![]() ○大角觝大紛議の続聞 ・回向院五月場所大角觝開場の間際に至り突然内部に大紛議を生じ、ために開場に至らず無期限休業となりし次第はほぼ前号に尽くしたり、今その続聞を記さんに、そもそも今回の紛議は一朝一夕に起こりたるにあらず、今春以来東西力士合併をなし地方興行をなし居りし際、西の方にては協会の整理の立たざるを見、今に於いて矯正せざれば力士の行く末覚束なきものありとて密々協議を凝らせし事あり、其の際東の方へ交渉に及びたるに意見に相違する所ありて合同せず、ために一致の運動をなす事あたわざりしに、此の頃発行せし好角雑誌なるものあり其の紙上に於いて痛く高砂部屋一同を非難せしより、東部屋有力の力士は大いに不快の感を抱き此の記事は畢竟この道の者の手より出たるに相違なしとて、ここに初めて西方に賛成し一致して協会を攻撃するに決せしなり。 ・かくて東西力士は寄々に密議をなし遂に協会に対し(一)検査役に中等汽車の乗車を許し紫房行司即ち木村庄之助同じく瀬平の二人に下等汽車へ乗せしむる事(二)無断にて検査役の給金を増加せし事(三)歩持ち年寄に対する力士の歩割比較的小額なる事、等を理由としてこれが改正を望み併せて検査役の改選を申込みたるに、協会は昨日の紙上に記載せし如く、固くとってこれに応ぜずここに於いて力士一同は両国中村楼に集会し善後策の相談に掛りたり。 ・しかるに協会にては、かく力士連の請求をこそ斥けたれどなるべくは事の穏便を望む所より、俄かに各年寄を協会へ召集し各部屋部屋の力士に対し利害を説いて和解せしむる事を託したれば、各年寄は一昨夜その部屋部屋の力士を集め百方説諭をなしたるも、力士等の団結堅くして容易に服すべき気色見えず、各年寄も飽み果てこの旨協会へ復命せしにぞ、協会にては師の説諭をだも聞かずとならば此の上は止むを得ず同盟力士を番付より除き他の力士にて開場せんと謀りしに、此のこと早くも力士連へ通報する者ありて一層の激昂の度を高め、かく我々の請求を容れずかえって師の命に背きしを咎め破門するとあらば甘んじて破門を受くべし、此の東京のみに日の照るものかはとて少しも動ずる色なきのみか一昨日午後四時より更に両国中村楼に集会して何やらん密議に掛かり、此の席には何人たりとも立ち寄らしめず夜に入るまでも退散せざりしより、本所警察署にては此の力士の会合は集合条例に抵触するものなりとて特に警部一名巡査一名を同楼へ派し、主立ちたる会主に面会の上その解散を命ぜしめたり。 ・よって警部巡査は同楼に行き、使を通じて会主に面会を求めしに、今日の集会には会主たる者なしとの返答なれば、さらば三役に面会せんと言いしに三役は警部等に面会するを厭いしものか裏梯子より降りて早々帰宅したるを以て、警部等は止むを得ず兎も角も今日は解散せよ明日三役を警察署へ出頭せしめよと命じ帰署の上この顛末を復命せしかば、市川本所警察署長は一方ならず心痛し力士社会にかかる紛擾を生ぜしは世間の人を驚かすのみかは区内の繁昌を傷つくるものなれば一日も早く和解せしめ本場所を開場せしめんに如かずとて、かねてかかる事に経験ある現本所区長飯島保篤、元本所区長伊志田友方および元同警察署長たりし室田景辰の三氏を訪い仲裁の事を談ぜしに、三氏とも快くこれを諾したれば、市川所長も一個人の資格を以て和解に尽力するに決し一昨夜十時東の方小錦、朝汐、逆鉾、源氏山、常陸山の五名、西の方大砲、梅ノ谷、荒岩、鳳凰、谷ノ音の五名に対し懇談したき事ありとて招状を発したり、しかるに解散の命を受けたる力士等は直ちに中村楼を退散し各郎屋部屋へ戻りしが、また寄々に会合し三役とあるべき者が如何に警察官の来れりとはいえ裏より逃げ出すようにては目的を達すること叶い難からん、全体この事件は誰が起こしてかくなりしものぞなど口々に罵り、果ては発起の奴が悪者なれば見付け次第に坊主になさんとひしめくもありて自ずから仲間割れの姿となり、愚痴を並ベつつ稽古するも見受たり。かくて署長より招かれし人々は小錦の羽織着たるを除くの外、他はみな単物一枚にて昨日午前十時頃稽古場より本所署会議所へ出頭せしが、大砲は病気のため出頭せず同所には署長を始め室田、飯島の二氏ほかに青木庄太郎氏もあり力士等を見て百方説諭をなし早く和解せよと勧誘して引き取らしめ、更に協会の雷、阿武松、関ノ戸、若藤等を招き是等にも篤く説諭したり、されば小錦等は警察署を去りてのち回向院前の高砂屋に会し再び密議を開きしが、昨日午後五時頃まで何等の決議にも至らざりき。 ・右紛議に関し木村庄之助、同じく瀬平の二人は歩持ち年寄にて行司を兼ぬるものなるが力士の同盟に加入したりとて一昨日午後協会へ呼ばれ痛く油を取られたり、また元の両國すなわち今の年寄伊勢ヶ濱勘太夫はかねてより囲碁を嗜み常に田子ノ浦を相手として盤面を争い三食を忘るる程なりしが、今回の紛議の最中ある人勘太夫に向かい碁は如何と尋ねしに、何して碁どころの沙汰ではない、収まりの付く工夫が大事だと真顔になって騒ぎ居しは平素の柄に不似合なりし。 ![]() スト事件の続報です。力士側の要求には行司の待遇改善も含まれており、行司は力士側についているということでしょうか。協会としてはまず各親方に命じてそれぞれの部屋で力士たちへの説得を試みましたがうまくいかず、師匠に背く力士を番付から除外しようという意見も出ましたが、それが力士側に伝わり関係が悪化してしまいました。その後、集会を禁ずる条例に反したとのことで警察が介入することとなり、飯島・伊志田・室田の三氏が仲介にあたることとなりました。これは三年前の中村楼事件の時と同じ顔触れです。力士側・協会側それぞれ呼び出して説得してみますが、進展なしです。ちなみに行司は完全に力士サイドというわけでもないようで、協会に呼び出されてひどく油を絞られたとのことです(;・ω・) |
![]() ○回向院大角觝の大紛議続聞(大角觝の無期限休業) ・昨二十日を以て初日を開場すべき回向院五月場所は、一昨日の午後に至り突然内部に紛議を生じ、午後四時頃より年寄雷、阿武松をはじめ検査役並びに東西両大関等浅草代地の小中村楼へ会し秘密会を開きしため、其の結果に依りては或いは初日の開場もいかに成り行くべきや覚束なし云々とは取りあえず昨紙欄外に特報したるが、昨日は遂に初日開場の運びに至らず、否昨日はおろか此の紛紜の氷解落着せざる限り三日五日十日も開場すまじく、すでに昨日のごときは幟をも立てず太鼓も打たず、さればかかる紛議のありとも知らで朝未明より押しかけたる観客等は回向院に至りて開いた口の塞がらず、小屋へ立ち寄りて差し覗けば場内寂々寥々としてあたかも暴風の吹き過ぎたる跡の如き観あり、その櫓下には「休業」の札を掲げたるにぞ、いづれも失望して悄然と立ち帰りたり、今この紛擾を醸したる真因及び続聞を記せば次の如し。 ・さて其のむかし角力会所の存立せし頃筆頭、筆脇(即ち現今の取締及び副取締なり)組頭(即ち現今の検査役)なるものあり、常時筆頭筆脇の権力は実に飛ぶ鳥をも落すべき勢あり、力士は自然その権に圧されその威に屈し居りしほどにて、組頭の給料は金三十両(十日間)而して各地方へ出張する際といえども決して此の給金割は動かざりしが、明治二十一・二年頃角觝会所の名目は角力協会と改められ其の規約にも改正を加え、従前よりの圧制主義を撤回し、且つ力士の最高給金二十二両なりしを四十五円に進めたり、されど当時は角觝萎靡として振わず、取締の年俸百円にて常に協会に於て百般の事務を執り、検査役は金二十円、木戸部長十円、以下二等に分かち最下を七円と定めて興行しつつありしが、一昨年頃より俄然隆盛に赴きしにぞ更に又力士奨励のため増給の割を高め、且つ又九日間負け通したる力士といえども欠勤さえせざれば五十銭づつ増給すべき内規に改め、地方興行の際検査役は従来十円にてありしを十五円に引き上げたり、然るに検査役なるものは力士の技倆及び勤怠を監察し且つ興行上の交際も多ければ到底十円十五円の給金にては不足なるが、力士との権衡を失するの嫌いあるを以て一時に多額の増給を行う能わず、依って今回水戸地方の興行より協会の専断を以て検査役の給料を三円だけ増加し即ち十八円とは為したり。 ・さるほどに、去る十五日の夜帰京したる東部屋の幕内力士等は斯くと聞くより大いに立腹し、翌十六日同部屋の面々浅草田圃の平野亭に秘密会を開き西部屋力士へ交渉する所ありしより、西部屋力士も思い思いに会合し十八日の夜を以て協会へ迫りたる理由の要点は、たとえ少額なるにもせよ我々力士へ一言の相談なくして引き上げしは如何なる次第なるや、斯様の取締役以下検査役の下に居りては以来相撲は取らず、と云い出したるにて協会の面々は一昨日午後より浅草代地の小中村楼に相談会を開き事を穏便に運ばんと東西三役に謀る所ありしが、彼等は固く取って応ずる模様の見えざるより、協会はやむ無く昨日の初日を休業し彼等より折合を付けざる内は幾日経るとも興行せざる事に決定したれば、いづれ何人か其の間に仲裁の労を取らざれば初日を興行するの運びに至らざるべし。 ・以士は紛紜の原因として見るべきものなるが、力士中不満を抱ける者等は容易に其の立腹を解かず、そもそも協会の役員なる者は我々より選挙して任じたるものなるに斯く専断の所為に出づること不都合千万なりなど怒鳴り居れば、もし仲裁する人おれば些少の事柄にも必ず一の条件を付して持ち込むべし、又協会の役員は年寄七十余名と東西力士及び足袋以上の行司を合わせ総計百二十余名の選挙に当選就任したるものにて取締は斯道隆盛のために督励して万端の事務を執り、各検査役は力士の優劣を審査するの任務を帯びて敢えてやましき所なければ今回の如く力士に容喙せらるべき理由なしとて要求を斥け、双方とも気焔なかなか盛んなれば、此の上は非常に有力なる仲裁者ありて双方の顔の立つべきように折合を付けざるに於ては、或は古来その例なき五月場所興行廃止の不幸を来たすやも未だ以て知るべからず、兎も角も回向院大角觝をかかる苦々しき問題のために廃止する等の事あらんには斯道の歴史の上に情けなき汚点を残すのみならず、折角力瘤を入れたる江湖幾多好角家の人気を挫くことあるべければ一日も早く和解落着せしめたきものなり。 ・因みに記す、東西幕内力士は以上の如く苦情を持込み居れど、一方には例の甚だ無邪気にて昨朝も午前六時より各々稽古場へ赴き平日の如くに笑語して常陸、朝汐、小錦は東の稽古場にて我も相撲い弟子にも教え、また西の稽古場には鳳凰、梅ノ谷、海山の面々一心に技倆を鍛え弟子にも懇ろに教えある等、一寸見たところでは何事の起こりて休業せしにや少しも知れざるほどなりしとぞ。 ○相撲年寄境川の賭博犯 ・本所区横網町二丁目七番地に住む相撲年寄境川浪右衛門こと高塚彦右衛門(四十七)は、旧名総ノ海と呼び其の頃より賭博を好みて仲間にも度々意見されたるが、なお全くやめ得ずして今回も大場所が始まるとてかねて贔屓を受くる栃木県那須郡鍋掛村薄井兼造(三十五)ら両三名が見物かたがた上京して訪ね来りしかば、境川に大いに喜び再昨夜は自宅に宿泊せしめ酒肴など取寄せて馳走し居たる折、平素の賭博仲間なる日本橋区蠣殼町一丁目四番地谷萩捨吉(四十五)斎藤梅吉(二十二)を始め三十四五人が来り会したちまち賭博のむしろを開きて一座勝負の真っ最中、早くも其の筋の耳に入り一昨日午前一時頃数名の警官踏み込んで、驚き逃げる一座の者を片っ端より取り押さえ境川はじめ薄井兼吉ほか五名を引致したれば、相撲仲間も大いに心配し是非とも嘆願せんと奔走の効もなく昨朝遂に境川等は検事局へ送られたり、目下相撲道には別項記載の如き大紛議あるうえ大場所興行に際して年寄中にかかる犯罪者を出ししは重ね重ね同社会の恥辱というべし。 ![]() 突然ですが、場所が始まりません(;・ω・)力士のストライキなのですが、原因は親方衆の昇給です。このところ大相撲は客入りが良く、その収益をどう分配するかということで揉める原因になります。江戸時代の大相撲は、相撲会所と呼ばれる組織が取り仕切り、現在でいう理事長にあたる筆頭(ふでがしら)と呼ばれる親方がトップ。明治22年に組織改革があって東京大角力協会となり、筆頭は取締、組頭は検査役と役職名が変わりました。検査役というと現在の審判部のような意味合いにも取れますが、理事に当たるのでしょうか。名前が変わってもなかなか年寄主導の利益配分はなくならず、力士に不満がたまっていたのでしょう。一応力士の待遇も少しは良くなってきているようですが・・今回は交際費も多くかかる検査役だけに巡業中の月給を15円から18円にという、そう大規模な変更ではありませんが、力士側に何の相談も無かったとのことで小中村楼に閉じこもってしまいました。3年前のストライキ事件の舞台となった中村楼の別館でしょうか?閉じこもると言っても朝になれば部屋に戻って普通に稽古をしているのですが、誰かが仲介に走らなければ場所は到底開催できないといった様相です。どうなる事でしょう。 |
![]() ○回向院大相撲の番付 ・当五月場所の番付は、既記の如く昨日午前四時を以て発表となりたり。 ○角觝雑俎 ・新番付中幕内力士に席順の昇降あるは皆自身の技倆によること勿論なるが、そのうちについて特に著しきは常陸山の前頭筆頭に進みたる事なり、また西の梅ノ谷は遂に関脇に進みたるが、大砲を凌ぐに至るも遠からざるべし、次にまた幕下より新たに入りたるは谷ノ川、八剣、鬼竜山の三人にして稲瀬川は幕下二枚に下降したるが、幕下にては著しき昇降なく、かえって三段目の鷲ヶ濱が二段目下より二十二枚に若返りたるあり、及び知恵ノ矢のますます下降したるは気の毒にて、養老金を得たらんには廃業するもよし。 ・大戸平は年寄尾車となり検査役を命ぜられ、鬼鹿毛と高ノ戸は廃業したる由。 ・大番付の編成について或る協会役員の語るところに依れば、従来は年二季回向院興行打上げののち直ちに両取締検査役協議のうえ成績を見て増給及び順席を定め、上梓の原稿を編して各地方へ出稼きに赴きたるが、斯くしては幕内力士及び幕下十枚は左右すべからず、其の以下のみ奨励のため地方巡業中特別の働きありしを見て席を直す事となり居りしが、自今は年二季興行の一二日前に取締役検査員の面々集会して確定する事になしたる由。 ・昨年好角同志会なるもの起こりしも種々面白からぬ噂ありて入会する者少なかりしが、角觝協会にては今回特に同会員の観覧場を設け置き、満員客留めの節といえども同会員の徽章ある者に限り特別の便利を与えて斯道の隆盛を計らんと勉めたれば、会員は大いに便利を得べしとなり、今同会の要領を摘記せんに、入会金一円にて月々にて月々二十五銭を出せば年二季の大相撲及びその他の花相撲へ無代にて入場するの権あり、また一時金三十円を差し出せば名誉会員となり得て、爾後月掛を要せず其の収入金額は協会に保存して銀行へ預け、老功力土の廃業その他疾病に罹りし際、救助し又は養老金を与えて老後零落する者を扶助するの目的なりとぞ。 ![]() 新番付が発表されました。なぜ昔も今もこんなに朝早い発表なのでしょうか(;・ω・)大砲はここ3場所で黒星を1つしか取っておらず、ついに大関昇進です。引き分けが多いのでそれほど好成績を挙げた印象はありませんが、ケタ違いの体格で相手を圧倒する相撲は大関の貫禄ありと判断されたのでしょうか。人気面でも申し分ありません。西の大関には鳳凰がいますが先場所は不振でしたので後釜を作っておこうという意図もあるかも知れません。いずれにしろ先輩大関を張出に押しのけての昇進となりました。先場所好成績の梅ノ谷は新関脇。新入幕で大暴れした常陸山は東方の三役に空席がなく前頭筆頭止まり。それでも記事にある通り、この1年で大躍進と言えるでしょう。記事によると番付は本場所が終わるとすぐに編成会議を開き、決定してから各自巡業などに出発し、次場所の開幕が近付いたら新番付として発表。この流れは現在もほとんど同じですが、一番違うのは幕下以下については巡業で頑張ったと認められた力士には多少の昇進があったということでしょうか。これからは本場所1~2日前に確定させるようにしたとの事です。番付の印刷には間に合わないでしょうから、紙面では幕下三十枚目でも実際は二十枚目格というような事があったのでしょうか?さて大相撲ファンクラブ、年会費1円と月々25銭で本場所の優先入場や花相撲の無料招待があったようです。いいですね~(・ω・)終身会員は30円。力士の治療費や退職金にあてるとのことで、良いアイデアだと思います。 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨十九日(十日目)幕下力士が出世の関ヶ原とて好角家はかえって早朝より観物に赴き、相応の入りを占めたり。 ・照日山に野州山は、苦なく突き出して野州の勝。 ・立嵐に大戸川は、素首落としで立の勝。 ・朝日龍に八ツ若は、八の二本に拘わらず首投げにて朝の勝。 ・嵐山に緑島は、嵐右差しにて寄り切り嵐の勝。 ・最上山に朝日嶽は相四ツにて釣り合い、釣って朝の勝。 ・荒鷲に小武蔵は、左相四ツにて荒釣れば小武足癖にて防ぎ、勝負付かずして引分。 ・勢に玉ヶ崎は、勢い引落しと玉の左を取るや反対に引落されて勢の負け。 ・錦山に岩ノ森は、引落して岩の勝。 ・梅錦に熊ヶ嶽は、梅左を取って一本に行きしが潰れて梅の負け。 ・荒雲に大嶽は、左四つにて大は内掛にて巻き倒さんとするを、荒切っ返して荒の勝。 ・栄鶴に淀川は、栄の左筈を淀撓めて揉み合い栄の左差しにて挑みし時淀の横腹の腫物より出血して分となる。 ・宮ノ浦に緑川は、右相四つにて挑み勝負付かずして引分。 ・鶴ノ音に金山は、突き合い突き出して鶴の勝。 ・鬼竜山に甲は、甲出鼻をハタキたるが鬼潜って抜けたるより甲の腰砕けて負。 ・谷ノ川に高見山は、左四ツにて谷アセッテ押詰めもたれて潰さんとせしより高はウッチャリて勝を占む。 ・(中入後)梅ノ矢に平岩、平の左差しを梅は引掛け投げを打ちたるより平踏み切って梅の勝。 ・千田川に磯千鳥は、千のハタキを引き外し潜って左外枠に取って押し出し磯の勝。 ・駒勇に尼ヶ崎は、駒のハタキ残して尼は右を差し捻って尼の勝。 ・橋立に小西川は、橋は小の左差しを引掛け左に敵の右足を取り、渡し込んで橋の勝。 ・有明に浪花崎は、突張って浪花の勝。 ・國見山に成瀬川、右四ツ下手にて國の勝。 ・(是より三役)鳴門龍に高千穂は突き合い左差しの寄りにて鳴門の勝。 ・淡路洋に利根川は、突き出して淡の勝は呆気なし。 ・松ノ風に八剣は左四ツの釣りにて八剣の勝ち、弓取は霧島代理して目出たく千秋楽となりたり。 ![]() ○力士にくまれ評 ・十日間の大場所、観客の種類は官吏や商人や書生や職人や農夫や婦人もあれば子供もある、そのにくまれ口を手帳に書き留め置きたればここに少しく掲ぐる事としぬ、人として一の癖はあるものよ力士にもまた短所あり欠点あり、贔屓の人々怒り給いそ。 ・山田君常陸山の力量は凄まじいもんぢゃね、立上がって左四ツとなって投を打ったで梅ノ谷の体が斜になったのを再び投を打って相手の体の浮いたのをそのまま寄って勝を占むるに至った技倆の如きは実に神出鬼没ちうても可ぢゃで、しかれどもぢゃ彼は近来大いに慢心しちょるね、軽敵にも土俵を譲って見せたり或いは何処からでも来いちうような風を示すのはいかにも小面憎く見えるぢゃないか、これが大関横綱の資格でもあれば格別ぢゃが彼常陸の如きはいまだ全く声望の相添わざる分際でもって生効きぢゃわい、君の意見は如何ぢゃ。 ・やれやれどえらいもんぢゃにゃあかい、あれが梅ノ谷関や、我が村の鎮守様の仁王どんよりも大かんべいが人は外観によらにゃあもんだぞ、何故ちうと見い、あの梅関は相手の隙さあ見つけるとすぐに立上がって勝とうとするぢゃにゃあかい、あれがハア三役のお相撲に出来る事かい、アレ誰ぢゃ汝かいみかんの皮さあ我に投げつけたのは、効かぬぞ効かぬぞ茶枯者め。 ・ちょいとあなた朝汐さんは卑怯です事ねえ、いつでも待ったを何回もして相手が怒って武者振りついてくると自分から負ける事があるんですよ、オヤオヤご覧なさいよ本年は余程直しましたねえ嬉しい。 ・如何でげす横綱の小錦は例に依って例の如く小量でげすね、不侫は至極贔屓に致して居りやすがあの男の取口がな実にどうもこう軽率でげして一時に敵を倒そうと致しやすからいつでも不覚を取りやす、もう少し泰然自若と致しておりやせんと第一大関の貫目にも関係しやす、彼もな風の噂に聞きますると何とやら申す女部屋の養子とかに相なるそうで相撲道の熱心が薄らいだと申します、惜しいもんぢゃあげえせんか養子なぞは「ヨウシ」にしたらよいでしょうにス。 ・へん可笑しく無愛嬌の力士ぢゃねえかい大砲だか電報だか知らねえが余り早過ぎて呆気なくって面白え事も何ともありゃあしねえ、立ち端に二本を突き出してよ取り組むとすぐに分けを待つのがちゃんと御面相に見えすいていやあがる、人をつッけ馬鹿馬鹿しいせめて二三度くらい仕掛けろよ関脇なら、もし言う事を聞かなけれりゃあこのお兄ィさんが承加しねえぞ野郎め。 ・わたし海山が贔屓よ、あの人は土佐の江野口の生まれよ、元は大阪にいたのですが板垣伯に勧められて東京に来たのですとさ、好力士だけれどもねお酒が好きだから困るわ、今日も御覧なさいよ晴れの場だというに酩酊してるでしょう、ワインなんかを飲んで土俵へ出てはいけないのね、勝とうと思ったってイムポシブルよ。 ・大蛇潟と玉ノ井に至っては僕は甚だその意を得んぞ、その場に入るや必ず待ったの十数回を行いよる、いやしくも人気の衰頽を挽回せんと欲せば須らくこの悪癖を除去すべしだチェストー! ・小松山は高慢くさい顔をしてきっと四方を見回すがの、あれは宜しくない癖ぢゃの、貴公何と思う。 ・若湊にも悪い癖がありますね、もう叶わぬと思うと力を抜いてしまいますが負けるまで耐えていたらいかがなものでしょうか。 ・お父さん僕は横車は嫌いさ、四ツ身になると相手の肩の上へ顎を載せてニコニコ笑うよ、何だか相手を軽蔑しているように見えるねえ、そのくせあんまり勝ちもしないよ。 ・もしお隣席の御隠居さん、わたしはこの通り歯も抜けて本年七十になりますが高ノ戸のような妙な力士は御座いましぇんね、たとい正面では誰にも叶わぬしぇよ自分から跳ね出て負けるのは可笑しう御座いましゅねハハハ。 ・吾輩は小説の材料にもと参考に来観したのである、力士両三名の批評を試みる事はあえて無益の業であるまいと思う、不知火は仕事は巧みだが立ちが悪い、また勝手が悪いとごまかして待ったをいうが幕の行いとしては不似合いである、谷ノ音は仕切り方は隨一だが敵に寄られて詰め間近くなると渡って防ぐ事は容易にせず自ら力を抜く事がある、幕下では八剣は怒りっぽい、谷ノ川はノンキ、松ノ風は壺口目バタキ、鶴ノ音はニヤニヤ笑う、國見山は遊び相撲、甲は上目を使う、一人も理想に合うは無いのである。 ○好角同士会の相撲 ・再三再四記載したる同会の興行相撲はいよいよ今日よりの前橋と及び横浜を打ち上げたるのち来月十日初日回向院に於て五日間興行する事となりたるが、未だ力士との交渉まちまちにて中には不平の連中もあれば、ことによると東西分離して西方が三日間取れば東方が二日間取るようになるやも知れずという。 ![]() 千秋楽は十両以下だけの取組、こんな日でも相撲マニアは明日の花形力士を見つけるために続々と集まってきます。鬼竜山・八剣・高見山が勝ってそれぞれ7勝目。今場所は十両上位が揃って好成績のため誰が昇進できるか予測が難しいです。逆に幕内下位で大負けした稲瀬川・鬼鹿毛あたりは最近の傾向から十両陥落を覚悟しなければなりません。記事の方は、にくまれ評として色々な庶民が好き勝手に批評しています(;・ω・)当時の観客の様子が少し垣間見れて面白いです。最後の作家の人はずいぶん難癖をつけてくれていますが、もし双葉山がこの時代にいれば、理想の力士と言われたかも知れませんね。 明治32年春場所星取表 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨日(九日目)の同相撲は好角家の希望する好取組多かりしかば午前十一時には早や客止めとなりたり。 ・國初に小石崎は、左四つにて空き手は巻き合いやがて小石は出臀を伸ばし寄切って小石の勝ち。 ・磯千鳥に鷲ヶ濱は、磯は右前袋を取るや鷲はその手を撓めつつ寄って鷲の勝は案外なりし。 ・立神に梅ノ矢は、左四ツにて梅櫓に懸け立神土俵外へ置き去らる。 ・西郷に千田川は、右を差し西は左に敵の首を巻き右に横ミツを取って掛けもたれに行くを千は詰めにて耐え、かえって登りてもたれしより西は腰砕けて仰向きに倒る。 ・小緑に浪花崎は、右四ツとなり又浪花二本差しとなり互いに釣り合いの一点にて双方取り疲れて引分はあまり感心せず。 ・霧島に小西川は、突き合い小西の出鼻を払いて霧の勝は見る間もなかりし。 ・岩戸川に橋立は、橋は右に後ろミツを取るや廻ってすぐ左前袋を曳きて持ち出さんとするより、岩左を首に巻きて防ぎし甲斐なくそのまま持ち出されて岩の負は跪りし。 ・利根川に鳴瀬川は、利右を差し鳴はその手を巻き右を矢筈にかけて押切らんとするより、利は殺して効かせず遂に取り疲れて引分。 ・淀川に高千穂は、高は淀に突き出す左を引落して高の勝は素早かりし。 ・尼ヶ崎に國見山は幕下の好取組にて、尼は出鼻を手繰って一本背負を試みしが國は右を深く差して効かせず右四ツになり、國が釣って尼の負け。 ・荒雲に鳴戸龍は、荒の右を撓め蹴返して鳴の勝。 ・有明に淡路洋は、有淡の二本差しを閂に絞り、押出して有の勝は力いっぱい。 ・天ツ風に金山は、天ツ敵の左を泉川に懸けて撓め出したり。 ・鬼竜山に鬼鹿毛は、突き合い突っ張って鬼竜の勝ち。 ・頂キに八剣は、右四ツにて八左上手後ろミツを取るやいな持ち出して八の勝は大元気なり。 ・響升に谷ノ川は、右四つに挑み谷ちょっと左を外枠に渡して寄り倒し谷の勝は幕相撲の技倆あり。 ・大見崎に玉ノ井は、大見突きて玉踏みきりて団扇の大見に上がりしが、玉の足未だ踏切らぬ先に団扇を上げしとて横車の苦情を言い出したるより各検査員協議の末預りとなる、星は大見崎。 ・外ノ海に横車は、横の左を以て外は巻き横は突張りて土俵の中央に突っ立たるまま五寸も動かずあたかも寝ている如くなりしより水となり、のち釣りもたれて横に団扇の上がりしが、外はウッチャリしとて物言い付きて丸預かり。 ・北海に海山は、北の左の差し上手下手に取り海の左筈を北は防ぎて上手を効かせず水となり、のち海から上手投を打ってみごとの勝は大相撲なりし。 ・黒岩に大蛇潟は、左相四ツにて挑み黒釣り身に行きしが大体を落として防ぐ一方にて水となり、のち黒より二度釣りを見せて引分は黒の独り働きなりし。 ・出来山に谷ノ音は、立ち上り右を首に懸け例のかわずに行くを出来踏ん張り効かせずして廻り込みたれば谷の体先に落ちて負けとなる、とかく谷はかわずにて仕損じること多し。 ・常陸山に梅ノ谷は、両力士の一挙一動は満場観客の注目する所となり、一斉に鬨の声を上げ拍手音絶えざるうちに両力士は念入りに仕切り双方化粧立ち二三回にして立ち上り、左四ツとなり常投げを打ちて梅は体斜めになりしが廻り込んで梅耐えたるも常再び投げを打ち、体の浮きしをそのまま寄って常の勝は場中大喝采にて、衣服その他の纏頭にて土俵を埋めしうえ時事新報の化粧廻しは遂に同人の占むる所となりたり。 ・小錦に大砲は、錦は右上手にミツを引き左を筈にかい、砲は右を巻き左は筈の二の腕を殺して捻らんとすれど錦は耐えて効かせず水となり、のち暫時揉み合い引分は大相撲なりし。 ![]() ○好角同志会の相撲 ・同会に於て大相撲を催す由は前号の紙上に掲げたるが、その場所は芝公園内旧弥生館構内の相撲場を以てせんとし目下奔走中なり、されば日限の程も未定なれど場所決定の上は東西両関ともに出場の筈なりという。 ![]() 幕内最終日の九日目、梅・常陸の土付かず同士の大一番が組まれて満員です。新十両國見山は幕下尼ヶ崎を吊り出して5勝目。尼ヶ崎ものちに幕内へ上がってくる力士で、この取組も有望力士同士の対戦と目されていた様子です。入幕を狙う谷ノ川は響舛を渡し込むように寄り倒して7勝目。昇進がかなり有望になりました。響舛は元関脇の実力者ですが幕内下位に下がって7敗目、次場所は出場せず土俵を去ることになりますのでこれが本場所では最後の取組となりました。さて梅・常陸の大一番は投げから寄りを見せて常陸山が勝利、幕内最優秀成績で化粧廻しが贈られました。新入幕ながら前頭4枚目に据えられ、土付かずで初優勝を飾るという規格外の大力士ぶりです。横綱小錦は大砲と引き分け、今場所6勝したものの役力士との対戦でもう少し存在感を示したかったところです。 明治32年春場所星取表 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨十六日(八日目)は午前十時頃すでに客止めとなり、花道はもちろん力士溜りさえ観客割り込みて実に寸地を余さず、足を踏み頭を越えて通行する程の雑踏にてありし。 ・嵐山に大戸川は、嵐左を差して寄り切り嵐の勝。 ・綾渡に小武蔵は、左四ツにて互いに右足を取りて釣り倒さんとクルクル廻って遂に小武の勝を占めたるは毎度面白き相撲にてありし。 ・栄鶴に緑島は、栄の右差しを緑は上手に巻き、空き手は殺し合い緑の出し投げを危うく残し寄る鼻を捨て身にて栄の勝は見事なりし。 ・朝日龍に岩ノ森は、突き出しで朝の勝は呆気なし。 ・荒鷲に八ツ若は、八左を差して寄るを頭捻りにて荒の勝は当然。 ・立花に玉ヶ崎は、玉左を差して寄り立は支うる力なく負。 ・最上山に大嶽は、左相四ツにて大足癖を試みしが最伸びて効かせず、遂に寄り倒して最上の勝。 ・照日山に熊ヶ嶽は、照の左差し右筈にかえば熊は右を絞りて左をのど輪に当て押切て熊の勝は力づく。 ・野州山に緑川は、緑二本を差し野は上手二本に横ミツを取って挑み、野釣り身に行くを振って緑の勝は面白し。 ・鶴ノ音に錦山は、左四ツにて寄り切り鶴の勝も呆気なし。 ・朝日嶽に御阪山は、朝は左を差し御は左を筈にかい右を巻き御は上手を打ち、残されてまた出し投げを打ちしが、朝日は辛く残しすぐに釣って朝の勝は見栄えありし。 ・高見山に稲瀬川は、高敵の左を取って泉川に懸け一斉に押し切らんとすれば、稲は踏張って耐える余地なく腰砕けて高の勝ち、これにて高も入幕の回復も出来しならん。 ・當り矢に増田川は、烈しく突き合い増二本を突き込み寄り倒して増の勝。 ・松ヶ関に八剣は、右相四ツにて水となり、のち取り疲れて引分。 ・小松山に千年川は、小松右を差し寄るを千渡って残し、右を突き込み相四ツとなりて暫時挑み、千より寄り身に行く出鼻を捻って小松の勝はこれ迄の出来なり。 ・高ノ戸に越ヶ嶽は、高は越の右二の腕を支えて防ぎ左は筈にかって受け身となりしが、越はそのまま押し切らんとする勢いの烈しければ、外さんと逃げ身に飛び去り自ら跳ね出でての負けは毎度ある失敗、少しく慎むべし。 ・狭布里に稲川は、右四ツにて挑み稲差し手を抜き右筈にて押切らんと体を引く途端に寄り返したれば稲再び右を強く突き込みしが、ここに隙ありて狭は右外掛けにもたれて狭の勝ち。 ・不知火に若湊は、待った数回にて若例のドッコイと立ち上り、行司の団扇を上げるやいな一突きに突出してドンと言えば不知は未だ立たずと主張せしより紛議起こり、各検査員総立ちとなりて東西へ交渉の末無勝負に落着したり、詳解せば病気休み同様星取に算入せざるなり。 ・谷ノ音に源氏山、谷突き手を撓めんとするも源は払ってすぐ左より右四つとなり源より右上手を打ちしが、谷踏張って効かせず、また源より上手を打って谷足癖にて防ぎつつ同体に落ちしが、源より仕掛たる角力なれば団扇は源に上りたるが物言い付きて預り。 ・鬼ヶ谷に逆鉾は、鬼は逆の左を手繰れば逆は預けて突き出して逆の勝ち。 ・大砲に朝汐は、朝は左を差し左は敵の差し手を防ぎて揉み、のち砲は猿臂を伸ばして左を差し右前袋を取らんとするも朝は引き外して攻め合い水となり、のち暫時挑みしが勝負付かずして引分は大相撲なりし。 ・中入後、鬼竜山に金山は、突き合い鬼が金の左を引張り金は耐えて廻る途端、腰砕けて金尻もちを突く。 ・谷ノ川に天ツ風は、左四ツにて挑み谷釣り身にて寄るを天ツ詰めを渡って危うく残したるも、浮き身にて体の据わらざればたちまち寄られ谷の勝ち。 ![]() 引き続き大入りの八日目です。幕下の綾渡vs小武蔵はお互いに足を取り合ってクルクル回るという珍相撲、力士の体格が肥満していなかった時代ならではです。不知火vs若湊は、立合いが成立したかどうかで揉めてしまいました、仮に不成立であれば取組が始まっていないことになるので預かりという裁定にもならず、結局取組そのものが無かったことにされてしまいました(;・ω・)両者とも土俵に上がっているのに「や」となってしまった珍しいケースです。逆鉾は速い攻めで6勝目、体重80kgほどの小兵ながら関脇として堂々たる成績を残しています。 明治32年春場所星取表 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨日(七日目)は日曜日と藪入日のかちあいし事とて各桟敷朝のうちに売切れとなり九時頃には客止めの好景気なりし。 ・平岩に國見山は、平出鼻を突くと見せ國の右を繰って一本背負に行きしが、國は上から左の猿臂を伸ばし後ろ縦ミツを取て釣り上げんとするから平は仕損じたりと体をかわして相四ツとなりて防ぎしを、國は無造作に釣って持ち出したり。 ・淀川小西川は、左四ツにて淀平押しに寄り小西は押詰められしも、ここを先途と耐えしより淀はもたれ込んで勝ちしと思いの外か、自分に踏越しあって小西の勝に淀は落胆せり。 ・鳴門龍に浪花崎は、浪の突き一点張りに始終受け身となりて遂に土俵を割る。 ・荒雲に淡路洋は、淡の突掛けを荒は受けながらはたき込まんとすれば淡の僥倖は頭髪なく滑らかなるより自然と残りてすぐ突き出して淡の勝は大出来なり。 ・金山に有明は、金は二本を差し有は上手ミツを取って挑む間もなく、金は右の差し手を脱し巻き倒して金の勝。 ・高見山に嶽ノ越は、高の左を引張り込み外掛けにてもたれ込んで高の勝、ちなみに記す嶽は先年横浜興行の際頂キと角力いて左踵の関節を脱したるが、昨日もまた脱して立つこと能わず、人に助けられて引込みたりと。 ・天ツ風に高ノ戸は、高左を泉川に懸けられ一心に解きしが、又々懸けられ勝手悪しと振り解きて逃げんとするを、天ツすかさず送り出して勝を占む。 ・頂キに谷ノ川は、左四つにて挑みしが頂キは左の差し手を抜き替え釣らんと一寸体を落す途端、谷は浴びせたるため頂は腰砕けて同人に似合わぬ負を取れり。 ・響升に鬼竜山は、鬼の突きと出足の進むに響は身受となり土俵少なになってようやく突き返したるが、再び鬼の突きに響の体は飛び出したり。 ・大見崎に小松山は、突き合い手四つとなり大見突き込んで小松の浮き身を右の手に払いしため小松は尻もちを突きたるは笑止なりし。 ・外ノ海に當り矢は、激しく突き合い外受け身にて逃げ廻り、早や土俵も余地なきより外は廻り込み差し手を突き込みもたれ込んで外の勝は大出来なりし。 ・北海に大蛇潟は、右四つにて空き手は巻き合い、北より下手を打ちしが大は残して上手に打ち返し大の勝は機に応じたり。 ・常陸山に不知火は、不知は潜って右に前袋を引き左を筈にかって押し切らんとすれば、常は左を撓めて振り落とさんとするも、不知はよく防ぐより常面倒と蹴落さんとすれば不知は体を伸ばして効かせず、また振り倒さんとするうち不知の撓められし腕は青ざめ来りしより水となり、のちしばし呼吸を考え常は首投げを打ちたるが不知は踏ん張りしより常は左を引掛け捻り出して常の勝なるが、不知はなかなかよく角力いたり。 ・出来山に海山は、出来二本を差し海は左を巻き右は上手より巻きて筈にかい、海の首投げ出来の下手投げ共に決まらず水となり、のち取疲れて引分は出来分けを待ちしが如し。 ・梅ノ谷に朝汐は、好取組の事とて場中は割るるばかりどよめき渡りけるうちに両力士はスゲなく立ち合い、手先の競り合いより左四ツとなり、朝右前袋を取って二度右上手を打ちしため梅実に危うかりしが、廻り込んで辛くも寄り返せば朝は必死となりて又寄りて右上手を打ちしより梅またまた危うかりしが、遂にもたれて梅勝ちを占めたるは当日第一の大相撲にて場中暫時は鳴りも止まざりし、この勝負にて朝が働きは非常なるものにて敗は取りたるも大関の真価は落さずと人々言い合えり。 ・小錦に鬼ヶ谷は、突き出して錦の勝は角力にならず。 ・中入後、八剣に甲は、八左を差して寄るを甲は詰めにてウッチャリ甲の勝は上出来なりし。 ![]() ○大場所打揚げ後の東西力士 ・目下回向院にて興行中の東西力士は、同所打揚げ後合併にて上州前橋に赴き同地にて五日間興行して帰京し、再び回向院に於て二日間好角同志会の相撲を興行し、それより横浜に於て合併大相撲を催し、それより既記の如く各組分かれ分かれになりて地方へ赴く由なるが、近来各県とも米価下落と地租増徴にて景気悪しければ、力士を買い込みて興行する者少なかるべしという。 ![]() 大入り満員の七日目。淡路洋という力士はずっと十両にあってこれと言った得意技などは無いようですが、頭髪が薄いことではたかれにくいという利点があるようです(;・ω・)嶽ノ越はカカトというか足首でしょうか、脱臼癖がついてしまったようで負傷、翌日から休場となってしまいます。入幕を目指して好調だっただけに悔やまれます。不知火は常陸山戦で非常によく粘りましたが勝機を掴むには至りませんでした。常陸山土つかず。梅ノ谷vs朝汐も双方土つかずの大一番、朝汐が攻めて行きましたが若い梅ノ谷が体格を生かして勝利。敗れた朝汐も大関らしい立派な相撲内容でした。 明治32年春場所星取表 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨日(六日目)は雨後の泥濘を事ともせず早朝より詰め掛けたる観客多く、各桟敷土間とも満員となれり。 ・照日山に立嵐は、左四つにて挑みしが突出して照の勝。 ・梅錦に宮ノ浦は、梅例の負い投げに行きしを宮は大兵ゆえ押し潰して宮の勝、もし梅の決まりならんには喝采を得べかりしに。 ・小櫻に野州山は、右四ツにて野左上手を取るや渡し込んで野の勝は中々の元気。 ・甲岩に大戸川は、は相四ツの釣りにて甲の勝、大戸常の力量にも似ず脆かりしは前日の休みに甚句踊りの過ぎたる疲れなるべし。 ・朝日龍に嵐山は、突き合い朝は左を深く差し嵐の左筈に右を殺して寄るを、朝腰投げを打ちて見事の勝ち。 ・最上山に緑嶋は左四ツに最右上手を引き、釣って最の勝ち。 ・荒鷲に岩ノ森は幕下の好取組、荒の左差し上手下手に組み空き手は殺して挑み、荒寄って危かりしが寄り返して上手すかし決まって荒の勝は面白かりし。 ・中ノ川に玉ヶ崎は左四ツにて投げの打合い、互いに残して寄倒さんとするを足癖にて防ぎしが、遂に寄り倒して中の勝は大相撲なりし。 ・有明に大嶽は、有左を差して寄るを大は足癖にて巻き倒さんとするを、浴びせて有の勝は大兵の徳なり。 ・綾渡に熊ヶ嶽は、右四ツにて熊上手投を打ちて綾危うかりしが、残して下手に体を引き左内枠にて渡し込みの勝は上出来なりし。 ・小武蔵に緑川は、小立上りすぐ緑の左を取って負い投げに行きしが、緑は右上手に後ろミツを取って防ぐを、小武は襷反りにて見事の勝を占めたり。 ・鶴ノ音に栄鶴は、突張って鶴の勝は呆気なし。 ・鬼竜山に朝日嶽は、突き合い引落して鬼の勝は相撲にならず、朝のかく失敗を取りしは仔細のあるらし。 ・御阪山に錦山は左四ツの巻き合い、御首投げを試みるも錦体を落して効かせず押し合いにて水となり、のち取り疲れて引分は錦病後初めての出勤にてはよく耐えたり。 ・甲に稲瀬川は、激しく突合い甲強いて稲の浮き身を突き入りて甲の勝は苦もなかりし。 ・鶴ヶ濱に谷ノ川は、鶴は左を差し谷は左を筈に右を巻きて鶴の寄り身を防ぎしが、土俵少なになりて耐ゆる余地なく踏み切って鶴の勝にて、谷の全勝もここに至って煙となれり。 ・八剣に増田川は、右四ツになるや八は一斉に寄り進むに増も土俵の詰にて受け耐えしが、八は素早く釣って八の勝は大出来なりし。 ・高ノ戸に千年川は、立ち合い諸手を殺し合い千押し切らんとすれば廻ってよく防ぎつつ足を取りに行くを、千の小手投げ決まりて勝を占む。 ・玉ノ井に越ヶ嶽は、越の左差しを玉は巻き左は攻め合い寄って玉小手投げを打ちて玉に団扇の上りしが、越は同体に落ちしと物言い付きて預りとなり星は五分五分。 ・狭布里に大見崎は、右四ツにて狭一寸足癖を見せしが大見は差し手を深く差して寄り切り大の勝は咄嗟の間なりし。 ・横車に黒岩は、相四ツにて無造作に釣出し黒の勝ち。 ・鬼ヶ谷に若湊は突きの一点にて若の鉄砲見事に決まりて若の勝は、鬼の突き手も緩みたり。 ・梅ノ谷に源氏山は観客を呼びし好取組なれば両力士の呼び声高く、いづれも負けじと念入に仕切りて立ち上り、源は左を差し右は梅の左を殺し、源は下手を打ちしが梅の踏張りに効かずして競り合い、梅は押し切らんとするも源は耐えて寄り返し、梅は左前袋を引き源は右筈になりしも解れて左四ツとなりて揉み合い、水となりのち源より投げを試みるも動ぜず、梅は押切らんとするもよく防ぎて勝負付かずして引分は大相撲にて、観客も手に汗を握らしめたり。 ・谷ノ音に小錦は待ったなしの立ち上りにて、錦はすぐ二本を差し櫓にかけて持ち出したるに、谷も余りの事と思いけん莞爾莞爾笑いて引込みたり。 ・中入後、國見山に天ツ風は、天ツ國見の左を泉川に掛けしが、解かれて左四ツより相四ツとなりて挑みしが勝負決せず水となり、のち取り疲れて引分は見栄えありし。 ![]() ○東西力士えりぬき評 ・さて今日は西の方の鳳凰だが、人気の落ちないのはあの男の一徳だね、誰も知っている通り技倆というものは甚だ乏しい質で全く力量のみで大関の位置を占めているのだ、技倆は勉強次第でどこまでも進むものだが力量は年と共にしぼむ時節の来るものだ、しかもあの男は目下が満開であるから久しく大関の位置に座っていることは出来まいよ、これというのも地面や貸し長家で寝ていて喰えるという胸算用があってその気緩みの故であろうと悪口をいう者もあった。 ・大砲はなおこれという新技倆は見えないが力量は十分備わっているし体はあの通りどえらいし、従って手は長し相手が懐に入って前袋を引こうとすれば無造作にその後みつを取り、二本差しにすればたちまち閂に絞り、足を狙えば力ではたくから相手になった者は大きな損だ、分けを取るくらいが大出来だろう。 ・梅ノ谷の技倆はまだまだ荒岩源氏山には及ぶまいが、力量というは実に実に凄まじく進歩した、一たびウンと踏張ったらそれこそ大盤石千曳の岩だ、いかなる大敵も動かすことが出来なかろう、だからあの男の突き出す鉄砲を受け得る者は敵方に二三人しかあるまい、常陸とあの男と四つ身になったらどうだろう、まづ引き分けだろうね。 ・谷ノ音は得意の足癖が効かぬことを悟って近来は臨機応変の妙手を出すなかなかぬけめの無い奴だ、体格もおいよに関係してた時分より肥えたようだよアハハハ。 ・鬼ヶ谷は鉄砲に妙を得ているが寄る年波で弱くなったね、しかしなお見所が無いでもないが抱主の蜂須賀侯が来観せられる時は何だか固くなって平生に劣るのは可笑しいな、海山の小手投げ合掌ひねりといえば随分評判のお得意であったが一時はいささか鈍ったようであった、全く酒色にふけったからであろうが本年はやや回復の形が見える、横車は相変らず吊り一点張だ、今少しく修練したら大に昇進する目途があるのだけれども惜しい男だよ、腰自慢の狭布里この頃は大分使うそうだね証拠が顕然と見えるから恐ろしいもんだ、玉ノ井の戸長先生土俵で手叩きやら唾やら汚い真似をする男ぢゃないかい、しかし体格の良いのは得なもので不慮の勝を制する事がある、大蛇潟は両三年前に比べると力量も減じてきたし気息も長くは続かぬようだが、まだまだどこともなくしっかりしたところが見えるから嬉しい、小松山は横車と同じで吊りの一方、一時とは技倆が落ちたように思われる、今の位置で居座りなら結構さ、松ヶ関は前途有望の力士だよ初日に小錦に勝ったのをヤレまぐれ当たりだの僥倖だの怪我だのと冷評する者もあったが、ともかくも一種侮りがたい技倆を持っていることは事実だ、前場所には悩み揚げ句でやむを得なかったが本年は精一杯やって見ろ見ろ慢心をせずにな、大勇猛心を振り起したもんなら随分望みのある質だぞ、當り矢は頭の塩梅と年齢とは全く正反対まだまだ血気満々なところがあるから有難い、いつも出足が早過ぎるので不覚は取るがこの社会の愛嬌者だ。 ・不知火の技倆は一寸見所がある、但したとえ自宅に紛紜があるからといって二度も三度も興行先から戻るのはよしてくれ、鶴ヶ濱は入幕の当時と大違い、勉強しろよ、鬼鹿毛例の十八番の首投もモウ効かぬ、年寄株でも買うのだろう。 ・病気やら何やらで遂に欠勤した荒岩とそれから高ノ戸ね、この両人は折々行司を泣かせるほどの妙手を有しているが仕損じては埒もない。 ・さてまた幕下では鬼竜山だ、十分幕内へ入るべき翼が備っている、松ノ風も次第に回復の姿が見える、得意の吊りの他に投げも巧手になった、嶽ノ越も幕下では屈指の好力士だ、よく忍耐して勝を占めることの多いは感心、淡路洋の得手はその石頭を敵の胸板にドンとぶつけて鋭気をひしぐにあるようだが他には別に特点を見出し得ぬ、鶴ノ音と鳴門龍は力量一方、國見山は当時売り出しの好力士だが力量に伴うだけの技倆はない、専念一向に勉強が肝腎だ、鳴瀬川は体格は申し分ないが技倆において申し分ありだ、荒雲は病気が全快せぬと見えていかにも血色が宜しくない、養生しろよ。 ![]() 雨が上がり六日目、かなりの客入りのようです。大関鳳凰は3連敗を喫して休場してしまいました。この場所の幕内力士は、引退した大戸平と初日から全休の荒岩以外ではこの鳳凰ただ一人が途中休場で、あとは全員皆勤という優秀さで、これだけの皆勤率はなかなか珍しいです。観客が多ければ力士も嬉しいでしょうし、相撲協会が利益を上げていればボーナスの望みもあるのでやる気になっているのかも知れません。取組の方、鬼ヶ谷に若湊は双方突き押しの相撲、鬼ヶ谷も明治20年から幕内にいるという古い力士で43歳。最近若々しい相撲を見せている若湊に敗れてしまいましたが少し衰えが見えているのでしょうか。梅ノ谷vs源氏山は土付かずの小結同士という好取組ですが引き分け。双方の攻防が見ごたえあり、なかなかの熱戦でした。記事は爺さんの力士評、後半が載りました。鳳凰は不動産の副業ですか(;・ω・)玉ノ井は土俵でツバとか(;・ω・)狭布里はこの頃は大分「費う」という原文で「つかう」とルビが振ってあります。この時代の力士は酒色などの遊びで身を持ち崩すケースが目立ちますが、狭布里もここ数場所は負けが込んでいますのでそういう事を指しているのでしょう。 明治32年春場所星取表 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨日六日目の同相撲は雨天のため休場したるが、午後晴天となりしゆえ本日は太鼓を廻さずに開場するという。 ○東西力士えりぬき評 ・猛虎怒慵して天も地も震駭しつベき両国回向院大場所の壮観は連日の紙上に載せ来れる如く、すでに五日目まで取り進みたるが今ここに某好角翁が公正明平の眼をもって東西力士中の主なる者を批評したるを掲げん。 ・まず今日は東の方横綱の小錦から棚卸しを始めようかい、初日の負け具合では如何かと案じていたが二日目から五日目までは無難であった、但し技倆は突きの一点で例の寄り投げや蹴返しを毫も用いぬのは何となく贔屓連をあきたらず歯がゆく思わせたよ。 ・それから朝汐だて彼は評するまでもない名力士だね、技倆はますます進んだがやや力量が落ちたかと思われる、逆鉾は一時ちょいと腰折れの気味も見えたが今では持ち返して腰も強く腕の突張りはなかなかえらいもんだ、源氏山は技倆は確かだけれど気性が怯くなったよ、もっとも自重しているといえばそれまでだけれど多く自分から仕掛けないで受身になる事が多くなったようだ。 ・大纒の出来山かね、平々凡々評する事もない、当分は前頭四五枚を上下するのさ、黒岩は四つ身になると敵なしだが相手の突掛けの強いときはいつも敗北を取る、この突掛けを防ぐ工夫さえ凝らせば上々の力士といってよかろう、若湊は昔に返り咲きしたね技倆が老練で面白い力士だ、常陸山は当時日の出の勢い、かれこれ言うだけが管だろう、この分で推して行けば将来の横綱は誰彼と問うに及ばぬ、かの男と決まっている。 ・北海、外ノ海、大見崎は一軒の家でいえば道具だ、何も言う事はないが必要品と言って宜しい、越ヶ嶽、響舛、千歳川は東方の老功で技倆を言うよりもむしろ劇評流に「よく勤めているが評すベき程の事なし」だ。 ・増田川、稲川、稲瀬川は幕下当時の勢いに比ベるとやや劣ったかと思われる気味もあるが、力量はまだまだ進む、油断さえしなければ進境を見よう、頂キは妙な力士だ、シンネリ強く随分勁敵を苦しませる事もあってその一種特別の技倆は大に人を感心せしむるに足るよ、次は天津風だ、きゃつ酒ばかりあおると見えて如何やら中風の相を現して来た、幕下二三枚目に落ちること必定さ。 ・さてまた東の幕下では高見山と谷ノ川は技倆が進み八剣と甲の力量が増したのには驚くよ、金山、緑川はまづ上の居すわりに加え利根川の持ち返し淀川の返り咲きあるに反し、鉞、熊ヶ嶽の大根がある、ようやく知恵ノ矢や鷲ヶ濱の部類に入るだろう。 ○角觝雑俎 ・回向院の当大場所は近年稀なる上景気にて、各力士の意気組みも別項の評中に記せる如くすこぶる盛んなるが、ここに毎年大相撲の興行に伴いて何かの苦情湧き出づる事ほとんど例となり、来り本年もまた三日目の夜に至りて一の同盟起こり西方幕内力士及び幕下十枚の関取連は突然出勤を断わるとの相談をなし、先づ角觝協会へ向って内々にこの相談を通ぜしめたる所、協会の驚き一方ならず役員二名は直ちに西方の部屋に至りその理由をただしたるに、鳳凰大蛇潟小松山等の面々は決心の色を示し口を揃えて曰く、当今の如く相撲は非常の全盛に赴き、毎興行の利益莫大なるにも拘らず我々力士に対しては真に僅少の増給を与え賞与とても東西三役の欠勤なき時に渡さるるのみ、その他は一文の配当もなくして皆懐手の年寄連に吸収せられ、力士は一生懸命働くばかり、実に馬鹿馬鹿しければ本年の如き大入りの際は無欠勤の力士に相応の利益配当ありて然るべしと考うれば、協会においても充分に我等の境界を察しこの事許諾ありたし、しからざればやむなく決心せん、と云い出でたり、依りて役員は勧進元高砂の代阿武松緑之助、八角灘右衛門、及び取蹄雷権太夫等の役員と協議のうえ決答せんと答え、力士はなお念を押して明日中に是非返答ありたしと約してその夜は別れ、翌四日目は何事もなく一同出勤し、同夜役員等協議を遂げ力士の申条ももっともなればと各部屋持ち年寄の配当金に対し東西幕内力士は五分幕下十枚迄は同二分の賞与を出す事に決し、その旨鳳凰等に交渉せしに、一同は協会が迅速の承諾に満足し、我等は決して多少を論ぜず望みのかどさえ立てば結構なり、とてたちまち和解しこの上は欠勤せずして一心に働かんと皆勇み立ちしという。 ・初日以来の好天気に日々大入りなれば最早十日間の総入費は取り揚がり幾分の利益さえ見るに至りしかば、この後目下の景気にて推す時は各年寄は勿論力士等の配当賞与も少なからざるべしとは太平の余光めでたき事なり。 ・人気第一の力士常陸山谷右衛門は、旧藩主水戸家より化粧廻しを賜りその他顧客の贈品おびただしき中に、男爵三宮義胤氏は刀工堀井胤吉翁作の一刀を白木の箱に収めて本所区長飯島氏に託し一昨日常陸山へ贈与されしかば、同人の喜び例えん方なく後日この一刀を持たせて一人土俵を踏むの期あらんかとしきりに力み居れり。 ![]() 残念ながら雨天中止です。現在は初日前に町内を回る触れ太鼓ですが、当時は晴天のみ興行のため雨天中止の後の日にも通常は回していたようです。しかし太鼓の意味は「明日開催しますよ」ということなので、次の日すぐ開催したい場合には今回のように太鼓なしのケースとなります。取組の記事が無いので例によって爺さんが好き勝手に力士評を語っています(;・ω・)道具とか必要品とか言われている力士もいますが、いつの時代でも目立たなくとも頑張っている中堅どころというのは必要な存在です。頂キはちょっと特殊な技能力士のようですね、シンネリというのは粘り強い様子でしょうか。今後どんな活躍をしてくれるか楽しみになります。天津風は体を壊しかけのようですが大丈夫でしょうか?(;・ω・)そして明治後半の大相撲界はストライキの歴史、今回は収まったようですが待遇改善を求める力士側と協会側の紛争の火種はくすぶり続けます。 |
![]() ○回向院大相撲 ・昨十二日(五日目)は、朝来雪を催すべき空合なりしが、ようやくに持直したると好角家の希望する好取組の多かりしかば各桟敷とも前夜より悉皆売り切れ午前十時頃には立錐の余地なく大入り客止めの好景気なりし。 ・怪力に藤見嶽は、怪出鼻を引掛け腰投げを打ちしが、己れと跡流れて藤の勝。 ・濱湊に達ノ里は、立ち上り上手投げにて達の勝は未来の荒岩と称するも可なり。 ・平岩に小緑は、左四ツ投げの打返しにて平の勝。 ・霧島に小石崎は、小左筈にて寄るを霧は右差しにて寄り返す勢いに小危くウッチャりたるが、小の体は先に落ちしと物言い付きて預り。 ・磯千鳥に駒勇は、磯の右を巻き左は互いに前袋を引きて引落さんとするも、劣らぬ業ものなればよく防ぎて勝負付かず遂に引分は大相撲にて、観客より分けろの声さえ掛りたり。 ・梅林に千田川は、左四ツに寄って千の勝。 ・西郷に浪花崎は、西右差して押し切り西の勝。 ・尼ヶ崎に若木野は、苦なく突き出して尼の勝。 ・岩戸川に小西川は、突き合い岩のハタキ見事に決まりて小西ヘタバル。 ・高千穂に荒雲は、高矢筈に寄り進むを荒は土俵の詰めにて一寸耐え捨て身を打ちたるが、荒の体早く落ちしとて高に団扇の上りしが荒はウッチャりしと物言い付けて預りとなる。 ・利根川に待乳山は、待二本を差し利は右下手横ミツを取り左を殺して挑みしが、待の下手に利は仕掛くる術なく待は分を待つ如く中央に立ちたるままにて引分は面白からぬ取り口なり。 ・淀川に橋立は、右四ツにて橋は廻りて押し詰めんとせしが、淀はもたれ込んで勝を占む。 ・鳴瀬川に鳴門龍は、突き合い激しく鳴瀬は鳴門の出鼻をハタキて鳴門は両手をつく。 ・金山に淡路洋は手先の競り合い、金は淡の出鼻をハジキたれば淡の腰砕けて脆くも淡の負け。 ・甲に嶽ノ越は、突合い甲の出鼻をハタキしより嶽の足流れて嶽の負け、甲の出来は大喝采。 ・松ノ風に高ノ戸は、左四ツにて松ひと押しに寄るを高は引落さんとするも余地なく、松より釣り身に来られて他に術なく内掛けにて巻き落さんとするも、松の伸びにて浴びせられて高の負けは是非もなし。 ・天ツ風に鬼鹿毛は、左四ツにて鬼二度首投げを打ちしが天ツ残して渡し込み天ツの勝はまづ上出来。 ・稲川に八剣は、稲の立ち後れを付け入り突き出して八の勝は実地の力量にはあらねど八の働きなり。 ・頂キに小松山は、立ち上り小はハタキて頂の出直す鼻を付け入り左差しの右筈にて押倒し、小松の勝は近頃珍らし。 。越ヶ嶽に不知火は、左四ツに組み不知は右上手を取り越は右を絞りて寄らんとすれば、不知は足癖を試みて挑むうちに相四ツとなり、越釣れども効かず水入りとなり、のち必死と挑みしも勝負付かずして引分は大相撲。 ・大見崎に當り矢は、突き立て當の懐に入らんとするをハタキたるが當残して出直るを、大は付け入り右を差し左を前袋に当てて寄り切り大の勝は興味ありし。 ・外ノ海に松ヶ関は、外のマッタ数回ののちようやく立ち上り、二三の突合いにて外は突かれて脆くも腰を抜かしたり。 ・源氏山に横車は、左四ツより相四ツとなり、横の釣りを源は耐え釣り返して横の耐えるを一寸外掛に左手にてあごを突きて出したる業は余裕あって他に類なし。 ・常陸山に大砲は、当日第一位の呼びものなれば場内どよめき渡りてしばし鳴りも止まざる中に、両力士は互いに化粧立ち数回にて念入りに立ち上り、常は左を当て右下手に前袋を取り、砲は左上手に横ミツを取り左を巻きて投げを打たんとすれど、常は動かずやがて砲は左の巻き手を伸ばして後ろミツを取り、引寄せ釣らんとするも常突張りて働かせず、水となりのち勝負付かずして引分は実に大相撲にてありしが、疲れは砲四分、常六分の割に見えたり。 ・朝汐に谷ノ音は、左四ツにて挑み朝より寄って打ちたる下手投げ決まりて朝の勝は見事。 ・小錦に海山は、立ち上り海得意の合掌にて捻らんとする間に錦は引上げもたれ込んで錦の勝ちなるが、今少し遅かりせば海捨て身で勝つべき色見えし。 ![]() 五日目です。この時期の記事には幕下の相撲がかなり紹介されていて貴重なのですが、中入後の上位戦などが欄外に追いやられて読めないのは残念です。記事の締め切り時刻の都合などもあったのでしょうから仕方ありません。さて取組は幕尻張出の天津風(あまつかぜ)が渡し込みで勝って3連勝。十両落ち寸前の地位ですから頑張って勝ち越さなければなりません。稲川は立ち合いに失敗して十両の八剣(やつるぎ)に突き出され3敗目。稲川はのちに三役に上がって活躍する力士なのですが、この頃はまだあまり強さを感じません。大一番は常陸山vs大砲、新入幕ながらすでにスター力士となって勝ち進む常陸山と、規格外の巨体と怪力ですべて押し潰す大砲、これは注目ですが結果は引き分け。さすがの常陸山も攻め手なく、大砲もまるで現代の把瑠都のような肩越しの吊り上げまで見せる熱戦でした。 明治32年春場所星取表 |