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明治14年春場所千秋楽 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.19)

・両国回向院の相撲は初日より打ち続きたる晴天に日々客足よく、殊に相撲は近年稀なる上出来なりしが、いよいよ昨日十日目にて千秋楽となりたり。
・さて当日の三役にて小結を勤めたるは稲ノ花君山にて、立合い滞りなく稲ノ花は左右とも差して「三ツ」を取らんとせしが、名代の君山は始終腰を振りて中々取らせざるにぞ此方はなおも廻しを捜せし時、君山はたちまち体を引くと見えしが稲ノ花はこの機を外さず押し切りて勝となりたるは、晴天十日今日の小結に叶う稲ノ花と名乗を受け扇を戴きて退きたり。
・次に関脇なる大達伊勢ノ濱は引分となり。
・大関の荒玉小武蔵は、立合といい組み方といい小武蔵のほう申し分なかりしかど、なにぶん力の及ばずぢりぢりと寄せ付けられて押出され荒玉の勝となり、晴天十日今日の大関に叶う荒玉、と名乗りを受け、弓取の役は君山が勤め、あとの礼式は形の如く済みてめでたく打ち出しとなりたり。

是より三役での勝ち名乗りが現在のものより長いです。賞品は扇、今も千秋楽の三役揃い踏みでは3人が扇の形に並んで四股を踏むなど、扇との縁は深いようです。大達はのちに強豪大関として君臨する大力士です。伊勢ノ濱は平幕止まりでしたが、息子が同じ名前で大正時代に大関となりました。稲ノ花の勝ち方は「相手の引きに乗じて」という感じでしょうか。現在よく見られる流れですね。

明治14年春場所星取表

記事原文
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【2006/06/30 17:50】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所9日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.18)

・昨日九日目の相撲は見物二千百八十九人にて九日目には上出来の景況なり。
荒虎司天龍は、立合際荒虎は激しく突掛け既に相手を突き出さんとするを、司天龍は土俵を廻り上手より組付きし所を、すかさず荒虎は「河津」を掛けしにぞ司天龍は余程こたえし体にて遂に腰を折りたり。
・次に梅ヶ谷若島の取組は、若島始めより念を入れて立合いしが果たして利き手の右を差し左手は相手の右を受け、其のまま押切りて勝ちたるは日本無双の働きなりし。

江東区の富岡八幡宮には有名な「横綱力士碑」があり、そのかたわらに「超五十連勝力士碑」という石碑が立っています。これには「五十八連勝 梅ヶ谷藤太郎」と彫られているのですが、その連勝が止まり5年振りに本場所で喫した黒星がこれです。現在でもたびたび相撲関連本で紹介される歴史的な一番なのですが、記事での扱いはあまり大きくありませんね。この頃の時代は記録に対する関心が低く、過去の記録をわざわざ調べて58連勝中などと数えている人は誰もいなかった事でしょう。しかし実力第一人者の梅ヶ谷が敗れたことは事実で、場内かなり沸いたはずです。若嶋はこの時以外に本場所で梅ヶ谷に勝つことは無く、梅ヶ谷キラーにはなれませんでした。
ウィキペディア(超五十連勝力士碑)
富岡八幡宮ホームページ

明治14年春場所星取表

東大関・若嶋久三郎

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【2006/06/29 14:02】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所8日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.18)

・一昨日回向院八日目の相撲は日曜日といい賽日の事なれば年期子供の見物も多くあり近年稀なる大入りにて観客の数は五千三百四十七人なりし。
・中入前、大纒入間川の立合は立合際にて相撲となり、ついに大纒の勝となりしが、見物は久し振りにて大纒が江戸前の「立合鉄砲」を見たりとてひときわ興に入り喝采の声やまざりし。
鞆ノ平柏戸は何方も若手の贔屓相撲、難なく立合いて二ツ三ツ揉合いしが、遂に左差しの「アイヨツ」となり、柏戸は土俵の中へ廻り、釣りを出さんとて力を籠め寄せ付け、鞆ノ平はあわや一足にて踏切らんとせし所にて一振り振りて投げを打ちしかば見事に勝となりたり。
司天龍手柄山は最もたやすく立合いしが、司天龍は右手を相手の腋に差し左手にて相手の右肘を支えしと見えしが、其のまま押切りて勝を得たり。
荒虎梅ヶ谷は是れ又申し分なき立合にて荒虎は立上るとひとしく雷の如く荒れ出だして取り付けんといらちしが、梅ヶ谷は両肘を我が胸に付け自若と構えぢりぢりと進みしが、やがて両腕を伸ると見えし時、荒虎は土俵の外に突き出されたり。
・中入後幕下にて荒玉立田野の勝負は、立合際より立田野は右を一本受けて頭を相手の胸に付けよくクッツキてありしが、いかんせん荒玉は無双の大力なればチョイチョイとまくり立てついに寄せ付けて押出さんとせしが、名代の手取りなる立田野は土俵を廻りて荒玉の尻を抱え、後ろより前へ手を廻し両手にて「三ツ」を取りしかば、荒玉は余程当惑せし体にて「三ツ」に掛りし手をほどかんともがきし時、行司が団扇を振りて引分となしたるは随分珍しき相撲なりき。
若島武蔵潟は二ツ三ツ当たり合いし時、若島は二本差して浴びせ掛け武蔵潟を土俵の外へ押出したり。

賽日とは1月16日の藪入りのことで、奉公人に休暇が与えられる日です。それにしても5000人超えとはスゴい。大纒は三役を長く経験したベテランで、江戸っ子でもあり人気力士でした。衰えは隠せませんが、この日は得意の突っ張りが炸裂、一撃で勝負を決めたのでしょうか。荒玉の相撲はこれからが勝負という時に行司が止めて引き分け?何か理由があったのかも知れませんが記事からは分かりません。

明治14年春場所星取表

西十両6・荒玉辰五郎

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【2006/06/28 17:49】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所7日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.16)

・昨日回向院七日目の相撲は見物四千七十二人。
荒虎鞆ノ平の勝負は、鞆ノ平少しく立ち後れしと見えしが、荒虎の得手なる突掛けにて一足も留まらず突出されたり。
柏戸荒角は申し分なく立合い、柏戸は相手の左右の手を受け頭を胸に付けてもみ合いしが水となり、其の後再び気合よく組直して又もみ合い、柏戸は金剛力を出だして其のまま押切らんとせしはずみに手のほぐれしを幸い、柏戸は付け入りて左を差し「三ツ」を取り右手にて腋を受け十分の手となりし所にて柏戸は寄せ付け押切らんとせしゆえ荒角は既に踏切らんとせしを、差されし左を抱えて土俵を廻りしかば、柏戸は見事に振り出されたり。
響矢武蔵潟は難なく立合い、手と手を組合せ頭と頭を合わせ押合いしが、響矢は一声叫びて「手車」を仕掛け相手の足を取らんとせしも届かざりしかば、其の後突き入りて左を差し「三ツ」を取り右をも差さんとせしが、相手は名にし負う武蔵潟のとなればすかさず抜き上げ左手を伸して、響矢の「三ツ」を取りし時、水となり其の後えいえい声を出してもみ合いしに勝負付かずして引分となりしが、実に見事の立合なりし。
司天龍若島は立合い申し分なく二ツ三ツもみ合い遂に司天龍は左右とも相手の腋下に差し込み其のまま押切らんとせし時、若島は土俵を廻りて逃れしかど、ついに浮足となりて押出されたり。

大纒浦風の取組中、立合際にて勝負付きしやに見えしが、物言い付きて預かりとなりし折から、南の土間に見物して居たるは本所、浅草、西両国辺の屠狗少年の一群なりしが、この相撲につきて何にか紛紜を生じてありし内、やがて其の中の一人が丸裸にて飛び出し土間の仕切りを外してその棒を振りかざし、おのれ不埒なる行司かな目にもの見せん、と土俵の上に飛上りしかば溜りに居合わせし呼出その他若者等は打ち驚きて押止めしかど、さらに聞き入る気色なくなお暴行なさんづ有様に、木戸よりは立田川湊川高砂など駈け来りて中に立入り、乱暴人を木戸の外へ連れ出さんとせしを、かの少年等は遣らじと防ぐ折りから、東の溜りに居たる浦風柏戸等も其の場に来りてこれを諭し、ついに外へ引出して事済となりしが、一時は余程の騒ぎなりしと。

来ました観客の乱入。相撲場ってのはもっと殺伐としてるべきなんだよ、といったところですか(;・ω・)しかもスッポンポン?こんな事はこの時代でもそう多くはなかったと思いますが・・・立ち合いに叩きか何かであっけなく勝負がついてしまい、立ち合いが成立か不成立かで物言いがついたのでしょうか。預かりという灰色裁定は紛糾を避ける便利なものであるようですが、逆に新たな揉め事の種になることもあります。それにしてもついに観衆4000人を突破、結構な人数が入ります。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/27 12:51】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所6日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.15)

・昨日回向院六日目の相撲は見物二千六百六十一人にして。
清見潟高千穂は立合際より互いに刎合い二三撃にして清見潟は一声叫びて右手を伸し相手の胸板を突くと見えしは是れ「鉄砲」と呼べる手にして高千穂は一足後へ下り左足を踏み切りたり。
柏戸千羽ヶ嶽は立合申し分なく、柏戸は右を差し左にて相手の右手を受け揉合いしが、双方とも動かず柏戸は左を少しく押し勝ちしと見えしとき水となり、又しばらく揉合いし後、左を十分差さんとする折引分となりたるはまたまた残念なる勝負なりし。
響矢梅ヶ谷は手先と手先にて渡り合いしが、響矢は臆せず相撲を仕掛け「手車」に掛けんとし或いは下に潜りて足を取らんとせしかば、梅ヶ谷は大いに奮激し力声を出だして一つ突張りて相手を突き出したり。
若島鞆ノ平は難なく立合い右差しの「アイヨツ」となり揉み合いしに、双方とも危うき所二ツ三ツありしが、再び土俵の中央にて揉合いになりしが、鞆ノ平の組み方や良かりけん、若島は寄り付けられて押出されたり。

若嶋にも土が付きました。この時代、優勝制度が無いので現在のように誰がトップを走っているか等の話題はありません。その日その日の好勝負を楽しむという見方は現在のボクシングその他の格闘技と似た感覚でしょうか。なおこの場所は横綱の境川が休場しており、このまま引退することとなります。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/26 22:37】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所5日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.14)

・昨日回向院五日目の相撲は見物三千五百拾二人にて。
荒虎清見潟の取組は両々名代の荒相撲なれば派手やかに立合い、離れては互いに刎ね合いてありしはさながら萬字巴の如くなりしが、遂に荒虎は刎ね負けて既に踏み切らんとする時、大いにいらちて「ケタグリ」しが届かずして遂に押出されたり。
若島荒角は立合最も潔よく立上りしが、若島は左を差し浴びせ掛けんとするを荒角はこの手を抱えて振り廻し離れんとするを、すかさず若島は相手の手を左右とも引パリ込み寄せ付けて押し倒したるは実に見事の勝負なりき。
柏戸梅ヶ谷は、梅ヶ谷少しく後れて立つと見えしが按の如く柏戸は左右とも差込み「三ツ」に手の掛かりし時、梅ヶ谷はこれを絞らんとせしかば、柏戸はこれは一大事と思いたちまち両手を抜いて一足後へ下り、二ツ三ツ突掛けて再び左右の手を相手の両腋へ差して押切らんとせしかど、梅ヶ谷は大盤石の如く踏み止り、上よりこの手を抱えホッと一息つきたる所を水となりしが、柏戸の方に痛みありて引分となりたるは残念なる勝負なりし。

全勝の小結荒虎に土。「刎ねる」は突きっ放すという事でしょう。柏戸は梅ヶ谷のカンヌキを相当警戒していたようで、モロ差しになったのをわざわざ抜いたのは賢明な判断、痛み分けに持ち込んだのは上出来と言えましょう。新大関の若嶋がただ一人5連勝。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/25 14:28】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所4日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.13)

・昨日回向院四日目の相撲は見物三千六十六人にて。
・中入前の鞆ノ平響矢の勝負は前日顔触れの時より諸人待ち設けたる勝負なるが上、双方出世相撲の事ゆえ、始終念を入れて申分なく立ち上り響矢は右を差せしに、鞆ノ平はこの手の上よりミツを取りすなわち右差しにして「アイヨツ」となりて揉合い、響矢はぢりぢりと寄せ付け余程土俵を進みし時、一振り振って相手の腰を浮かすと見えしが其のまま鞆ノ平を押し出したり。
梅ヶ谷浦風は双方初日より土付かずの老練相撲ゆえ立合は余程念を入れて立上り、浦風は二本差して押し出しを掛けんとせしかど梅ヶ谷は上より「カンヌキ」を以て締め上げ寄せ付けて押出したり。
・中入後、荒虎千羽ヶ嶽の勝負は立合い申し分なく立上るや否や荒虎千羽ヶ嶽の得手なる「釣り」に掛けられ既に危うく見えしが、初日より元気十分の荒虎は釣り上げられながら右足にて相手の左足を蹴て搦みしかば、千羽ヶ嶽は足を折り尻餅つきて倒れたり。
司天龍高千穂は「四ツ」に渡りて揉合いし後、司天龍高千穂を一度釣上げ相手の浮足になりし所を付入りて土俵の外へ押し倒して勝を得たり。

・本日の取組は入間川稲川高千穂千羽ヶ嶽上ヶ汐達ヶ関勝ノ浦大纒響矢司天龍関ノ戸阿武松荒虎清見潟浦風武蔵潟手柄山鞆ノ平柏戸梅ヶ谷若島荒角

現在、相四つというと双方の得意の四つが同じもの同士であることを指しますが、ここで言う相四つはお互いに差し合って廻しを取り、五分五分の情勢であることを指しているようです。梅ヶ谷は相変わらず強いのですが今回もきめ出し、相撲の取り口としては力任せで少し面白味に欠けるところがあったようです。阿武松はかつて若い頃に兜山という名で快進撃を誇り、その後に大力士「雷電」の名を受け継いで大関にまでなった力士です。病気のため地位を落としていますが翌日も関ノ戸に敗れて休場、次の場所も全休で引退しましたので結果的にこれが最後の土俵となります。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/24 23:20】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.12)

・昨日回向院の相撲は観客二千三百二拾人にて実に三日目には意外の大入なりし。
・中入前、柏戸司天龍の取組は余程面白かりし取口なりしかど、引分となりしゆえこれを略す。
上ヶ汐武蔵潟の勝負には上ヶ汐は少しく立ち後れしが、いかなる隙のありしにや立ち声を合せて立上るや否やただちに下へ潜りて左手を差し右手を伸して前袋を取りしを、武蔵潟は是こそ大切なりと両手を上ヶ汐の首に搦みて締め付たる有様は、さながら蒼鷹の鶯児をつかみし如くなりし、この時見物はどっとどよみ渡りしが、武蔵潟は其のまま上ヶ汐を抱えて持ち出さんとせしに、上ヶ汐は右足を相手の左足に搦みて反りしかば、却って武蔵潟は見事に「河津」に掛けられついに上ヶ汐の勝となりたり。
・中入後響矢荒角は随分立派な立合い、二ツ三ツ突き合ううち響矢は下へ抜け右手を差して三ツを取り、左手にて相手の右手に受けて居たりしが一引き引き、自分の体を沈めしかば荒角は事も見事にかぶられ負となりたり。
・両大関若島梅ヶ谷は当日まで土付かず。

面白かったのなら略さないでもらいたいですな(;・ω・)白黒つかないと記者もやる気がイマイチなようです・・・武蔵潟は身長209cmあったという超巨漢、上ヶ汐の身長は分かりませんがこの時代の力士は170cm台前半が標準です。タカとウグイスの例えが格好いい!小よく大を制しました。かぶるという言葉がまた出てきましたが、ずぶねりみたいな体勢でしょうか。捻り技か反り技の一種でしょう。ワザ師揃いの明治の土俵。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/23 22:55】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所2日目 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.11)

・二日目は見物千六百六十人にて。
・中入前、上ヶ汐清見潟は立合い申し分なく上ヶ汐は左を差し、清見潟は上より三ツを取り釣り上げて持ち出さんとせしかば、上ヶ汐は差したる右手を清見潟のうなじに掛け右足を搦みて「河津」を掛けしも其の甲斐なく押し潰されたり。
浦風鞆ノ平は立合うやいな互いに荒れ合い、鞆ノ平は一撃に突き出さんものと力一杯に突掛けしが、相手は老練の浦風なれば一つたぐりて捻り倒せしは誠に見事の勝負なりき。
・中入後、手柄山千羽ヶ嶽は難なく千羽ヶ嶽の勝となれり。
小武蔵坂田野とは立合すこぶるむつかしく一時間ほどにてようやく立上り、「アイヨツ」になりて揉み合いしが水となり、組み直しのむつかしきゆえ遂に引き分けとなりたり。

荒れ合うというのは互いに激しく突っ張り合うということでしょうか。十両の取組でまた仕切り一時間です。次の出番の力士も待つのが大変ですね。これより数年前ですが、幕下の取組で仕切りが長く続き、審判協議の結果仕切りの姿勢の良かった方が勝ちと認定された、という伝説も残っています。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/22 17:56】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治14年春場所初日 (東京横濱毎日新聞/明治14.1.11)

・一昨日、両国回向院の相撲は日曜日を当て込みし初日ゆえ早天より満場立錐の地なき大入りにて見物の数は無慮千百六十人なりし。
・さて当日の取組中最も面白かりしものを記さんに、中入前にて片男浪勝ノ浦の取組は双方突掛一方の力士なれば、立合い互いに声を合わせ数回か互いに離れて荒れ合いし後、勝ノ浦が付入りて組まんとするにもかかわらず片男浪は手先を働かしてこれを避け居たりしを、相手は大いにいらちて左手を差さんとなせしを、すかさず片男浪は一声叫びつつ右手にて「はたき」しにぞ勝ノ浦は膝を折りて土俵の中にすわりたり。
高千穂小武蔵はいずれも当時売出しの若相撲ゆえ、すこぶる念を入れて大事に立合い、小武蔵は左を差して三ツを取り、高千穂は右手にて上より同じく三ツを取り「四ツ」に渡りし折から、小武蔵は金剛力を出だして一振り振りしに、流石足腰よき高千穂も今は浮足になり踏切るばかりと見えしが、さにあらずして高千穂は仕掛けられたるをはずみに小武蔵を釣り上げ土俵の外へ持ち出さんとなす時、此方は足を搦みて「河津」となりしかど、力の及ばざるより足をほどくと其のまま土俵の外へ持ち出されついに高千穂の勝とはなりぬ。
・中入後にて響矢長山の取組は立合の際ひと弾き当たりて渡合い、また離れては手先と手先を組合せしばらく押合いていたりしが、響矢は両手を組みたるままに廻して右手を放しこの手にて相手の左足を取り、つと付入り押し倒して勝となりたるは是れ手車の手とは知られたり。
梅ヶ谷島田川は難なく立上がり、島田川は左右とも差し込み十分の手と見えしが、梅ヶ谷は事ともせず上より「カンヌキ」を掛け中に釣り上げて土俵の外へ持出したり。

先場所3700人も入った日がありましたが、今回1160人で超満員のように書いてあるのはどういう事でしょう?「三ツ」とはマワシの事で現在でも「前ミツ」「横ミツ」など言いますね。「踏み切る」は土俵の外へ足が出ること。梅ヶ谷は相手を持ち上げるほどのきめ出しで圧勝。響矢は手四つから相手をひねり倒す手車と足取りの複合技?で勝利。手四つの体勢はめっきり減りましたが現在でもたまに見られますね。

明治14年春場所星取表

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【2006/06/21 18:16】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所千秋楽 (東京横濱毎日新聞/明治13.6.8)

・回向院の相撲は一昨、六日にて千秋楽となれり、観客は七百余人あり。
・中にひときわ面白かりしは伊勢ノ濱一本松の取組にて、立合いすこぶる念入りおよそ二十分間もかかり気合い十分満ちし時、双方立声を上げて立上がりしが、いずれも売出しの幕下力士なれば、見物はどっとばかりに鳴り渡り、勝負如何と見居たりしに、一本松は右手にて「ツッパリ」しければ伊勢ノ濱はタヂタヂと後ずさりて既に踏切らんとせしが、ここぞと力を込めて踏み堪え「ツッパリ」をはづして押返し、又「ツッパリ」にかけられしを払いのけ頭を下げて付け入り、組まんとするにぞ流石手取りの一本松もあわや突き出だされんづ有様なりしが、一本松の右手伊勢ノ濱の腋下に掛かり左手右肩をうつと見えしは是れ四十八手の一手なる「カタスカセ」と云えるものにして伊勢ノ濱は両手を砂につき、一本松は挙手吶喊、晴天十日間今日の関脇にかなう一本松と名乗りを受け、扇を戴きて退きたり。

「見物」は観客のことですね。江戸時代からの慣例で、千秋楽は幕内力士が出ません。十両幕下力士が行う「是より三役」です。ちょっと変ですね。この時代、十両という俗称はすでにありましたが、番付上は幕下と区別されておらず、記事でも一般に幕下と呼ばれています。この日の勝利にガッツポーズして雄叫びを上げた一本松という力士は期待されていたようですが翌場所に十両昇進して全休、それっきり名前を消してしまいます。廃業してしまったのでしょうか?あるいは医療が現在ほど発達していない時代、現役死去というのもこの頃は割と多く見かけます。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/20 17:36】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所9日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.6.6)

・昨日回向院九日目の相撲は見物千七百弐拾弐人あり。
・かねて諸人の待ちし梅ヶ谷若島の取組は、双方十分に立合い「左ヨツ」となり二ツ三ツもみ合いしが、梅ヶ谷はまづ逆に力を入れ相手の体を浮かせ、遂に寄せ付け若島を押し出したり。
・中入後高千穂伊勢ノ濱の取組は、立合い際に高千穂は二本差し込み十分の手となり伊勢ノ濱は二三度押されて既に危うかりしが、上手「カンヌキ」にて相手の手を絞り高千穂を捻り倒し勝を得たり。
・(去る三十日の紙上、荒虎の勝とあるは若島の勝なり。)

梅ヶ谷vs若島の対戦は大関vs関脇、全勝vs1敗という頂上決戦です。記事の順番からすると中入前だったんでしょうか?はっきりしませんが、だいたいこの時代の記事は取組順になっているはずです。この大一番のあとに十両の取組とは、見る方も気が入らないのでは。なお大相撲の開催は十日間ですが、幕内力士はこの九日目をもってお役御免となります。西大関の梅ヶ谷、見事に9戦全勝です。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/19 19:25】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所8日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.6.1)

・一昨三十日、回向院八日目の相撲は観客およそ三千人にて。
・中入後、長山中ツ山の取組は立つや否や中ツ山は下手に組み十分にかぶり、西の土俵際へジリジリと押し寄せ、既に長山は土俵を踏切らんとせしが、力を込めて中ツ山を土俵の中央まで押し返す力を借りて中ツ山はソリを掛け勝ちたるはいつもながら見事なりき。
司天龍荒角の取組は十分の気入にて立合い、暫時にして四ツに渡り揉み合いしが、荒角は力を込めて土俵際まで釣り行き司天龍の足は三四寸ほども地と離れ、既に危うかりしが、一声叫んで身をヒネリ遂に荒角を投げ付けたり。
若島武蔵潟の取組は武蔵潟がセキ込んで突き掛からんとする所を若島は前ハタキにて難なく前にノメラシたり。

・昨日の取組は常陸山鞆ノ平清見潟達ヶ関稲川上ヶ汐荒角千羽ヶ嶽浦風藤ノ川勝の浦武蔵潟嶋田川司天龍響矢荒虎手柄山鯱ノ海若島梅ヶ谷なりしが、雨天にて入掛となりたり。

かぶるというのは頭を付けてもぐるということでしょうか。今あまり聞かない言葉ですね。入れ掛けは雨や雪などによる中止のことです。国技館が完成したのが明治42年、それまでは回向院というお寺の敷地内に客席を組んでの晴天興行でした。現在も両国駅南口すぐの所にあり、旧両国国技館もこの回向院のすぐ隣りにありました。現在、旧国技館の跡地は何か大きいビルが建ってます。
回向院ホームページ

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/18 16:47】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所7日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.5.30)

・昨日回向院七日目の相撲は景気よく見物は三千二百人にて。
・中入前、若島荒虎の取組は荒虎の勝となりたり。
司天龍の評判は殊に宜ろしく、稲川との取組は司天龍の勝となり。
荒角鯱の海の取組は双方十分の気入り立上がるやいな三四度も突き合い、やがて左ヨツとなりしまま一所に止まりて更に動く色なきに、遂に引分となりぬ。

本当は若島が勝ったんですが・・・数日後に訂正記事が載ります。司天龍は新入幕ですが、ここまで土付かずの活躍を見せています。人気もかなりのものだったことでしょう。のちに大鳴門と改名して大関まで上がった力士です。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/17 12:02】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所6日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.5.29)

・昨日回向院六日目の相撲は例の上景気、見物は三千七百人にて。
・中入前、響矢上ヶ汐の立ち合い、水入れの後、響矢の勝となり。
武蔵野常陸山の取組は双方見合いしに一時間を経るも立ち合う色なきより、行司・年寄は困じ果てしが、やがて双方を東西の土俵際に立たせ、引く団扇と共に双方より駈け寄り取組ませたるに、しばらくありて常陸山は見事に武蔵野を投げ出したり。かかる取組ませの仕方は古来かつて見ざる所なりと。

出ました、待った一時間。十両の土俵です。今のように制限時間がついたのはラジオ中継が始まる昭和になってからで、それ以前の時代はこのテの伝説がいくつか残っています。当時の観客もこういう時には野次を飛ばしたりしたといいますが、仕切っている当人たちも疲れないんでしょうかね?最後にはヨーイドンで立ち合う羽目になってしまいました。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/16 22:06】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所5日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.5.27)

・昨日回向院五日目の相撲は見物三千弐百六拾九人にて上景気なり。
梅ヶ谷荒角の勝負は立合い申し分無く梅ヶ谷は下手、荒角は上手なれば荒角は押されてたぢたぢと土俵際に来たりすでに踏み切らんとせしが、一声叫んで荒角梅ヶ谷の頸に手を掛け「クビナゲ」を呉れしかば、梅ヶ谷ははづみを打ちて土俵の外へ投出されしと思の外、腰を落として頸に掛かりし荒角の手を掬い上げし故、荒角は自分の力にて土俵外へ転げ出でたり。

まだ横綱免許を受ける前ですがすでに無敵の第一人者・初代梅ヶ谷の登場です。この日も首投げの強襲に動じず、冷静にさばいて貫禄勝ち。休場や引分、預りを挟んではいますが本場所での黒星は明治9年1月以来無く、4年以上も土付かずです。しかし当時の横綱は「地位」ではなく、現在のように若い全盛期のうちに横綱となれるわけではありません。梅ヶ谷も綱を締めたのはこれより4年後のことになります。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/15 22:40】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所4日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.5.26)

・昨日回向院四日目の相撲は一昨日よりは見物人少なく二千八百四十一人なりし。
・中入後、藤ノ川手柄山は立合すこぶる念入りしが藤ノ川は十分気を籠めてかかり、最初は双方手と手にて取合い、中頃藤ノ川よりケタグリを仕掛けしが届かず、それより双方腰入りよく渡り合い、手柄山がイラッテ右手を差さんとするを藤ノ川は手際よく外し、遂に右手を土俵の真中に這わせて勝を得たり。
境川上ヶ汐は穏に水入り、境川に痛所ありて引分けとなれり。

・本日の取組は入間川高千穂稲川鞆ノ平勝ノ浦千羽ヶ嶽清見潟荒虎浦風鯱の浦手柄山司天龍響キ矢武蔵潟若島上汐荒角梅ヶ谷境川藤ノ川等なりと。

不在のため番付に載せてもらえなかった上ヶ汐、三日目から戻ってきてます(笑)横綱と対戦しましたが、大した動きの無いまま痛み分けのようです。手柄山は長身のベテラン三役力士で元は姫路藩の抱え。鯱の浦は鯱の海の間違いですが、この程度の誤記・誤植は日常茶飯事です。このブログではこういうのは修正して載せているのですが、今回あえてそのまま。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/14 22:20】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明治13年夏場所3日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.5.25)

・回向院昨日三日目の相撲は極の上景気にて見物の員数は三千百四拾一人なりと。
・サテ中入前、境川千羽ヶ嶽の勝負は双方五分に立ち合い、二ツ三ツ押し合いしが千羽ヶ嶽は右手をサシて相手の廻しを取り、境川はこれに十分の余地を与えて上から左手にてこれも相手の廻しを取り、千羽ヶ嶽左手にて相手の右手を支え「相四つ」となりしが、千羽ヶ嶽はヤッと一声掛けて左手を伸べ、相手の廻しに手を掛くると見えしがたちまち境川を中空に釣り上げ、二足ほど進みて遂に相手を土俵外に持ち出し千羽ヶ嶽の勝となり。
・また司天龍若島との取組は、手もなく司天龍の勝とはなりぬ。

相手十分に取らせてから料理する巨漢横綱の境川ですが、平幕力士に吊り出されてしまいました。入幕が幕末の慶応3年というベテランで引退間際の時期なので仕方無いか・・・なお江戸時代の古来より大相撲は東西制になっていて、常に番付の東側の力士vs西側の力士だけが対戦することになっています。中入前に大関が登場、中入を挟んでまた十両が登場して結びにもう片方の大関、という進行になっていて、現在とは異なります。

明治13年夏場所星取表

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【2006/06/13 22:18】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
明治13年夏場所2日目 (東京横濱毎日新聞/明治13.5.22)

・回向院二日目の相撲は仲々の上景気にて見物は千六百人程も入り、なかんずく面白き勝負は中入前にて中ツ山九紋龍の取組なり。かねて手取りと名のある中ツ山は、立つとすぐに下手に潜り十分カブリたる所にて体を沈めて捻りしかば、見事に中ツ山の勝となりたり。
荒玉大達は双方十分力入りしが、勝負つかず引き分けとなりたり。

・手取りにて有名なる力士・上ヶ汐が今年の春相撲の番付に載らざりしは如何なる訳かと疑いし人も少なからざりしが、右は前中警視・安藤則命氏が先頃帰県の折、同氏に随従して同地に赴きしが、その節仲間の者へ届けざりしにより、かくは番付に洩れたるなりと。

手取り=ワザ師、という意味ですね。現在に比べると小兵の業師の比率は圧倒的に高いです。中警視だった安藤さんは相撲界と関わりの深い人物のようです。偉い人のお供とはいえ、黙って遠方へ行ってしまったために、脱走者扱いされてしまったのでしょうか、上ヶ汐・・・
明治13年夏場所星取表

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【2006/06/13 00:53】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
レトロ相撲記事。
大相撲星取表」附属ブログです。ブログと言っても日記のようなものではなく、1日分ずつ新たな内容を更新するサイトのようなものです。

これから1回1日分ずつ、特に目についた記事を紹介していきます。とりあえず見つけられた一番古いもの、明治13年夏場所の2日目から、次は3日目、次は4日目・・と、大正15年夏場所千秋楽を目標のゴールとして進んでいきます。

文面は、読みやすいように漢字・句読点・仮名遣いなど、適宜現代風に直してありますのでご了承下さい。しかし、出来るだけ原文のテイストは壊さないように心掛けていきたいと思います。

本ブログへのリンクは、「大相撲星取表」の方でも順次掲載していきます。どうぞよろしくお願いします。

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【2006/06/13 00:35】 | 大相撲 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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