明治30年夏場所8日目 (東京朝日新聞/明治30.5.25)

○回向院大相撲
・一昨日(八日目)は前日来の好相撲にて人気も立ち日曜でもあり旁々以て非常の大入となり、先年梅ヶ谷大達の顔触れにて満都を震撼したる時のほか絶えて見たる事なき上景気を呈したり。
熊風谷ノ川は、寄り切っての勝。
岩戸川毛谷村は、掬うて岩戸の勝。
玉風は、突出しての勝は得手。
松ノ風大戸川は、大戸の押し来る鼻を引き外し上手投げにての勝。
常陸山笹島は幕下第一の好取組、は立ち上るや左差しにて寄切らんとするを、は引掛け突手に一度に西溜りへ落したり。
岩木野淀川は、角觝にならずの勝。
若島稲瀬川は、の右差しを内掛けにて送出す。
京ノ里黒岩は、の泉川にて撓めるをはそのまま預けてもたれ込みたり、大出来大出来。
小松山梅ノ谷は、の左四ツにて寄るを小松は防ぎたれど遂に櫓にての勝。
鬼鹿毛玉龍は、の合掌に不勝手の左差しとなりて挑みしが、水となり後取り疲れて引分。
天津風増田川は、突合いて左差しにて寄り倒しの勝。
荒岩逆鉾は当日の好取組みにて拍手喝采の内に両力士は土俵に上り、立上るやは左差しにて寄り行きすでに危うかりしも難なく残して寄り返す時、は又もや巻き落さんとせしがこれもは防いでその手に乗らず、取り疲れて水となり後、は引落すと見せて捻りの勝は大相撲。
大砲源氏山は、の左差しにて寄るをは右差しにて受け耐えつつ腰を捻っての勝は大出来なり。
鳳凰朝汐は、の左差しをは引張て泉川にて撓出さんと進むを、は廻り込みて右四ツとなり、より激しく寄るを上手投げにての勝は大喝采、兎角はセキ込んで敗を取る、惜しむべし。
・(中入後)横車高見山は、突合いてのち手四ツにて挑みしが次いで相四ツとなり互いに得意の手術を尽くしたるが極らず、取り疲れて引分。
大纒不知火は、双方左差しにて挑みしのち不知は左差しとなりて寄るをは廻り込みにて腰投を打ちしが見事に極まりの勝。
當り矢高浪は、例の筈にて押切り當りの勝。
小天龍越ヶ嶽は、左差しにて寄り切られ小天の負。
大戸平若湊は、の左差しにて寄るを大戸土俵際にて巻き落さんとする間もあらせず、もたれ込んでの勝。
海山小錦は一月場所の七日目に敗を取りしに懲りてや、は念入に仕切り左差しに行くをは例の合掌にて捻りしも利かず、かえってに捻られての腰砕けたり、是にて打出し。

十両筆頭の梅ノ谷は連日東西の幕内力士と対戦、十両同士でまだ対戦していません。それでもこの日も櫓投げを決めて7勝0敗1分、怪童の才能開花と言えましょう。伸び悩む巨漢大砲は源氏山を下して勝ち越し決定。そろそろ存在感を示したいところです。好調海山は果敢に小錦を攻めますが跳ね返されて2敗目。新鋭の人気で客入りは上々ですが、ベテラン役力士たちもまだまだ頑張ってほしいところです。

明治30年夏場所星取表
【2009/11/10 13:18】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所7日目 (東京朝日新聞/明治30.5.23)

○回向院の大相撲
・昨日(七日目)はますます好人気にて、正午頃には場内立錐の余地を見ざりし。
祇園山大鳥は、突き出しの勝。
司天龍甲岩は、寄ての負。
最上山鷲ヶ濱は、突き出しての勝。
千代川梅錦は、の蹴返し利かず腰砕けて自から敗を取る。
尼ヶ崎鶴ノ音は、釣りての勝。
鳴門龍鉞りは、鉞りより首投げを打て極りしが同体に流れ、かえって鉞りの肩口早く落ちしがために勝を占めらる。
金山磯千鳥は、左四ツにて挑みの捻り極りての負。
八剣雷ノ音は、突き合いての右足を取らんと逃げ廻りしも逃げ損じて寄り倒されしは、元気過ぎの失敗。
虎勇御舟潟は、互いに下に付け入らんと中腰の手四ツにて競り合い、取り疲れて引分はさながら床下の相撲の如くなりし。
鬼龍山松ノ風は、が右差しにて寄り返したり。
萬力鶴ヶ濱は、右四ッより相四ツにて押合いが引立てにて寄り切りたり。
境嶽勝平は、右四ツにて右を殺し合い互い得意の下手投げと足癖を行くもよく残して極らざりしが、惜しむべしは病後に疲れてやの内枠にてもたれ込まれたり、もっともは巧者なりし。
稲瀬川横車は、が右四ツの下手に行きて押し合い、の釣り身を土俵際にてサバ折りに行きしも体すべりて寄倒されの負。
高見山唐辛は、突合いての左差しにては寄り倒されたり。
大纒高浪は、左相四ツにて右を攻め合いが寄て投を打つ途端、は右を差して逆に打返しの体は土俵外に落つ。
増田川小天龍は、小天ようよう立ち後れしも増田の突きを受けつつ突き返し、更に突合いしが遂にの突きにて敗を取る。
梅ノ谷荒岩は実に近世無類の好取組にて、その昔天保年間小柳荒馬の好角觝ありし以来のものならんと老功者は片唾を飲んで見詰めたるに、両力士は立ち上るや突合いて左四ツとなり、の左差を巻きて挑み一寸より腰投げを見せたれどの体は感ぜずして又もや少時揉み合い、水となりのち取り疲れて引分は大相撲なりし。
源氏山谷ノ音は、片手車よりが左差となりて寄るをは例の蛙掛けにてて捻り倒さんとすれど、は軽く防いで遂に同体に落ちの方少し後れしとて団扇はに上りしも、物言い付き丸預かり。
越ヶ嶽海山は、左四ツにては上みつを引きの左差しを巻きて小手投を打ちしもが防ぎて利かず、更に注文中が投げを防いで充分に腰を落したるを見すましウンと引落したるがための体海鼠の如く伸び臥しぬ。
小錦大戸平は、一寸突き合ては右を当て寄るをは正面溜りの詰にて残し、左を差し一本鎗にて寄り行くを、は西溜りの詰にて耐えつつ捨て身にての勝は得意の手なり、も残念の事ならん。
・中入後、常陸山は左四ツにての寄るを小手投にて浴せ掛けの勝。
岩戸川淀川は、突ッ張りにて岩戸は突き出されたり。
玉風大戸川は、の左差しにて寄切られたり。

場所は終盤を迎え、景気も上々です。梅ノ谷と荒岩の対戦は江戸時代の取組に例えられていますが、この時から見れば60年程度前のことになるので、実際に天保年間から相撲を見ていた人もまだいたことと思われます。天保末期〜嘉永年間にライバルとして人気を博したアンコ型の小柳と技能派の荒馬、タイプ的にも似ている梅ノ谷と荒岩の決戦。決着つきませんでしたが盛り上がったことでしょう。西の副将海山はタイミング良い技で5勝目。優勝争いという概念がもしあれば、荒岩と2人トップで並ぶという展開です。ナマコのように伸びた越ヶ嶽(;・ω・)

明治30年夏場所星取表
【2009/10/26 23:51】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所6日目 (東京朝日新聞/明治30.5.22)

○回向院大相撲
・昨日(六日目)は一昨日の大狂いにて人気引き立ち、午前のうちより桟敷は売り切れたり。
朝日龍鳴瀬川は押切りての勝。
小西川琴ヶ崎は、釣って小西の勝。
毛谷村浪花崎は、釣り合いてのち捨て身にての勝。
淀川谷ノ川は、突合いてのち矢筈にての勝。
大戸川は、右差しの釣りにて大戸の負。
熊風岩戸川は、突合いしのちカタスカシにての勝。
松ノ風玉風は、寄り切りての負。
鬼龍山熊ヶ嶽は、左筈にて押し切りの勝。
稲瀬川常陸山は、常陸の呼声高く稲瀬も大敵なれば念入に仕切りて立ち上り、の右を撓め出さんとするをは解きて右差しにて内枠に行くもの足は立たるままビクとも動かず、ウンと突く鉄砲にての体崩れ西溜りへ落ち入りぬ、この勢いにては来春の一月番付には幕下四五枚の位置ならん。
若島梅ノ谷は突合いてのち死力を出して突きしもの体動かず、は再び蹴手繰らんとする間に左四ツとなり、は下手投にて見事に勝たり。
不知火岩木野は、不知の右を防ぎつつ右に首を巻き左前袋を取りて投を試しも利かざるより、更に諸差しとなりて釣出したるが不知は老練もの、たちまち土俵際にてウッチャリ不知の勝は甘味あり。
京ノ里高見山は、の二本差しをは右上手を曳き引立て釣り出さんとし、は左内がらみにて防ぎたれど耐え得ず土俵際にて寄り上げられすでにの土俵を割らんとせし時、体をかわしてもたれ込みしがため哀れやの体落ちて思わぬ敗を取りぬ。
天ツ風越ヶ嶽は、の左差しを天ツ引掛け寄り出したり。
小松山松ヶ関は、小松の右差しをは巻き左は互いに殺合い、小松より寄り進むをは耐えて寄り返す途端、小松は差し手を逆に捻り出したり。
谷ノ音當り矢は、突合いてのち當りが右筈にて寄るをは土俵の詰にて反り身に耐えしが、當りの突口隙間なく遂に落されたり。
大戸平朝汐は、大戸平は右を当ては右差しにて正面溜りへ押切らんとするを、大戸が寄り返せしゆえ今度は又西溜りへ押寄せしを、大戸は土俵の詰にて耐え捨て身に行かんとすれども、の押寄せ隙間なきを以て捨てられず辛くも耐えいるうちは左足を進めて外さんとせしため、惜しや踏越しありて団扇は大戸に上りしも、は寄り倒したりと物言い付き場預りとなりしが、星は大戸平、この相撲は観客に争い起こりて暫し鳴りも止まざりき。
鳳凰逆鉾は、の諸筈にて押す力には腰砕けんとせしが残して廻り込み素早くの腰へ諸手を当てて寄り出さんとするより、の両腕を取てウッチャランとする間もあせらず突き倒して団扇はに上りしが、は充分捨身を打ちしとて大戸より物言い付け、預りとはなりたれど星は逆鉾
・中入後、萬力淡路洋は、下手投にての勝。
鳴門龍金山は、突合ううち鳴門は腰砕けて突倒さる。
鉞り磯千鳥は、捻っての勝。
虎勇八剣は、寄切られての負。

紙面スペースの都合で中入後の取組がほとんど読めないのが残念ですが、中入前に梅・常陸が連続で登場します。常陸山は新十両の稲瀬川と対戦、稲瀬川はすでに30歳を過ぎていますが晩成型でこの後幕内に昇進して長く活躍します。常陸山はまだ体もそれほど太っていないのですが足腰の強さ、並外れたパワーを披露。梅ノ谷は幕内の若嶋と対戦、こちらも圧倒して全勝を守りました。大関から陥落した大戸平は次期大関候補ナンバー1の朝汐と対戦、勇み足ですが白星を拾いせめてもの意地を見せています。際どい一番に客席でも喧嘩です(;・ω・)朝汐は何年も関脇に座り、前年からは東の大関が不在になっているのでいつ昇進してもおかしくないのですが、上がれないのは高砂失脚の影響でもあるのでしょうか?

明治30年夏場所星取表

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【2009/10/14 01:29】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所5日目 (東京朝日新聞/明治30.5.21)

○回向院大相撲
・昨日(五日目)は数番の好取組ありしため午前より大入にて、殆んど立錐の地なき程なりし。
金山北国は寸違いの角觝なれどはよく防ぎて残したれど、遂にのもたれ込みに敗を取る。
最上山鉞りは、鉞りの差し手を片閂に掛け振り出さんとする時、はウンと力を入れて押出したり。
八剣万力は、突合いの左差しをは上手より釣り舟に行きしが、万は体を退きて防ぐより再び寄りて右外枠にて押出したり。
淡路洋境嶽は、右筈にて寄るをは土俵際にて耐えるをはここと右に小股を押せばは陰嚢の痛みに負を取る。
常陸山松ノ風は、今日の好取組にては位定めの場所なれば念入て立上るかと思いの外、は立ち後れながらの左差しを撓め苦なく引落したる腕力は実に観客を驚したり。
熊ヶ嶽御舟潟は、の左差しにて寄倒したるを御舟はウッチャりしと物言い付けて預となる。
勝平若島は、右四ツになるやいなは引寄せて釣りしを、は足癖にて防ぎしが遂に持ち出されたり。
笹島横車は、は左筈にて寄り倒しの勝は飽気なし。
雷山唐辛は、立ち上りはハタキの足取り共に残り、が腰投げ打てばは蹴返さんとするに、両力士は必死に働き遂にが合掌にて捻らんとするをはもたれ込ての体は潰れたり、この相撲面白し。
高見山不知火は、不知の左差しを泉川に撓め出さんとアセルを不知は預けて土俵際に行き右の手を太股に掛け寄倒して不知の勝は巧者にて、の泉川は無理の手なり。
外ノ海鬼ヶ谷はアッと立上る気合の鋭くの歯がの左眉毛の上に衝突して血潮は迸りては満面には背に血の滴りしより、行司は直ぐに痛分となしたるが、は歯を一本折りは三分余の傷を負いたり。
増田川鬼鹿毛は、突合いは二三度張りて付け入らんとするも、はよく防ぎて手四ツとなり又烈しく突合い、は突損じ腰砕けての勝は拾いものなり。
玉龍高浪は、右差しにて投を打ちしが力の足らぬよりの左差し右差しにてモリ返されて土俵を割り、の勝は上出来なり。
大纒天津風は、は左四ツにて釣りつつ寄り切りの勝。
若湊小天龍は、突合い引落しての勝は一分間。
逆鉾海山は、満場の喝采に両力士は悠々と場に上りて念入に仕切りて立上り、は右差しにて寄るをは一寸体を引くかと見る間に小手投げ極りて美事海山の勝は思いしより飽気なし。
小錦荒岩は当日の眼目なりしが、アッと立ち上るやのケタグリ極りての体は横に倒れたり、その疾きこと観客はの倒れしを見たるのみなり、この手は一月場所と同じ取口なりと。

場所の人気は高まってきて上々の入りです。境嶽は股のあたりを押されて陰嚢の痛みとともに土俵を割りました(;・ω・)外ノ海と鬼ヶ谷は流血の痛み分け、こちら二人とも痛そうです(;・ω・)逆鉾と海山は好取組、キャリアと腕力の差でしょうか海山に軍配です。荒岩は小錦に2場所連続で勝利。先場所は小手投げで勝っていますがいずれも立合いの素早い動きで勝利、スピード相撲で鳴らしてきた小錦にも陰りが見えているのでしょうか?紙面の都合で欄外となりましたが鳳凰は松ヶ関に不覚、全勝がいなくなってしまいました。

明治30年夏場所星取表
【2009/09/10 22:52】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
力士高ノ戸の事 (東京朝日新聞/明治30.5.21)

・手取り相撲の愛敬者にて先年横綱力士西ノ海に土をつけさせ、いよいよ評判を高めたる高ノ戸大五郎(三十)が日清戦争の際角觝協会を脱走して戦地へ駈け向かいしまま今日までも再び土俵に現れず、その後牛込寺町に三柳亭という寄席を開業せし事あるなどに依り世間ではさては彼力量衰えて物の用に立たざるを知り退隠主義をとりしものならんなぞ噂さし交える事なるが、実際は決して去るはかなき話にはあらず。
・元来同人は信州伊奈郡飯田の生れにて幼少の時商人にならんとて出京し赤坂田町の酒屋某方へ奉公せしに、主人は大五郎の骨格非凡なるを見てむしろ力士になれと勧めたれば、本人も実にもと思い遂に力士社会へ加入せしに、果たせるかな瞬く間に出世してやがて名代の力士とはなりぬ、故郷にて小学校を卒業し相当の教育を受けたるのみならず力士となりし後も中江篤介氏に愛せられてその家に出入し、氏及び書生連の化育をも受けたれば手紙を書くにも人手をからず暇ある時は新聞その他の書物を読み、すこぶる学習する所ありけり、日清戦争の起るや高ノ戸は国民の分として徒手すべきにあらずと奮励一番し如何にもして出陣せんと思えども、その身兵籍にあらざれば手段なきに当惑の折柄、第一師団の兵も順次戦場に向う事となりたれば大五郎はその兵の各停車場を発する毎に見送りをなし、他所ながら兵気を振励せん事をつとめつつありしは実に奇特の事というべし。
・かくてその身は名古屋の興行地へ赴きたるが寤寐にも国家の大事を忘れず遂に軍夫と成って出陣するの一手段あるを知り、仲間を脱走して広島へ行かんと化粧廻しその他の所持品を質入れして旅費を整え、密かに門弟を連れて妓楼に遊び留別の宴を開きおりし所へ仲間の者様子を知て駈け来り、何故化粧廻しを質に置いて遊ぶのだ今までの身持ちに似合わぬ仕方、金がいるなら貸してもやろう、モウ自棄遊びはよすがいいと深い所存のありとは知らずしきりに諌めて止まざれば詮方なく一旦発足を見合せたり、しかれども高ノ戸は人の諌め位にておめおめ素志を翻えすべきにあらず、むしろ仲間に打明けて志しをとげんかとも思いしが、その頃仲間にては力士中脱走して軍夫にならんとする者多きを察し極めて厳重にこれを防ぎいたれば国家の大事と言った所でとても相手に成ってはくれまいコリャ矢張り陰密に事を謀るに如かずと今度は国元なる兄の元ヘ手紙を飛ばして金五十円を為替にて取り寄せ、これを旅費にして首尾よく脱走をなし広島へこそ赴むきけれ。
・同地行在所にはかねて愛顧を蒙る侍従米田虎雄氏のあるを幸い、氏を訪うてさるべき人の従者として出陣せらるるよう周旋を頼みしに、氏はその不可を唱え断念して帰京せよと勧めたれば、大五郎内心平らかならずものをも言わず去らんとするにぞ、氏はこれを怪しみ日頃にも似ぬ事なりと語りけり、この時大五郎悄然として氏に向かい挨拶もせず去らんとせしは無礼なれども今更協会へも帰られず、この上はこの地にありて戦地に向う人々の事を聴いてなりとも国家のお役に立ちたしと決心したるより、その支度の事が急がれてツイツイ無礼の挙動せり、幸いに宥恕を垂れたまえよというここにおいて氏はその志しの奪うべからざるを悟り、それほどまで思い込みしとなれば如何にも周旋すべしとてその際第一軍の一部隊出発の際なりしを以てその監督官へ手紙を副えて照会せり、野津司令長官この事を聞いて大いにこれを喜び、その方の如きものなお幾名もあればついでにこれを従軍させんとありしかど、大五郎は協会の規則厳重にして脱走の困難なるを説き、且つ出発の期日必迫して如何ともし難き旨をも陳べたれば、野津中将も再びこれを言わざりき。
・かくて戦地へ行くや大五郎挺身難を冒してその役を励み、天晴れ力士の技倆を見せたれば益々中将に愛せられ、大五郎も中将の為には身を殺しても厭わぬとまで覚悟せり、殊に中将が他の軍吏なぞが分捕品を私するを懲らさんため諸兵士等より中将の元へ献じたる分捕品山の如くなりしを一つに集め火をかけてこれを焼棄したる時などは大五郎驚喜おく所を知らず、かくてこそ我が日本の勇将なれ誠に得難き人傑よ、かかる大将の馬前に討死してこそ人の誉れというべけれ、とひたすらその高潔に感佩したりとぞ。
・事平らぐののち、その筋にては戦死将卒の祭典弔慰こそ盛んに行いたれ我が仲間なりし軍夫の陣亡者には絶えてその事なきを嘆き、如何にもして是が記念碑建設の事を計画せんと思いつつ、或る事情に迫られて一旦かの牛込寺町の寄席を引受けしが、幾程もなくこれを辞し近来にては専ら記念碑建設の事に奔走中なり、是より先角觝協会にても日清戦争中国家の為を思いて脱走せしものに限り復会を許す事となりたれば、高ノ戸の如きも無論土俵へ出るには差し支えなけれども、同人は彼の素志を貫徹せざれば土俵へ出るも面白からずとて、さてこそ今日までも大相撲へ出勤せざる次第なれ、もっとも記念碑建設の事は昨今大いに歩を進め同郷出身者なる今村清之助氏その他の賛助を得て招魂社内に義捐相撲を興行し、その揚り高を以てこれに充てんとの相談中にて目下その筋の意向をも伺いおれば、秋頃までにはこのこと実行せられて高ノ戸は来春の大場所へ出勤すべしという、目今大相撲興行の折柄なれば同人の欠勤を怪しむ人もあらんかとてここにその消息を語るのみ。

相撲の取組記事とは別に、前年より番付から消滅した幕内力士・高ノ戸に関する長文記事です。国を思う気持ちのあまり脱走同然に日清戦争に従軍、その後も慰霊碑建立などに専念していたようです。なんとも純粋で高潔な精神です。相撲界への復帰も許されることになり、持ち前の相撲の才能を生かして慰霊のための活動費にあてようと決心したようです。今の時代ではちょっと想像がつきませんが、これも相撲記事と言えましょう。

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【2009/08/27 01:04】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所4日目 (東京朝日新聞/明治30.5.20)

○回向院大相撲
・昨日(四日目)は貴顕紳士その他二三連中の見物ありて非常の大入を占めたり。
鬼龍山常陸山は、常陸立ち後れしにもかまわずサア来いと受け耐えての右を殺し左差にて牛蒡抜きに持ち出したり、力量恐るべきものあり。
岩戸川は、左相四ツにてが釣出したり。
御舟潟玉風は、御舟が右差しに行くをは右矢筈にて押切らんとするより、御舟はほどいて更に付け入らんと狙い、が右差しに仕替える際引落さんと引きたるに、はこれにまかせて押寄り来り、双方の力にて御舟は腰砕けたり。
鶴ヶ濱稲瀬川は、マッタ数遍ようやく立上り突合いの一手にてはたちまち突き出されたり。
梅ノ谷高見山は、立上るや手四ツにて少時挑みしがは手早く左差しを入れて難なく押倒したり。
狭布里大纒は、左相四ツに組みより内掛けを打てばはこれを防ぎ、後またも引投げを打たんとするをは手がたく防ぎ、双方とも土俵の中央一尺とは動かず疲れて水となり、のち競り合いにて引分は骨の折れた割に面白味なし。
小松山玉龍は相四ツにて小松より四度投げを打ちしがは体を引いてよく防ぎ、小松は再び寄り身に行くをはここを先途と防ぎしため、その疲れ満身の汗にあらわれたり、水入てのち再びつがい今度は小松が右上手に差替え釣身に行くも極まらず、遂に引分。
鬼鹿毛黒岩は、一寸突合いは左を差し右の外掛にてもたれ込みたり。
小天龍源氏山は、突きと手四ツにて競り合いやがて左相四ツとなり、右を殺し合いて小天より腰車を打てばは小手投に行きしも共に極まらず、水入後は左差しにて押切りの勝は大相撲にて小天の負も恥かしからず。
大砲當り矢は、の突きをは危うく残しての左筈を巻き左を殺して押合いしのち、は全身の力にて押切りぬ。
荒岩朝汐は当日中の好取組みにて満場喝采の内に両力士は土俵に上り、双方念入りに仕切りて立上るやは左四ツには左を差し外掛に行きしも極らず、再び右の前袋を取りて引落さんとする時、の腰砕けての勝は大相撲なりし。
大戸平逆鉾は、の左筈にて前袋を取り寄り行くを、大戸の左を撓めて押さんとしたれども、この時早くもは外枠にて押切りたり、この相撲関以上には見栄えなし。
鳳凰越ヶ嶽は、の左肩へ手を当てしのみにて寄切りの勝は飽気なし、この勢いにては恐らくの手に立つものは無からん。

幕下の相撲、常陸山(ひたちやま)の取組がピックアップされています。師匠の現役名を継いだ常陸山、言わずと知れた後の大横綱ですが、その強さは目立っていたのでしょう。梅ノ谷は新入幕高見山を難なく倒して全勝。躍進する次代の主役達の中では一足先に上位進出の荒岩、朝汐に挑戦しましたが体格負けでしょうか、技をかけ損ねて黒星。逆鉾は大戸平を速攻で破り3勝目、関以上には見栄えなし、とは並の関取以上の良さが見られなかったという意味でしょうか。鳳凰は圧勝で4連勝、無敵の様子です。

明治30年夏場所星取表

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【2009/07/21 18:28】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所3日目 (東京朝日新聞/明治30.5.19)

○回向院大相撲
・昨日(三日目)は朝来曇天なりしも柳派落語家ほか二三連中の見物もありて中々の大入なりし。
金山淡路洋は、突き合いたる後突張ての勝。
八剣最上山は、左四ツの釣にての勝は順当なり。
鉞り境嶽は、の左を撓めつつ寄り出さんとする時、はほどいて突放し、更に再び突きしがためは土俵の外へ出でたり。
雷ノ音松ノ風は、の左差しをは巻いて防ぎしも、注文悪しと差し替えるとたん突出されての負。
熊ヶ嶽鶴ノ音は、の出端を突いて突いて突き出したり。
笹島稲瀬川は、立上るや互いに付入らんとすれど互角にて極らず、のちがはたくをは残って付入り遂に勝を制したり。
鳴門龍勝平は、の両差しをはほどいて右差しに行き、手早く左を外がけに巻き倒さんとしたる甲斐もなく、の体量に押潰されしは小粒の損なり。
高見山若島は、左相四ツとなりは釣出さんと寄り、は寄られながら土俵の端にて甘くもこれを上手にうッちゃり見事なる勝を占めたり。
梅ノ谷横車は、の左差しで寄るをは右差しで廻り込み左足を一寸とかけて浴びせたればは腰くだけて倒れたり、この手は大乗掛けとての新手なり。
玉龍唐辛は、双方手なしの相撲にては只左差しにて押寄せるを、は詰めにて捨身のつりが外れ踏切たり。
岩木野鬼ヶ谷は、の無二無三に付入るをは防ぎ切れずして踏切りぬ。
松ヶ関小天龍は突きと殺しの競争にて、さながら子供のセリ合いの如くなりしが、難なく寄られて小天の負。
逆鉾不知火は、不知の出鼻を一本背負にきめんとするを、は危うく残て肩口より身体を滑らして廻り込み、不知の左を取てトッタリに行き見事に勝たり。
越ヶ嶽谷ノ音は、が右筈の左差しにて足くせを防げばは諸の上手にてつめを取り引寄せんとすれども動かず、水入りてのち内掛に行き遂に勝たり。
若湊天津風は、が相手の出鼻を引落さんとはたきたれど、天津は残って直ぐにの左を泉川に撓め直さんと寄り行くを、は寄返してそのまま委せて寄切りぬ。
外ノ海海山は、が合掌に行くをは突放して押切らんとし、は左足を割込み投げを打たんとする時、は早くも一寸足をかけ右手に巻きつつ寄り倒したり、これの力量優れし所なるべし。
小錦高浪は、の出来よき所なればも念入りに仕切り、立上るやは得意の突手に行くを、は引張て相手を前ヘズルズルと落とさんとせしが、流石は老練は早くも廻り込んで体をまかせ、は土俵を割って負となりぬ、この相撲の機敏はいうまでもなけれど大関としては軽挙なりという人もありし。

新十両で4枚目に躍進してきた稲瀬川(いなせがわ)はすでに32歳ですが急速に力をつけた感があり3連勝。十両筆頭の梅ノ谷も体格を生かした新技?で3連勝。小兵の逆鉾は相手の一本背負いをかわして取ったりで返す、見事な技術を見せました。2日続けて人気力士を倒して調子付く高浪は横綱に挑戦。引き技を見せましたが決まらず、一気の攻めに敗退しました。小錦の地位は大関横綱と言われるもので大関と横綱を兼任しているわけですが、当時まだ横綱が大関より一段上の地位という認識はあまり浸透していないと思われます。

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【2009/07/07 22:11】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所2日目 (東京朝日新聞/明治30.5.16)

○回向院大相撲
・昨十五日(二日目)は朝から好天気の上に二三連中の総見物ありて八九分の大入を占めたり。
谷ノ川淡路洋は、の出はなをハタキての勝。
御舟潟は、御舟の注文下手をは防ぎ喉輪にて押切りの勝はよく働きたり。
境嶽岩戸川の泉川にて寄るをは土俵の詰めにて蹴返しの勝。
鶴ヶ濱玉風は、の右差し左筈にて無二無三に押寄するを耐えつつ土俵の際にて寄返し、上手投げにての勝は大手柄。
若島笹島は、の諸差を閂に絞りて撓め出さんとすれば、は全身に力をこめ絞られながら体を任せて遂に押切りの勝は注文通り。
唐辛岩木野は立上り右の相四ツにて挑みしが、の腰投げもは残して押切らんと寄るを、も残して上手詰か取り引寄せ釣らんとするより、は体を任せて外掛けに行くをは引き外してまた左四ツになり、双方気合を謀りて挑む勢なきより水となり、のち取り疲れて引分は大相撲なりし。
天ツ風松ヶ関は、天ツは左差に右筈に行くをは左を巻き右は下より攻め上げしより天ツは下手を首に巻きて捻り倒さんと寄りつつ遂に土俵際にて極りしが、同体に流れしと物言い付きて預りとなり、星は五分五分。
荒岩當り矢は、の左差しを撓めて押切らんとアセルもは必死に防ぐより右四ツの左前袋を取りて引落さんとするを、は身を軽くして防ぎたれど、またもの撓めにて体は浮きて遂に土俵外へ持出さる。
不知火源氏山は、の右差しにて苦なく押切らる。
大砲大纒は、左四ツの右差しにて下手に組入り隙を窺えば、は右を差して寄るをは寄られながら外無双にての体は危うくなりしが、体の重量に寄り返されての負は惜しむべし。
狭布里朝汐は、は一押しに押来る勢いに狭布の腰砕けては上より押潰さんとする時、狭布は耐えて肩無双を切りて見事の体は左に落ちたり。
大戸平外ノ海は、大戸の泉川にては危うく残りて左差となり、大戸は二本差しにて寄り倒し大戸の勝。
鳳凰増田川は、立上りの突手にの体はケシ飛んだり。

○小錦織の贈り物
・備前田の口港、西原合名会社は力士小錦を贔屓にするより、その製造する帯地に「小錦織」と命名せしほどなるが、今度横綱一周年を祝して団扇一万本を小錦へ贈与せり。

二日目です。前場所1勝7敗と大敗した楯甲は若嶋と改名しています。のちの大阪横綱となる力士ですがこの時まだ21歳、若さのためか思うように勝てません。入幕2場所目の荒岩、小結復帰の大炮、復活を目指す大戸平、大関鳳凰と西方注目の4人衆は快調に連勝です。小錦も勝ち。速攻が身上の小錦は人気もかなりのものだったといいますが、その人気の象徴として現在でも語られる「小錦織」は備前の産でしょうか。田の口港のある児島は現在でも繊維の街として知られています。
児島田の口(一路一会)

明治30年夏場所星取表
【2009/06/29 21:54】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年夏場所初日 (東京朝日新聞/明治30.5.15)

○回向院大相撲
・昨十四日(初日)は、例の通り貴顕紳士の来場ありて初日ながら相応の人りありたり。
司天龍鳴門龍は、司天の諸差しを鳴門は上手にて相手の首を巻き捻らんとして、司天は逃げたれども廻込んで返られしため司天の体潰れて負。
雷ノ音鉞りは、互いに突合いの組み入らんとするをは突くと見せて素早く右足を取ての勝は面白し。
千代川松ノ風は、千代の出鼻をは透かして双手にハタキ出したり。
八剣稲瀬川は五分五分の角觝なるが、のアセリて来るをが隙さず突いての勝はあっけなし。
隈川改め金山勝平は、の右差しにて掬わんとせしを、は得意の右内枠にて見事の勝。
玉風若島は、の突きにの体崩れ二度目の突きに泳いで溜りへ落ら、相手がかえって気の毒そうなりし。
熊ヶ嶽唐辛は、の注文中は矢筈にて押切りたり。
越ヶ嶽鬼ヶ谷は、が立ちおくれながら突掛りて土俵際まで押寄せし時、は踏み堪えて投げを打らしも体すべりての勝。
當り矢小天龍は、當りの突きに小天の負け。
逆鉾横車は、の諸差しにて釣り行くをは左差しにて押切りたり。
大纒谷ノ音は、の右差を例の内掛にてもたれ込み同体に落ちたり、しかるにの体やや少し早かりしとて団扇はに上がりしが、海山の物言い出て丸預りとなる。
若湊狭布里は、立上るやの右手を夕グりて体をかわし尻にて押出さんとすると、はここぞと耐え左足を渡し込みて送り出さんと力を込めたる時、狭布の腰砕けての勝、この双方の取り口はいまだ名もなく木村庄之助も知らぬと云う。
黒岩海山は、の左四ツにて寄るをは体を引くと同時に投げを打らしが、はそのまま寄り行きは懐狭くして打つ事も出来ずためらう所をに寄り切られて負け、この時満場大喝采。
小錦小松山は、が例の突きに小松は体もけし飛ぶばかりなりしが、小松は浮きながらの左を取りてタグリしよりは自体の力にて脆くも倒れて小松の勝、小錦は一月場所に荒岩に負けしよりも脆かりし。
・(中入後)岩戸川鶴ヶ濱は、が左筈にて押し切り岩戸の勝。
笹島境嶽は、の老練なるの筈にて寄るを苦もなく透かしての勝。
雷山鬼鹿毛は、の左四ツにて攻めるをは喉輪にて押切らんとし、はこれをほどきてまた寄るをは上手にて首を巻き得意の捻りにて勝たり。

○回向院大相撲の事
・西方の幕内力士と角觝協会との間に確執を起して互いに一寸も後へ退かず、一昨日曇天を口実にして入掛にせしも、実はこの紛擾のためなりしとは既に昨日の二回にも記載したるが、なお昨日も一向太鼓を廻す様子なく、この分にては何時和解すべしとも見えざれば、茶屋はさらなり出方の面々も一同青くなりて憂いに沈み居りしところ、室田本所警察署長および飯島同区長はかくては区内の安寧等に関していささか懸念なきにあらず、また双方にとりても大不利益の事なりと心配の余り昨夜八時三十分一個人の資格をもって本所署へ角觝協会の役員を召喚し、ねもごろに説諭するところありしより、総代八角灘右衛門はなお一同に協議を仕り何分の御返答を申すべしとて引きとりしが、やがて力士等に損害金を支払わしめんとかたくとって動かざりし前説を取消し、ここにようやく和解する事になりたれば、今十三日晴天なれば太鼓をまわし明十四日より花々しく興行すとなり。(5.13)

中村楼事件以来、力士側と協会側の溝は依然として残っているようで、このような小さなストライキは珍しくなくなってきます。とにかく早い段階で和解して本場所開催が出来て良かったです。大戸平は先場所5勝3敗と勝ち越しましたが関脇へ降格。少し前には大碇も負け越していないのに大関陥落しており、1〜2点の勝ち越し程度では大関として不十分な成績であると判断されたのでしょう。初日、新入幕の黒岩はいきなり海山を破り殊勲。速い攻めが光りました。若湊と狭布里は決まり手不明の珍勝負、後ろもたれに失敗して倒れてしまったようです(;・ω・)若湊は約5年半ぶりの三役返り咲きで張り切っていることでしょう。小錦は小松山に手繰られて黒星、横綱3場所目ですが初日は3連敗となってしまいました。小錦は気が小さかったと言われていますが、初日は硬くなっていたのかも知れません。

明治30年夏場所星取表

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【2009/06/14 23:13】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
明治30年春場所千秋楽 (東京朝日新聞/明治30.2.19)

○回向院大相撲
・一昨日(十日目)は強風及び千秋楽のため観客少なかりしが、好角家は例によって多かりし。
宮ノ浦祇園山は、突き合いしのちハタキ込んでの勝。
栄嶽北國は、右相四ツにて釣り合いもたれ掛ての勝。
松ノ風雷ノ音は当日の好取組にて、の飛び付きをは左差しにて受け、は右四ツより左四ツとなりが下手投を打てばは襷に反りを打つも極まらず、また相四ツとなり遂にが釣ってもたれ込みたり。
鶴ヶ濱鉞りは、の右差しをが泉川にて持出したり。
岩戸川淡路洋は、突合てのち淡路が左筈にて押すを岩戸は撓めつつ上手投を打ち、次いで矢筈に仕替えて迫るを、は引き外して飛び廻り自ら土俵外へ足を踏出しぬ。
御舟潟雷山は、御舟の左筈にて暫し競り合いが引落すか捻るかせんと窺うも御舟は逃げ構えにてこれを防ぎながら足を取らんと狙ううち、は落すと見せて突出したり。
・中入後、高見山は、の左差しは苦もなく泉川にて撓め出しの勝。
勝平八剣は、が左差しにての右を防ぎしが遂には左差しの内掛にて倒し団扇はに上りしが、同体に流れしと物言い付き預りとなる。
・(是より三役)笹島黒岩は、右相四ツにての左筈をが巻投げの打合いよりは首投を打ちしも極まらず、遂にが下手投にて勝を占めたり。
稲瀬川熊ヶ嶽は、直ぐに突合いの大相撲となり稲瀬の左筈をは右巻きの左筈にて挑みしが、稲瀬の振り出しにての負となりぬ。
梅ノ谷岩木野は、好相撲にての左筈をは右にて寄倒しの勝にて目出たく千秋楽。

千秋楽、十両の有望力士が次々と登場しますが高見山が幕下ホープの甲(かぶと)を下して8勝目、十両では最優秀の成績です。ここまで土付かずで来ていた黒岩(くろいわ)は投げ負けて初黒星。しかし新入幕有力となる好成績です。十両の業師・勝平は今場所好調で5点の勝ち越し。前半苦しんだ梅ノ谷は7勝目で怪童の面目を施しました。新入幕で大活躍した荒岩らと共に新時代を築いていく幕開けとなる場所でした。

明治30年春場所星取表

新聞掲載の十両星取表

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【2009/06/09 23:03】 | 大相撲 | コメント(0) | page top↑
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