相撲では判定で力士本人が揉めたりすることは現在ありませんが、これもビデオ判定を導入したり長年の努力の賜物ですね。

明治17年春場所星取表

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【2006/09/01 21:42】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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